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第十話 異世界の地鶏と故郷の香り


 「はぁ……」


 ケイ・アズマは、大きなため息をついた。今日一日、この辺境の村で手に入れた食材は、小粒の芋と、やたらと硬い干し肉、そして見たことのない種類の木の実ばかり。


 元の世界で、彼はフレンチと和食を融合させた創作料理で名を馳せた腕利きのシェフだった。

 それが、ある日突然、見慣れない中世ファンタジー風の世界に放り込まれてしまったのだ。


 「なんで俺がこんなところで……」


 焚き火の煙が目に染みる。石を組んだだけの簡素なかまどで、彼は芋を茹でていた。  

 元の世界なら、スマートなIHクッキングヒーターと、最新鋭の調理器具に囲まれていたというのに。


 背後からは、村人たちの話し声が聞こえてくる。彼らはみな、ケイが初めて見る民族衣装を身につけ、焚き火を囲んで何やら楽しげに語らっている。

 言葉は、なぜか不思議と理解できる。まるで、頭の中に翻訳機が埋め込まれたようだ。


 この村に滞在して三日。なんとか食いつないでいるが、心の底から満足できる食事にはまだ出会えていない。

 香草の使い方も、火の通し方も、元の世界の常識とはかけ離れている。


 その日の夕食も、茹でただけの芋と、水で戻した干し肉をかじっただけだった。

 味気ない食事を終え、毛布にくるまりながら空を見上げると、元の世界では見たこともないような、巨大な月が浮かんでいた。


 「あー……ラーメンが食べたい。いや、握り寿司もいいな。カツ丼だって最高だ……」


 故郷の味が、募るばかりの郷愁を誘う。




 翌朝。


 ケイは、村の小道をぶらぶらと歩いていた。何か、この世界で「使える」食材はないか。そんな思いで、いつも周りを観察している。

 と、その時、彼の鼻腔をくすぐる匂いがあった。それは、どこか懐かしい、それでいて力強い肉の香り。


 彼が匂いの元をたどっていくと、村はずれの小さな小屋に行き当たった。

 小屋の中では、初老の女性が地面に焚き火を起こし、大きな鳥を丸ごと焼いていた。


 その鳥は、元の世界の鶏によく似ているが、一回り大きく、羽には鮮やかな虹色の光沢がある。


 女性は、ケイの視線に気づくと、にこやかに話しかけてきた。


 「あんた、旅の人かい? これはね、森で捕れたての『虹色地鶏』だよ。ここの村の、とっておきのごちそうだね」


 「虹色地鶏……」


 ケイは思わずつぶやいた。鳥の表面はこんがりと焼き色がつき、脂がしたたり落ちている。   

 食欲をそそる香りが、たまらない。


 「もしよかったら、あんたもどうだい? まあ、ちょっとばかり硬いかもしれんが、腹持ちはいいよ」


 女性はそう言って、焼けたばかりの地鶏を、木の皿に乗せて差し出してくれた。


 「あ、ありがとうございます……!」


 ケイは皿を受け取ると、我慢できずにがぶりと噛り付いた。


 「っ……!」


 予想通り、肉は硬い。噛み締めるたびに、顎が痛くなる。

 しかし、その奥に潜む肉の旨味は、想像をはるかに超えていた。


 野生の力強さと、凝縮されたような濃厚な風味が口いっぱいに広がる。

 まるで、何日も煮込んだフォンドボーのような、奥深い味わいだ。


 「これは……すごい」


 ケイは無意識に呟いていた。肉汁が口の中に溢れ、土っぽい素朴な香りが鼻腔を抜ける。


 「ちょっと塩気が足りないな……でも、この肉質なら、もっと色々なことができるはずだ」


 シェフとしての血が、騒ぎ始めた。


 「あの、おばさん、すみません! この鶏の、まだ残っている部分を少し分けてもらえませんか? それと、村で手に入る、何か変わった香草とか、ありませんか?」


 ケイは興奮気味に尋ねた。女性は目を丸くしたが、快く頷いてくれた。


 その日の午後。


 ケイは、村人たちが珍しそうに見つめる中、手に入れた地鶏の残りを前に格闘していた。


 「この硬さ……元の世界の『地鶏』とは比べ物にならない。でも、この旨味を最大限に引き出すには……」


 彼は、持参していた唯一の調理器具であるシェフナイフを研いだ。

 村人から譲ってもらった石で、丁寧に、刃を磨き上げる。


 「この世界の食材で、どこまでできるか……」


 彼はまず、地鶏の骨と身を分け、骨は小さな鍋に入れて煮込み始めた。

 沸騰したお湯に、女性から分けてもらった、見慣れない葉っぱと、どこかで手に入れた乾燥した木の実を投入する。


 「この葉っぱ、ちょっとローズマリーに似てるな……。木の実の香りは、なんだか柑橘系っぽい」


 感覚を研ぎ澄ませ、ひとつずつ匂いを嗅ぎ、指で潰しては味見をする。


 スープが煮詰まる間、彼は残りの地鶏の肉を細かく刻んだ。

 そして、村で見つけた石臼で、硬い芋を潰し、ペースト状にする。


 「よし、これでいけるはずだ」


 スープが十分に煮詰まったところで、彼は鍋から骨と葉っぱを取り出し、そこに潰した芋と刻んだ地鶏の肉を投入した。


 「火は……このくらいでいいか」


 彼は鍋を焚き火から少し遠ざけ、とろ火でゆっくりと煮込み始めた。

 時折、香草をちぎって加え、味見をする。


 「うん、悪くない。悪くないぞ……!」


 煮込み始めて数時間。鍋の中の料理は、元の世界で「ポタージュ」や「リゾット」と呼んでいたものとは少し違うが、とろりと滑らかな口当たりと、地鶏の濃厚な旨味が溶け込んだ、なんとも言えない香りを放っていた。


 「仕上げは……これだ」


 彼は、持っていた小さな袋から、ほんの少しだけ塩を取り出した。

 元の世界から持ち込んだ、数少ない調味料の一つだ。


 ほんの少しの塩が、全体の味を引き締める。




 夕暮れ時。


 ケイは、完成した料理を木の器に盛り付け、静かに村の広場に座った。

 村人たちは、彼が昼間から何かを煮込んでいるのを興味深そうに見ていたが、近づいてくる者はいなかった。


 彼はゆっくりと、一口分の料理を口に運んだ。


 「……!」


 言葉にならない感動が、全身を駆け抜けた。

硬かったはずの地鶏の肉は、芋のペーストと一体となり、驚くほど柔らかく、舌の上でとろける。

 濃厚な肉の旨味は、煮詰めることで凝縮され、野生的な風味の中に、どこか懐かしい深みが加わっていた。


 見慣れない香草の香りが、それらの味を優しく包み込み、後味には、どこか柑橘系の爽やかさが残る。

 それは、まさしく「故郷の味」とは違う。けれど、紛れもなく「美味しい」と断言できる、彼にとっての新たな傑作だった。


 「これだ……この感覚だ」


 目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、異世界に放り込まれた不安や、故郷への郷愁、そして、料理人として新たな可能性を見出した喜びが入り混じった、複雑な感情の雫だった。

 彼は、残りの料理を一心不乱に食べ続けた。


 一口食べるごとに、全身に温かい血が巡り、疲弊していた心と体が満たされていく。

 食べ終えた頃には、空には満月が輝き、周囲はすっかり静まり返っていた。


 「美味かった……」


 ケイは、空になった器をそっと撫でた。

 ふと顔を上げると、先ほどの初老の女性が、少し離れたところで彼を見つめていることに気づいた。


 彼女の口元には、優しい笑みが浮かんでいる。


 「よかったね、あんた。美味しいものが食べられて」


 女性はそう言うと、静かに自分の小屋へと戻っていった。

 ケイは、彼女の背中を見送った後、もう一度、空を見上げた。


 巨大な月が、優しく彼を照らしている。


 「この世界で、俺はまだ、知らない味をたくさん見つけられるかもしれない」


 彼の胸に、新たな熱が灯った。元の世界に戻るという目的は変わらない。

 しかし、その道のりで、彼は料理人として、この異世界でしか出会えない「食」を、とことん追求していこうと決意したのだ。


 明日は、どんな食材と出会えるだろうか。

 どんな未知の味が、彼を待っているのだろうか。


 ケイは、使い慣れたシェフナイフをそっと握りしめ、静かに夜の闇に溶けていった。

 



 彼の美食探訪の旅は、まだ始まったばかりだ。


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