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第七話 忘れられた農家のローストポーク


 風が、ドワーフのドルトン・ストーンヒースの長く編み込まれた髭を揺らした。

 彼の目の前には、雑草に覆われ、一部が崩れかけた石造りの壁が延々と続いていた。


 地図を広げたドルトンは、分厚い眼鏡越しにその古びた羊皮紙を睨む。

 今日の目的地は、かつてこの地方で最も豊かだったとされる「ヘザーウィック農場」の遺跡だ。


 文献によれば、この農場には特製の貯蔵庫があり、そこで作られた保存食は「千年の風味」を持つとまで謳われていたという。


 「ふむ、この辺りのはずだが……」


 ドルトンは独りごちた。

 彼の背には、頑丈な掘削用具と地図がぎっしり詰まった革のバックパックが重くのしかかっている。


 作業着を兼ねた丈夫なチュニックは、土埃で薄汚れていたが、彼にとってそれは勲章のようなものだった。

 考古学者としての彼の使命は、失われた文明の食文化を掘り起こし、その時代の暮らしを再構築することだ。


 現代の豪華な料理には飽き足らず、古代から受け継がれる素朴な保存食や、伝統的な調理法にこそ真の価値があると信じていた。

 蔓の絡まる石垣を乗り越えると、目の前に広い畑の跡が広がっていた。


 かつては豊かな穀物が育っていたであろう土地は、今は野生の草花に覆われている。その奥に、半ば埋もれた建物の基礎が見えた。


 「来たぞ、貯蔵庫の跡か……!」


 ドルトンの目に、研究者の情熱が宿った。彼はバックパックを下ろし、シャベルとブラシを取り出すと、慎重に土を掘り始めた。

 数時間後、額に汗を滲ませながらも、ドルトンは満足げに息をついた。


 地中から現れたのは、頑丈な石でできた小さな部屋の入り口だった。空気の流入を防ぐためか、分厚い扉は固く閉ざされている。


 「よし、開けてみるか」


 彼はレバーのようなものを探し当て、力を込めた。

 

 ギギギィ……と鈍い音が響き、石の扉がゆっくりと内側へ倒れ込んだ。

 土と埃の匂いに混じって、かすかに、だが確かに、熟成された肉とハーブの香りが鼻腔をくすぐった。


 部屋の中は、驚くほど乾燥していた。壁際には、いくつもの木製の棚が残っており、その一部には、炭化した木片や、原型を留めない陶器の破片が散らばっている。

 だが、その中でも一際目を引いたのは、部屋の中央に置かれた、頑丈な石の台座だった。


 そして、その上に、まるで時が止まったかのように、完璧な形で残された一塊の肉があった。


 「これは……まさか」


 ドルトンは息をのんだ。肉は、丁寧に塩漬けされ、ハーブと共に燻製にされたものだろう。   

 表面は黒ずんでいるものの、その堂々とした存在感は、見る者に「本物」であることを語りかけていた。


 そして、肉の傍らには、古びた粘土板が置かれている。

 ドルトンは震える手で粘土板を拾い上げた。


 埃を払い、分厚い眼鏡をかけ直して目を凝らす。古代文字で記されたそれは、紛れもなくヘザーウィック農場の「千年ローストポーク」の製法と、それを食べた者への祝福の言葉だった。


 「これだ……これこそが、私が求めていたものだ!」


 ドルトンの声が、静かな貯蔵庫に響いた。彼はすぐさまスケッチブックを取り出し、肉の形状、粘土板の文字、そして貯蔵庫の構造を詳細に描き始めた。

 夢中になってメモを取っていると、空腹感が、彼の胃袋を刺激し始めた。


 「腹が減ったな……。だが、これをこのまま食べるわけにはいかない。古代の肉だ、火を通すのが筋だろう」


 彼はバックパックから小さな火起こし道具と、携帯用の調理器具を取り出した。

 近くに小川があったのを思い出し、急いで水を汲みに行く。


 貯蔵庫の入り口の開けた場所で、ドルトンは小さな焚き火を起こした。

 乾燥した枝葉がパチパチと音を立てて燃え上がる。


 肉を調理する前に、まずは洗浄だ。肉の表面についた土埃を丁寧に拭き取り、古代のハーブの残り香を確認する。


 「ほう、これは……ローレルとタイムか。時代を超えて香りが残るとは、素晴らしい」


 彼は肉を鉄串に刺し、焚き火の熾火にかざした。


 肉が熱せられるにつれて、貯蔵庫で感じた香りが、さらに濃厚になってくる。

 燻製された肉の香ばしさ、そして古代のハーブの清々しい香りが混じり合い、食欲を刺激した。


 ドルトンは、無意識のうちに喉を鳴らしていた。


 「焦げ付かないよう、ゆっくりと……」


 彼は慎重に串を回し、肉全体に均一に火が通るように調整した。

 肉の表面からジュワッと脂が滲み出てきて、焚き火の中に落ち、香ばしい煙を立てる。


 やがて、肉の表面はこんがりと焼き色がつき、見るからに美味しそうな、食欲をそそる琥珀色に変わっていった。

 完璧だ、とドルトンは確信した。


 彼は肉を火から下ろし、冷ましながら切り分けるための携帯用まな板とナイフを取り出した。肉から立ち上る湯気が、彼の眼鏡を曇らせる。


 「さて、いよいよ……」


 ドルトンは、薄く一切れを切り取った。肉の断面は、外側は香ばしい茶色に、内側はしっとりとした赤みを帯びていた。

 口へと運ぶ前に、その香りを深く吸い込んだ。


 「……!」


 最初の噛みごたえは、想像以上に柔らかかった。そして、口の中に広がるのは、塩漬けと燻製によって凝縮された肉本来の旨味だ。

 それは、現代のどんな豪華なローストポークとも違う、シンプルでありながら奥深い味わいだった。


 噛むほどに、肉の繊維からじんわりと脂が滲み出し、ハーブの香りが鼻腔を抜ける。

 それはまさに、千年の時を超えて蘇った、大地の恵みの味だった。


 「これは、まさしく……歴史の味だ!」


 ドルトンは感動に打ち震えた。彼にとって、このローストポークは単なる食事ではなかった。

 それは、古代の人々がどのように生き、何を食べていたのかを教えてくれる、生きた歴史の証だった。


 彼らの知恵と工夫、そして食物への感謝が、この一口に詰まっているように感じられた。

 彼は夢中になって、次から次へと肉を口に運んだ。


 一切れ食べるごとに、彼の頭の中には、ヘザーウィック農場で働く人々の姿が浮かび上がった。


 彼らが汗を流して畑を耕し、家畜を育て、そしてこの肉を丁寧に作り上げていた光景が、まるで走馬灯のように駆け巡った。


 食事を終え、ドルトンは満足げに大きく息を吐いた。残った肉は、丁寧に布に包んでバックパックにしまった。

 この歴史的な発見は、彼の研究にとって計り知れない価値を持つだろう。


 彼は再び貯蔵庫の中を眺めた。朽ち果てた棚、散らばる陶器の破片。

 しかし、彼の目には、もはや廃墟ではなかった。


 そこには、古代の人々の営みと、食への情熱が息づいている。

 ドルトンは、スケッチブックに最後のページを開き、今日の発見を記した。


 「ヘザーウィック農場の千年ローストポーク。味:比類なき。特筆すべき点:時間と歴史が凝縮された旨味」


 彼は静かに貯蔵庫の扉を閉め、来た道を戻り始めた。夕日が地平線に沈み、空は深い藍色に変わっていく。

 ドルトンの心は、満ち足りた感動と、新たな探求への意欲に満たされていた。


 


 彼の旅はまだ始まったばかりだ。この広大な世界には、きっとまだ多くの忘れられた食の歴史が眠っているに違いない。


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