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第二話4 境界

<turn the page>

 許してほしいと、願ってしまった。


 気がつくと見知らぬ場所に立っていた。ここはどこだろう、どこか肌寒いような、それでいてあたたかいような……いや、寒い。どう考えても寒い、肌を刺す寒さに思わずさっむ、と勢いよく叫び腕を摩る。

 大声を出して気を紛らわせる。そうしていないと、気怠いし、薄暗いし、とんでもなく眠い。

「……疲れた」

 思わず、そんな心の声が漏れた。口に出していた。アカンな、俺が心の内を漏らしたりなんてしたら、どこで聞かれているか分からないのに。脳裏に過ったヤツの瞳に顔を顰め、頭をゆるく横に振る。気持ちを切り替え、辺りを見渡す。流れる水の音、それでいて無臭。不自然な視界……幻覚、あるいは妄想か。

「臨死体験……よくある死の淵、ってとこか」

 ならば。ならばここには叶はいない。幾分かやり易いだろう。無意識に乾いた笑いをこぼして、ぼやけた視界をまっすぐ前に向ける。

「……ほな、しゃあないもんなあ。潔く渡ったろ」

 必死でやってきた。死ぬ気で生きてきた。どうしても死ぬわけにはいかなかった。けど、死んでしまったなら仕方ない。

 もう、いいか。そう呟いて、足を一歩前に出して、目の前に現れた浅瀬を渡ろうとしたとき、腰の辺りをぎゅっと掴まれた。服を引っ張られたのだ。どうやら、小さな手に。

「……え?」

 振り返ろうとして、振り返ることができないことに気づく。やはり意識空間は例に漏れず縛りがあるらしい。魔力で作られた空間でもそうだ。異世界の特性なのか、魔力を有した影響なのか、分からないが少なくともこの世界でのルールはそう。

 いや、しかし死の淵(ここ)はそういう類のものではないだろう。死の世界に個別の所有があっていいはずがない。強いて言うなら死の淵なのだから俺の意識空間だが、そういった感覚はない。……待て、小さな手?

 冷静に分析していると、ふと一つの考えに至りハッとする。俺は振り返らないまま――どうしても振り返れないまま――小さな声で訊ねた。

「……まふゆ?」

「……」

 こく、と。頷いた。気配だけだったが、そいつは頷いた。息が詰まる。感情がどっと押し寄せる。声が震える、視界が歪む。

「……まふ、ゆ……ごめん、俺は……」

「王になるんや、なかったんですか?」

 はっきりとそんな声がした。


 記憶の中の彼は、いつも怯えていて、優しくて、お人好しで、寂しがりだった。いや、それらの記憶だって紛れもない事実なのだが、そんな記憶ばかりが浮かぶのは、俺が彼の死に対して負い目があるからで、あるいは弟可愛さ故の補正ありきで。実際のところは割と、随分。

「何こんなとこでへこたれてはるんですか。ノロマ、ヘタレ、酒カス。酒弱いくせにアホみたいに飲まんでくださいよ、アホなんですね、犬畜生よりも」

 気が強くて、毒舌で、真面目で、強がりだった。あぁ、だからあの日、俺達は……

「だからそれも、いつまで負い目に感じてるんですか。僕は全然恨んでないんですよ。そうやってすぐ湿っぽくなる、いい歳して。くっそダサいですよね」

「――っ、恨んでないって……そんなん嘘や。恨まな……自分が死んだことを、仕方ないなんて、思ってえぇわけないやろ!お前自分が死んだ日のこと、忘れたんか!!」

 あぁ、齢八歳にしてあんな死に方をした子に、今自分を励まそうと態々現れてくれた子に、俺はどうして声を荒らげているんだろう。この子が怒鳴り声が嫌いなこと、分かってたじゃないか。この子が何を恐れていたかぐらい、分かっていたはずなのに。

「……えぇ、忘れましたよ」

 この子がどれだけ、優しい子かも。

 息が詰まる。背中にため息を聞く。

「それに、僕やってあんたのこと、よーく分かってますよ。あんたの弟ですからね。

 いいですか、耳かっぽじってよく聞いてください。最愛の弟からの言葉ですよ」

 かつての、“いつもの”調子で、真冬は続ける。

「僕は、死んだことも、やり残したままできなかったいろんなことも、その他後悔や理不尽も、仕方がなかったなんて思ったこと、ありません。……でも、もうそんなこと考えたって意味ないじゃないですか。僕がこんなふうに、あんまりあの件で怒ったり、泣いたりしてないのは、そういう諦めからなんです。“異端者だから”やなくて、でも、もう死んでしまいましたから。ただそれだけなんですよ」

 真冬は静かにそう言う。そんな、こと……

「あんたがありえへんくらい物分りの悪い、一芸も仕込めへん野良犬風情やってことはよく知ってるんで。分かってもらえるまで何度でも言います。僕はあんたのこと、恨んでなんかいませんよ。憎しんだりもしてません。僕はあんたのことが大好きですから」

 俺は顔を覆う。間もなく嗚咽を漏らしてしまう。真冬がぎゅっと服を握る。

「……はぁ。三十三歳にもなって、何を泣いてるんですか、みっともない。……王になるんじゃ、なかったんですか?」

「……なる」

「うん、よし。後のことは、まぁ皆さんがどうにかしてくれますよね」

 真冬はよく分からないことを小さく呟く。そうして、ごまかすように続けた。

「……貴方の方こそ、僕のこと忘れないでいてくれて、ありがとうございます。あの日のこと、忘れろとは言いません。その方が酷でしょ。ただ、僕は忘れました。それだけ伝えておきます。

 背負いたいなら背負って生きてください。悔やみたいなら一生悔やんでおけばいいです。ただ、恨め憎しめはもうなしですよ。あんたに決めつけられると腹が立ちます」

「ふははっ……あ、相変わらずやなぁ……」

「……。元気出せや、元気だけ取り柄なんやから。ほら、叶さんが寂しがってますよ」

「あいつは別に、寂しがらへんやろ」

「いえ、あの人は実は寂しがり屋なんです。あんたと同じで」

 成人男性がこんな小さな子に諭され、寂しがり屋と判を押される。情けないったらありゃしない。

「ありゃ、喋りすぎましたかね」

「ありゃて……せやな。もう充分やで」

 そう言うと、真冬は安心したように笑った。

「……必ずしも前に進む必要はありません。目の前は崖かもしれませんし」

「彼方側かもしれんしな」

「真っ直ぐじゃなくてええから、必ずどこかには進んでください。まぁこれは受け売りなんですけどね」

 小さく笑う声が聞こえる。……あぁ、本当は。

 前に進んでしまって、お前に会いたいよ。本当はもっと謝りたいし、喋っていたいよ。お前を、愛するお前を抱きしめてあげたいよ。

 本当は俺には、それだけでいいのに。

 俺はこの二十年と少しの間、ただずっとそれだけが全てだったのに。ずっと、ずっと俺は……

 死んでしまって、お前に会いたかった、だけやのに。

「我儘な王は民草に嫌われますよ」

「どこでそんな言葉覚えたんや」

「ほうら、さっさと行った」

 とん、と。真冬は俺を押した。

 俺の意識空間だ。前に進んだところで、死んでしまうとは限らなかった。とん、と押されたのは後ろで、その瞬間、真冬は前にいた。空間の歪みのこと、真冬が此方にいたこと、いろいろと聞きたいこと、気になることこそあれど、それを聞く暇も、考える間もなく。

 俺はどこかに落ちていった。

「……あぁ……真冬、お前は……」

 最後の瞬間、小さく笑って、僕はいつでもそばにいますから、なんてかっこいいことを言ってくれた彼はしかし死んだ時と同じ風貌で、どこか儚げで。寂しげで、どこかまだ助けてほしそうに見えて。それはきっと、俺のエゴでしかないのだけれど。一緒にいたいという、俺の気持ちでしかないのだけれど。現実からすれば、ただの俺の妄想なのかもしれないけど。それでも、俺はその一言に、救われた。真冬のような子供を、救わなければと、そう誓った。

<turn the page>




〈behind the scenes〉


「……行っちゃい、ました」

「……そうだね」

「……瑠美さん、死んだ人の心は、成長するんでしょうか」

「……しないんじゃないかな。死んでしまったら、生きていることによって得られる恩恵は得られないだろうから。……せやから、君がそうやって寂しく思って、泣いてしまうんはね、当然のことなんよ。責めなくてもいいの」

「……泣いてません」

「そういうとこも」

「泣いてるとしてもちょっとです」

「はいはい」

 女は優しく、愉快そうに笑う。少年は不貞腐れたように俯いた。

「……いつでも傍にいる、か。まるで立場が逆になっちゃったね。まるで真冬くんがお兄さんみたい」

「……翔さんは、いつまで経っても、僕の大切な兄です。かっこ悪くて、クソみたいな、無駄に腹の立つ、兄です」

「あっはは、真冬くんごめん君そんなキャラやったっけ?」

「皆さんの記憶に残ってる僕が綺麗すぎるんですよ。早死にしたんで。……でも、そっか。無事帰ってくれましたか」

「そうだね。さて、じゃあ計画の続きを執り行おうか。神に負けないために」

「勝つために、です。行きましょう」

「余韻も何も無いなぁ……まぁいいや、行こう」

 二人はてくてくと歩いていく。人知れず、神知れず。




-red record-

 少しぼーっとしていた。先程まで転寝をしていた。懐かしい声が聞こえた気がしたのだが。あのときとは違う。あの時はもっと明瞭だった。今のは、入りきってないような。何だろう、寝不足か。幻聴が聞こえるなんて。空耳に求めるほど聞きたい声なんて、無いはずなんだけど。強いて言うなら、あの、いつも通りの……

「……叶」

 その時、掠れた声がした。はっとその方を見て、目を見開く。雨上がりの水溜まりの上澄みに映ったような、否定しようがないほど美しい青空が二つ、瞼の下にくっきりと、小さく切り取られて閉じ込められていた。鏡面のような、人魚の鱗のような、澄という字をそのまま具現化したような、どうしようもないもはや暴力とも言えるような双眸がこちらを見つめている。震える声で、その名を呼ぶ。

「……翔?」

「イヌ、な。せやで、おはよう」

 じっと俺の目を若干不思議そうに見ていた翔が気を取り直したようにそう答える。

「……お、お前……俺が、わかるか?」

「今呼んだやろ、脳みそ腐っとんのか」

 この野郎息をするように暴言を吐きやがる。呆れる間もなく、俺はがたん、と音を立てて椅子から立ち上がり、握っていた手を離して額に触り、熱を軽く測ったり、いろんな所を触ったりして異常が無いことを確認すると、自分でも忙しないなと思うほど急に力なく椅子に座った。安心していた。この感情に疑問を抱く余裕すらない程に。

「……叶?」

「……っ、よかった……」

 そう言って、片手で自身の目の辺りを押さえる。

 あぁ、なんか、変だな俺。心の中でそんなふうに言って思わず苦笑する。その様子を翔はまじまじと見つめていた。

「……叶、お前……」

「ちゃんと喋れるみたいやな。脳にもそんなに異常はなさそうや」

「……俺が怪我したの頭じゃないやろ」

「回復魔法にはいろいろと副作用があっておかしくないってヒナちゃんが……せや、ヒナちゃん呼んでこな」

 ふらっと立ち上がり、扉を開けベルを鳴らす。その様子をぼんやり眺めていたイヌが揺れるベルを見て口を開く。

「……叶、ここってもしかして、鏡村?」

「ん?せやで。ヒナちゃんの治めるとこの村」

「……叶、あのさ」

「聞きたいこといろいろあんのはまぁ分かるけど俺に聞かんといて。ヒナちゃん来るやろうし」

 俺がそう言った時、丁度ヒナがやってきた。ヒナに軽くイヌの様態を伝えると、ヒナと入れ替わるように外に出る。

「……たばこ」

 ポケットからターフを出して火をつける。ようやく、吸えた。ようやく息ができた。

「仕事終えた後の一服は堪らんなぁ……」

 ぼや、と視界がぼやける。あれ……疲れ目かな。目を擦り背伸びをして外の空気を吸いに行く。お外は危ないからね、ベランダにでも出よう。




<turn the page>

 叶と入れ替わりに入ってきたヒナが大きくため息をつく。ついてから、こちらに歩みを進める。ヒナはそのまま俺の所へ来るかと思いきや途中で立ち止まり、その場に膝をつき、跪き、頭を垂れた。……頭を下げたのだ。

 信じられない光景に正気度が削れたような思いをした。起き抜けに最大出力で叫んで驚いて、危うくベッドから転がり落ちるところだった。

「はぁ!?なっ……え!?どうしたんやヒナ……」

 流石に驚きすぎだろう、とヒナは呆れた目をして返す。

「やって……ほら、長が……悪魔の長が頭を下げるなんて、普通の事じゃないやろ」

「軽く頭を下げただけだろう。礼を言ったり謝罪をしたりするのもおかしいか、アンデッドより脳のない戯けめが」

 こいつ息を吸うように暴言を吐きやがるな。

「はて……お前何故心当たりがないのだ?記憶でも失ったか?」

「それはない……と思う」

「お前気を失う直前のこと、覚えているか?」

「覚えてるけど……

 って、まふっ……ちげぇ!ライム君は!?」

「煩いな、寝起きでよくそれだけの大声が出せたものだ。この野良犬が」

 ヒナは膝をついたままそう吐き捨てる。行動と言葉が一致していない。死んでも狐に感謝されないぞ、情緒不安定かお前。

「ライム君は!?知っとるやろお前」

「とっくのとうに起きて今は一人気ままに」

「ヒナさん!!!」

 ヒナがのうのうと喋っているとライムが中に入ってきた。ヒナやクズがカスのクズであるために相対的にも比較的まともな位置の扱い


「カケルさんが起きたってほんっ…………ヒナさん?」

「ぶふっ」

 跪くヒナに驚きを隠せず慌てるライムに、思わず吹き出してしまう。しかしそれで俺に気づいたライムがヒナの斜め後ろに跪き、頭を下げた。

「……なっ……なんなんお前ら……揃いも揃って……」

「だから何で心当たりがないんだ。お前ライムを命懸けで守ってくれただろ。うちの村の悪魔を助けていただいた。改心していることを、身をもって証明してくれた」

 ヒナがそう言う。俺は、引っ掛かりを感じ、顔を顰めた。

<turn the page>




-red record-

「……ふぅ」

 俺はどうしてしまったんだろう。ターフの煙を吐きながらそう考える。まともじゃない。かなり寝ていないからか気が触れたのかもしれないな。

 少し目眩がした。身体が限界を迎えたのかもしれない。何徹してたっけ……あと何徹しなくちゃいけないんだっけ……

 いや、イヌはもう起きたし、手伝うことももうないだろうからいいか。俺、社畜だなぁ……

「……あいつ、泣いてたな」

 イヌが起きる前のことを思い出す。あいつの頬を涙が伝って、それで……その辺りか、俺が転寝してたのは。

 あいつは何を見たんだろう。あいつには何があるんだろう。俺にない何か。俺は……

 ターフの味を一瞬感じなくなり焦る。息、息、息をしなくては。死んでしまう。……いや、それぐらいいいか。何を恐れているのだろうか。死んでいいはずなのにな。生に価値がないように、死にも価値はないのだ。死ぬことは重要じゃない。生きることが重要じゃないように。……うん、いつも通りだ。俺はいつも通り。

 俺は変わらない。

 隣でライターの音がした。見ないままでいると、俺の吸っている物とは別のターフの匂いがした。

「……それ」

「ん?」

「前回の世界でお前が吸ってたのに匂いが似てるな」

「……せやな。だから吸ってる」

 お前のもやで、とイヌは言う。

「お前のも、昔お前が吸ってたやつに似てる」

「……でも、違ぇよ、全然」

「違うんだ」

「あぁ」

 煙を吐く。

「俺は喫煙愛好家だからね」

「せやな」

 隣で息を吐く音がする。

「お前……看病のために何日も寝てないらしいな」

「何かすると寝なくなるタチなもんで」

「せやな。昔からそうや、お前は」

 イヌは悪態をつくように吐き捨てる。機嫌悪くされる意味がわからない。感謝しろよそこは。少しは。カス。

「どうでもいいことに、首を突っ込みはせんけどずっとついてきよる。生も死も軽んじるから無理も平気でする」

「そうやな。我ながら悪い癖やなぁとは思ってるよ」

「……それがお前のえぇとこやと、俺は思うけどな」

「は?なんや急に、気持ち悪い」

「せやな……ええ歳こいた成人男性二人でする会話ちゃうな」

 イヌが煙を吐く。その仕草に思わず見惚れる。黙っていれば、その瞳の色に相応しい所作と造形の良さを見ることができる。黙ってさえいれば。俺の視線に気づいたイヌが、視線の意味には目を瞑ったまま望まれていない口を開く。

「なぁ叶」

「ヒナちゃんとの話はついたん?」

「……まぁな。良い国を作る為、また協力することになった」

「ハ、良い国を作るため、ねぇ……とんだ朴念仁やなお前、ヒナちゃんはお前を王にする為に力を貸すって言ってるんだよ」

「わかっとる。

 せやから叶、俺はお前を」

 それからイヌは一拍置いて、

「英雄にする」

――そう言った。

「……は?」

 我ながら間抜けな声を出してしまう。空に空いた穴のような、果てなく続く空白のような空色は真剣にこちらを見つめていた。

「……お前……お前、病み上がりでとうとう頭おかしなったんか?」

「なってないで」

「まああれだけの怪我やったらなあ仕方ないわ。ずいぶん寝こけとったしそら頭もおかしなるな」

「なってない言うとるやろ灰皿に漬けるぞ」

「なんちゅう具体性のない脅しやねん」

 大きくため息をつく。依然、奴の瞳はこちらを見つめている。ガラスのようで、鏡のようで苦手だ。

「英雄って……なんや、俺を犠牲にして、叶、お前は善い人生を送ったよ、俺たちの英雄やって祭り上げるつもりか?」

「被害妄想甚だしいわ」

 ちゃうちゃう、とイヌは首をふるふると横に振り言う。耳が僅かに動く。久々に見た、奴の癖。

「まぁ、今は言葉の意味なんてわからんでもいい。言わずともお前、ついてきてくれるもんな?」

「……性格悪いな。行くことわかってて言うもんなそれ」

「お前それと同じ手法を王都で俺に使ったこと忘れてへんやろうな」

「……ほんまや」

 そう言って一緒に笑い出す。やり口が一緒やったわ。

「はいはい手伝いますよ、どうせ面白みのない余生や、せいぜい善いもんを見してもらおうやないか」

「よし、それでいい」

 イヌは満足気にそう言う。煙草の火を消し、俺の方に手を置く。

「まぁまず休め。俺はこの通り元気や」

「まる二ヶ月目を覚まさなかったとは思えんくらいにはな」

「せやな!」

 あーっはっはっはっ、とイヌは高笑いをする。悪態をついたつもりだったが、既に二ヶ月というのは知っていたようだった。ヒナに先を越された。驚くこいつの面を見てみたかったものだ。

「しかし元気そうで何よりやな」

「てことで明後日出発する」

 ケロッとした顔でイヌがそう言うのでドン引きした表情をそのままお届けする。

「正気かお前……」

「ハッハッハーッ、お前に言われるとはなぁ……

 ま、とは言っても。何も無ければの話やからなあ、プランAってとこや。そんで多分延期になる」

「……というと?何かあるん?」

「あると思う」

「どこに?」

「お前に」

 なんやそれ、と笑おうとすると身体が傾いた。振り返り柵に背をもたれかけようと足を動かした瞬間だった。足に力が入らず、視界が定まらず、あっという間に暗転する。

 ほらー、という困ったようなイヌの声が最後に聞こえた。

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