第二話3 夢の向こう側
男二人、ただひたすら進み続ける。俺が先導し、ヤツはその数歩後ろでついてくる。空は崩れ続けている。
「……はぁ、お前これ、いつまで歩くん?」
「さぁ」
タバコを吸う気にもなれなかった。ただ引き寄せられるように歩く。
「俺はお前の勘を信じてるけどさ、それにしたって大丈夫か?取り憑かれた……とかじゃないよな?」
「安心せぇ、俺はお前の知っとるクズや」
「さよか……」
「大体もしそうなら分かるやろ、お前は」
「せやけども……」
結局この確認も、イヌにとっては体裁上聞いているだけで、俺が正常なことは分かっているはずなのだった。理屈では俺をおかしいかもしれない、と疑いつつも、彼の目からは、彼の心の内からは、俺が俺であることを理解している。彼が疑っているのは彼自身であろうと思った。
しばらく歩き続けていると、少し都市部を抜けた。高いビルがあまり立たない……とは言ってもまだ都会ではある場所。俺は普段から運動をするタイプじゃなかったため、足が棒のようで、息も上がっている。それに昨日の朝からろくなものを食べておらず、今朝食べた茶碗半分ぐらいの白米だけで動いているので、体力的にももう限界だ。
それでも歩き続けた。
「……おぶろっか?」
「きっしょ。大丈夫やって」
「ほんまに?すんごい顔色悪いで?」
「あと少し……あと少しやから」
そこまで言って、遂にその場にしゃがみこんでしまう。眩暈がして、歩いていられなくなってしまった。
「おい!クズ!何しとんのや!」
イヌのその声も遠く感じる。あと少し、先に……
「……ああああああ!わかった!あとちょっとなんやろ!」
次の瞬間、身体が持ち上げられた。
「真っ直ぐだよな?」
「うん……」
吐き気がする。意識が朦朧とし始めた。これって本当にただの空腹のせいか?本当に、この距離を歩いたせいなのか?それにしては……
「おいクズ!しっかりせぇ!お前がちゃんとしてないと道わからんやろ!」
「……」
「癪やな、じゃない!何か言え!
俺の方向音痴をナメるなよ!」
ナメてねえよ、そうだったなこんちくしょう。
「その先、左……」
「よし!左やな!」
カーナビかな?
あまり身体を揺らさないように配慮しているのか、静かに走っている。それでも気持ち悪くなって呻く。
「何や!?」
「……気持ち悪い」
「しっかりせぇ!」
てか声うるさいねん……
「……って行き止まりやん!戻るぞ!」
「あ……イヌ、止まれ、ここ……」
「ここ?ここが安全なんか?え、どゆこと?」
路地裏の奥。なぜだか分からないけど、ここだと分かる。
「……ほんまに、ここにおればえぇんか?」
「ここ、に…………」
ゆっくりと身体を下ろされた。安堵し、次の瞬間猛烈な吐き気が襲い、その場で吐く。
「お、おい!ほんまに大丈夫か!?」
「うっさい……」
「あごめん」
全然悪びれてない。
まだ消化されていない白い点が辛うじて見える。腹のものを全部吐き出してなお吐き気は止まらず、吐くものなんてないのに嘔吐く。
イヌが何もすることがなくなって、手持ちぶたさにその辺を探索し、何も無かったことを確認したあと、俺の背をさすり始めた。友人が苦しんでいるというのに、全くもって打算的なや――
「ごほっごほっごほっ……うっ……おぇっ……」
「大丈夫か?どうしよっか」
苦しい。
イヌはこうしている間にもちゃんと周囲を見ている。
心臓の音がやけに大きく聞こえた。汗が止まらない。何?何だこれ……
何か大きな物が動いているような違和感。
「ごほっ……え?」
赤?赤い?
「あぁー……喉が傷ついたんやな。なんでや?」
なんでお前はそんな冷静でいられんねん。
「なんや……苦しそうやな。ここおんのよくないんちゃうか?」
ようやくこっちのことを心配し始めた。
「……夢」
「え?」
「今朝……変な夢を、見た」
どうして唐突にこんな話をしだしたのか自分でも分からなかった。いつもなら何それ、って冷めた返事をするはずのイヌも、何故か黙って聞いていた。
「……霧の中を、歩いてて。
……声が、聞こえて。
…………石を拾った」
「石?これか?」
イヌが何かを差し出してくる。横目に見ると、大きな手に白い石が握られていた。夢で見たのと、同じ石。
「そう、それ……」
俺はその石を手に取った。
「これさっきお前のスーツの懐から出てきて……」
そう言ってイヌは息を飲んだ。そして自分の上着の懐に手を入れ、固まった。
「…………イヌ?」
イヌの額から汗が流れた。
「……どしたん、イヌ」
掠れた声で呼びかけてみればゆっくりと首を横に振った。
「……何でもないねん」
「……イヌ?」
「何でもない」
頑なにそう言う。
「……イヌ、お前は……お前はさ、この世界でやり残したこと、ある?」
自分で何を言ってるのかわからなかった。イヌは黙り込む。しばらく黙ったあと、自分のタバコを取り出して口に咥えて、小さく呟く。
「………………王に」
乾いた唇が動いている。
「……王に、なって……それで……」
「……それで?」
「それで」
イヌがそう言った瞬間、大きな音がして、意識が暗転した。
目を覚ます。小鳥が鳴いていた。空がやっぱり青い。木々が揺れている。風が心地よく流れ、陽の光が揺れ……
「……どこやここ!?」
ようやく飛び起きる。そこは森の中だった。夢か、と思い腕をつねるが痛い。現実らしい。
「……は?」
じゃあここは何だ?確か俺は……空が崩壊し始めて、翔と一緒に逃げて、でも最終的には欠片に潰されて……あ、死んだのか?死ねた、のか?
「もしもし、何をしてるんですか?」
「わあっ誰!?」
突然声を掛けられて振り向くと、少女が立っていた。黒髪赤目の少女だ。右耳にイヤリングをつけている。肌が白い、異端者か、と思ったが痣が見えないのでよくわからない。
「びっ……くりした、なんや君……」
「いや、貴方こそ何ですか。巫山戯てるんですか?その取ってつけたような反応は」
「いや、巫山戯てるのは君の格好だと……」
「それは随分な口の利きようですね。その様子じゃあ心配の必要も無さそうで」
少女はゲームのRPGに出てくるような服装をしていた。ちょっとボロボロの、中世ヨーロッパみたいな服装。腰には剣をさしていて……
「え、剣?」
「そして変な格好なのは貴方ですよね。……あぁ、そうですか。なるほど……」
少女は勝手に納得し頷いて、こちらに向き直った。
「説明も紹介もまだでしたか。私はベルゼ。ベルでいいですよ。
クズリュウユイト、でしたっけ?」
「え……何で、名前、知って……」
「こんな森の中で寝るなんて、逃亡者にしてはバカですね」
「バカ!?逃亡者!?」
なんのことだか分からずそう言い返すと、苦笑された。根はいいタイプ、の子だ。後ろに悪い大人がいるのが透けて見える。
「……あぁ、とりあえず街の方まで行きますか?」
「え、でも俺逃亡者なんやろ?あ、さてはお前……俺をつき出そうって言うのか?」
「…………」
ベルゼはあからさまにめんどくさそうな顔をした後口を開いた。
「……まぁ、じゃあとりあえず近くの村まで行ってみて、暗くなったらそこに紛れこみましょう。どの道こんな森の中で夜を待っていたら、吸血鬼とか悪魔とか魔獣とかに襲われちまいます」
「……吸血鬼に悪魔に、魔獣?……そんな非現実的なこと……」
言ったあとぱっと頭に浮かんだ言葉があった。
『異世界転生』……?
全く興味無くて詳しいことは分からないが……確かそんな言葉があった気がする。こういうオタクっぽいのは霧生と……霧生の、分野だ。
「……非現実的なこと?」
「いや、何でもないねん。よりにもよって俺がそんな危ないヤツらに会うわけないやんって……」
何となく隠さないといけないような気がして隠してみると、ベルは微かに笑った。どこか馬鹿にしたような笑みだった。
「そんなに油断していたらすぐに死んでしまいますよ?……まぁいいや。とりあえず飯と寝床と、あと対抗手段もお前は手に入れなくちゃいけないんです。それからその服をどうにかしなきゃですね。
安心なさい、逃亡者のことを知っているのはごく一部の権力者だけです。見つかったとしても怪しまれるのはその格好だけ」
「……お前は、何なん?案内人……みたいな感じか?」
そう言うとベルは、は?と軽蔑をこめて聞き返す。
「誰が他人の世話なんかできるかよ。純粋に、逃亡者を見つけた場合、行動は二択なんです」
ベルは指を二本立てる。
「二択?」
「そう。王国に通報するか、保護するか。放っておくっていう選択肢はないんですよ」
「……何で?だってその方が楽やん」
「見たのに通報しなかったら、どうせ処罰されるから王国側につくと決めてるやつは普通通報するんですよ。その方がリスクも低いから。で、じゃあその他のやつはどうするかって話なんだけど……王国側についてないやつってのは、大抵何かしらの団体に属してるんです。一般市民じゃないってことでして。そうじゃないと王国の処罰を受けないという自信や、受けてもいいって言う覚悟はない、と。
例えば西の道化師達。あいつらは王国転覆を狙っているからその為に逃亡者を保護すると思います」
「だから何で保護すんねん」
「そういう団体って、大体宗教が絡んでくるんだよ。所謂偽善……こほん、慈善団体」
偽善団体というパワーワード。後ろに悪い大人がいるのが透けて見える……。
「まぁ……言いたいことはわかったわ……そういう奴は確かに教えに従って助けたりしそうやな、命より使命。で、お前はどっちなん?」
「どっちでも。どちらかといえば、宗教団体側ですかね。ただ少し違います」
こういうのに属してるやつって、たいてい違うって言うんだよなぁ。
「私が属しているのは団体じゃなく、個人でして。……まぁあなたに話す義理はありませんが、逃亡者を保護する、というのは倫理観や宗教観じゃなくて個人の命令。安心しろ、お前を安全に案内するつもりは無い。くたばりそうだったら埋めてやるよ」
最後の方は随分力強く、ベルは言い放った。実は口が悪い……のかな。礼儀正しいからまだ好感持てるけど。
「あぁ……お気遣いどうも。ただ俺はここで一人で死のうと思うからお気になさらず」
「……話を聞いていましたか?」
光の差していない赤い目がじっとこちらを見た。濁っている赤じゃない。異端者とは違う赤。
「これは主の命令です。貴方がどうであれ、私が逆らうことは許されていません。貴方を無事保護し、この世界で生活できるようになったら、しっかりと……」
「……しっかりと、何や?」
急に口を噤んだので、聞き返すと、大きなため息をつかれた。
「よく考えたら、どうして初対面の相手にここまで喋らなくちゃいけないんだろ……」
随分とわざとらしいことだ。この子も俺らほどでは無いが……日常的に嘘を使うタイプの子らしい。
「主の命令なんちゃうんか?」
「主の命令は、貴方を無事保護することからなんです。死ぬのは簡単でしょう?でも生きるのも、思っているほど大変じゃない。ならちょっと頑張って私の手伝いをしてくれませんか?必要なものはある程度用意しますから」
「うーん……」
ほぼ習慣的に、ポケットからタバコの箱を取り出す。箱を開けると、タバコは数本しか入っていなかった。
「……タバコ」
「たばこ?」
「……この世界って、タバコある?」
一本取りだして口にくわえて、そう言う。火をつけると、ベルゼはあぁ、と呟く。
「それか……似たものなら、いくつかあるかな……」
「……じゃあ気に入ったの見つけよう。それが見つかるまでにこの箱の中のタバコ吸い終わったら、俺死ぬわ」
「はいはい。そのたばこってのを探せばいいんですね」
うんうんとベルが頷く。
「……ベルゼって、ベルゼブブのベルゼ?」
「べるぜぶぶ……?」
「あ、知らんの?」
「……名前の由来かぁ……主がつけてくれたから、分からないなぁ……」
「大体主主って、あんたさんは人間とちゃうの?」
「違いますよ?」
ちゃうんかい。そんな気はしてたけども。
「って言うか君、変な喋り方しますね?」
「喋り方って?関西弁?」
「……かんさいべん……うーん……なんか、ちゃう、とか」
「あぁ、関西弁やね。……でも、意味はわかってるんや」
「身近にいますからね」
さて、とベルは言葉を切った。




