5話 学食
初日は説明会ということで、午前中のうちに授業は終わった。
「ドロシー、フローラ。折角なので、学食へ行ってみませんか?」
本来ならもう帰ってもいいのだけれど、私はふたりを呼び止めて昼食に誘った。
学園には生徒なら誰でも利用できる食堂がある、という話をお兄様に聞いた時から、一度行ってみたかったのだ。
「はい、マリア様」
ドロシーは割と乗り気なようで、明るく頷いてくれる。
一方、フローラの方は残念そうな顔で頭を下げた。
「ごめんなさい。今日はこれから先約があって……」
「あら、そうですの?」
ということで、私はドロシーとふたりで学食に足を運んでいた。
在校生たちはすでに授業が始まっているようで、それなりに混んでいる。
適当に空いているテーブルの席に着くと、ドロシーが遠慮がちに言った。
「あの、マリア様はあちらに行かれた方が……」
彼女の視線の先には、他のテーブルとは区画を分けられたスペースがあった。
そこで食事をする生徒達は制服の胸元に校章を模ったブローチを付けていて、ざわざわと落ち着きのない一般生徒達もそのスペースには近づかない。
グランタニア学園に多額の寄付をしている家の生徒は、あのように特別待遇を受けられる制度があるのだ。
王室御用達の紅茶や菓子が振舞われる専用のサロンまであり、メンバーは卒業後も各方面に強い影響力を持っているのだとか。
そして彼らは、私としてはとても愉快なことに、ウリフィンクラと呼ばれている。
千年も前に起こった人と魔族の大戦争は、今やおとぎ話の類と思われているようだが、それでも至高の吸血鬼であった我の名はこの国でも伝えられているらしい。
「フフフフフっ」
思わずにやけていると、ドロシーが青ざめた顔で後ずさりした。
あらやだ私ったら、うっかり笑い声が漏れてしまいましたわ。
「私はお友達と一緒に食事がしたいのですわ。お兄様からお話を聞いて以来、この食堂で学友とランチすることに憧れていましたのっ!」
魔族は狩った獲物はひとりで貪るのが普通だったから、食事を共に囲むという人間独自の習慣は非常に興味深い。
ルンルン気分で使用人を呼び出し、慌てて椅子に座ったドロシーの分と合わせて注文する。
鼻唄を歌いながら待っていると、だだっ広い食堂の入り口の方が俄かに騒がしくなった。
黄色い声を上げる女子達の視線の先には、ツンとした印象を与える怜悧な面差しのイケメン男子がいる。
隣にはサラサラの髪と優しげな目元が特徴の美少年。
ふたりは連れ立って学食のウリフィンクラ専用区画へと歩いていった。
「レオンハルト王子だわ!ああ、素敵……」
「お隣にいらっしゃるのはもしかして、公爵家の御曹司であるルーク様じゃないかしら」
「まあ、社交界でも滅多にお目にかかれませんのに、今日はツイてますわね……!」
そこかしこから女子生徒達の囁き声が聞こえてくる。
どうやらあのふたりは女子の間でかなり人気があるようだ。
「ねぇ、話しかけてみない?」
「ええ?私、殿下の目を見ながら会話できるかしら」
「ちょっとそこ、抜け駆け禁止よっ!」
人気が行き過ぎてにらみ合いが発生していた。
レオンハルトとやらが一瞬だけ周囲を疎ましそうに見ると、それも甘い悲鳴に上書きされる。
私はツイと正面を向いた。
「ドロシーもああいう人が好みなの?」
「ぅえ!?あ、いや、カッコイイとは思いますけど、私には眩しすぎて……」
ドロシーは食事の手を止めて伏し目がちにしている。
彼女のような大人しい生徒からすると、あのふたりみたいな有名人と関わるのはメリットよりリスクの方が大きいのだろうか。
「……そういうマリア様は、どうなのですか?」
「どう、とは?」
「その……つまり、あのお二人に想いを寄せていたりは……」
「もちろん、素敵だとは思っていますわよ?私など恐れ多くて、お近づきになろうとまでは思いませんが」
前世の記憶を取り戻す前のマリア・ルーベンスなら、きっとあの輪の中に混ざってはしゃいでいたに違いない。
実際、お母様の付き添いで参加した社交界で彼らの姿を見かけた時は、色めき立ってお近づきになろうとした記憶が残っている。
魔族の世界では強いものが偉いというのが当たり前だったので、人間社会の権力争いというものに興味はある。
だがしかし、立場あるものにすり寄って地位を築いては、大魔王の名が廃るというもの。
我は自分の力で王道を切り拓くのだ……!
野心に目を濁らせた私に気づかず、口先だけの謙遜を真に受けたドロシーが、慌てたように首を振った。
「そんな、マリア様だってあの方達と同じ、ウリフィンクラの一員なのですから……っ」
ドロシーはたぶん好意で言ってくれたんだろうけど、その言葉を聞きつけた周りの女子生徒達がギンッと私に眼光を向けた。
「ウリフィンクラですって……」
「王子達に近づきたくて、でまかせ言ってるんじゃない……?」
「でも、あのブローチ……」
「うそ、それならどうして一般席にいるの……?」
「きっとあの地味な子をいじめてるのよ……」
ヒソヒソと囁き声が交わされ、嫉妬混じりの視線が私達のテーブルに殺到する。
周囲の好奇の眼差しに気づいたドロシーが肩を縮こまらせる中、私は黙々とスープを匙ですくって口に運んだ。
かつて海千山千の魔族達との戦いに明け暮れていた頃なら、こんなふうに値踏みされるのは日常茶飯事だった。
玉座について以来、すっかりぬるま湯に浸かりきってしまっていたので、こういうねっとりとした悪意を向けられるのは久しぶりで、実に心地いい。
上機嫌で食事を続けていると、ドロシーが尊敬の目で見てくる。
「……マリア様は、強いんですね」
「そうかしら?おほほほっ……」
まさか魔王だった前世を思い出していたなんて言えるはずもなく、私は笑ってごまかした。