最終話 終宴、そして新たな旅立ち
「風の宴」の招待状
その招待状は、あらゆる旅人の元へと風に乗って届けられた。
宛名は個々の名前ではなく、ただ一言、「食を愛する者たちへ」と記されている。
送り主は、かつて多くの戦場を駆け巡り、今では素朴な料理を愛する旅人となった騎士サー・カエラン・ストーンハンド。
場所は「風見の丘」。
広大な西方大陸の辺境にありながら、古くから旅人たちの憩いの場として知られる、小さな宿場町だった。
まず、最初にたどり着いたのは、ピップ・グリーンマントルだった。
小柄な体躯を揺らしながら、彼は丘の頂上にある宿屋「石と木こり」の扉を開けた。
中には、すでに何人かの顔見知りが集まっていた。
「グリッグル!」
ピップは、カウンターで何やら小さな木箱を覗き込んでいるゴブリンの菓子職人を見つけ、声を上げた。
「おや、ピップか。ずいぶん遠くまで来たな」
グリッグル・シュガースナップは、顔を上げてにこりと笑う。
彼のそばには、彼の職人道具である小さな銀のフォークが光っていた。
その傍らでは、錬金術師のエララ・メドウライトが、熱心に宿屋の主人と話をしている。
彼女の手には、いつも持ち歩いている魔法のノートがあり、そこにはこの宿場町の特産品のスケッチが描かれていた。
「エララ、もうそんなものを調べているのかい?」
問いかけたのは、元現代の料理人、ケイ・アズマだった。
彼はこの世界の素材で作られた、機能的ながらも少し変わった形の服を身につけている。
彼の隣には、彼の自作した携帯式の燻製器が置かれていた。
「ええ、この土地の土壌と気候が、この奇妙なキノコにどんな影響を与えているのか、少し気になってね。ケイ、あなたの持っているその道具もユニークだわ。それは何?」
「ああ、これは燻製器。故郷の技法で、この世界の肉を長期保存できないかと試しているんだ」
そこに、大きなバックパックを背負ったドワーフの考古学者、ドルトン・ストーンヒースが入ってくる。
「カエランからの手紙は受け取ったが、一体何事だ?」
「やあ、ドルトン。みんな、元気そうで何よりだ」
そう言って現れたのは、招待状の主、サー・カエラン・ストーンハンドその人だった。
彼の周りには、旅で出会った仲間たちが自然と集まっていく。
その夜、「石と木こり」の大きな広間は、様々な種族と言葉で満たされた。
テーブルには、この日のために用意された様々な料理が並ぶ。
ドワーフが持ち込んだ、何百年も熟成されたという固いチーズ。
ピップが採集してきた、珍しい野生のハーブやキノコ。
そして、ケイがこの地の食材を使い、元の世界で培った技術で仕上げた、見たことのない美しい料理。
さらに、元宮廷魔術師のドリアン・アークライトが魔法で温度を完璧に保ったワイン。
彼は静かにグラスを傾け、皆の賑わいを微笑ましく見守っていた。
「素晴らしいわ…このワインの、この奥深い香りは一体…」
その声の主は、吟遊詩人のリラ・メロディアンだった。
彼女はカエランの隣に座り、リュートを膝に置いて、感嘆の声を上げる。
「ドリアンが魔法で保存していたものらしい」
とカエランが説明する。
「ああ、やはりドリアン様でしたか!私、いつかこの味を歌にしたいわ」
リラは、初めて会うドリアンにも臆することなく話しかけた。
その時、広間の扉が再び開いた。
入ってきたのは、砂漠の遊牧民の商人、ジラ「スパイスの織り手」だった。
彼女のまとうローブは、宿屋のろうそくの明かりに照らされて、七色の光を放っている。
「どうやら、宴はもう始まっているようね」
「ジラ!まさか君まで来るとはな」
とドルトンが驚いて声をかけた。
彼女は、皆に挨拶を交わすと、自分の荷物から小さな小袋を取り出し、ケイの作った料理にひとつまみ振りかける。
「ふむ…この料理には、少しばかり情熱が足りないわ。このスパイスをどうぞ」
ケイは戸惑いながらも、その言葉に従い、一口食べた。
「これは…!なんて奥深い香りなんだ…」
彼は目を見開いた。
そのスパイスの香りは、故郷の思い出を鮮やかに呼び覚ますような、不思議な力を持っていた。
しかし、その場に、まだ顔を見せていない者が二人いた。
一人は、幽霊屋敷の美食家、セレネ・ナイトシェイド。
そしてもう一人は、遥か東方の島国からやってきた凄腕の冒険者、ゼンだった。
セレネは、夜の帳が降りる頃、静かに現れた。
「おや、セレネ。来てくれたのか」
とグリッグルが声をかける。
「ええ…この宿には、忘れられた名家の料理人の微かな魂の残滓があるようね。彼らが作ったものを、どうしても味わいたかったの」
セレネは、少し青白い顔をしながらも、目の前の料理に手を伸ばした。
「このシチュー…使われているハーブの組み合わせは、もしかして、失われた王国のレシピかしら…?」
彼女は、まるで幽霊と語り合うかのように、静かに料理を味わっていた。
宴が最高潮に達した時、遠くから一つの影が歩いてくるのが見えた。
それは、東方の旅人、ゼンだった。
彼の纏う服は、この世界の者とは少し異なり、腰には武骨な短槍を携えている。
その穂先は、まるで彼の鋭い眼差しのように、月明かりを反射して光っていた。
「ゼン!待っていたぞ」
とカエランが立ち上がり、彼を迎え入れた。
「道が険しくてな。…それにしても、こんなに人が集まっていたとは」
ゼンは少し驚いたように、周囲を見渡した。
見知った顔もいれば、全く初めて会う者もいる。
彼の視線は、特にケイとドリアンに惹きつけられた。
ケイの持っている道具や、ドリアンの纏う魔力の気配に、彼は何か故郷とは違う、しかし不思議な「気」を感じ取ったのだ。
「貴方は…東方の者ですか?」
とドリアンが静かに問いかける。
「ええ、そうです。…あなたは、私の故郷にはない、不思議な術を使いますね」
「これは魔法。この世界の普遍的な力ですよ」
その時、ケイがゼンに話しかけた。
「あなたのその槍、とても手入れが行き届いていますね。故郷では、その槍でどんな獲物を捕っていましたか?」
「いや…俺の故郷は、これとよく似た道具で、魚を捌く」
「魚を…!なるほど…」
ケイとゼンは、互いの故郷の食文化について、熱心に語り合った。
皆がそれぞれの物語を語り終え、夜が更けた頃、カエランは立ち上がった。
「皆、今日は集まってくれて本当に感謝する」
彼は一同を見渡しながら、静かに話し始めた。
「俺は、長い旅路の中で、幾人もの『食』を求める仲間と出会ってきた。そして気づいた。俺たちが追うのは、単に空腹を満たすことだけではない。それは、その土地の歴史であり、文化であり、人々の心そのものだ。時には、故郷の味を思い出し、時には、新たな発見に胸を躍らせる…」
カエランは、手紙の真の意図を語り始めた。
「俺は、この『風見の丘』で、一つのギルドを立ち上げたいと考えている。名は『美食の探求者ギルド』。このギルドは、戦うためでも、財宝を求めるためでもない。ただ、ひたすらに、まだ見ぬ美味を追い求める、孤高の冒険者たちのためのものだ。お前たちのような、個性豊かな才能を持つ者たちが集まれば、この世界の『食』の真実に、もっと深く迫れるのではないかと思う」
カエランは、ゼンの方を向き、まっすぐな目で語りかけた。
「特にゼン。お前のような凄腕の冒険者がいれば、これまで誰も足を踏み入れられなかった危険な場所で、新しい食材や調理法を見つけられる。俺たちだけでは届かない場所に、お前は行けるんだ。そして、そこで見つけたものを、皆で分かち合うことができるだろう。お前のような、遠い故郷の味を知る者こそ、我々にとっての宝だ」
皆は、カエランの言葉に耳を傾けていた。
ドルトンは、古代の食文化の解明にこのギルドが役立つと確信した。
リラは、このギルドでの出会いや発見が、新たな歌の源になると感じた。
セレネは、忘れ去られた名家の料理のレシピを、このギルドを通じて探し出せると考えた。
そして、ケイは、このギルドが、元の世界に戻るための手がかりを見つける場所に、なるかもしれないと希望を抱いた。
ゼンは、静かにカエランに尋ねた。
「…俺も、そのギルドに、参加していいだろうか」
「もちろんだ、ゼン。お前のような、遠い故郷の味を知る者こそ、我々にとっての宝だ」
こうして、辺境の小さな宿場町で、11人の個性豊かな美食の探求者たちは、新たな旅路への第一歩を踏み出した。
彼らは、それぞれが再び旅立ち、それぞれの孤独なグルメを追い求めるだろう。
しかし、彼らはもう独りではない。
遠い空の下、どこかで同じように「食」を愛する仲間がいることを知り、彼らの心は温かな繋がりで満たされていた。
この世界のどこかで、彼らの新たな美食の冒険が、また始まろうとしていた。




