第二話1 回帰、再起
-recollection-
雪の降る日、村の近くの森に現れたそいつはひどく重症で今にも死にそうで、警戒するに足らないただの人間だった。前日の夜は猛吹雪で、魔獣や隠れた襲撃者はいないかと念の為見回りをしていたときであった。男は一人きり、赤く染った雪の上に立ちつくしており、じっと俺を見ていた。
「何者だ、貴様。……単身で悪魔狩りでもしにきたのか?」
「…………悪、魔……?」
「そうだ。なんだ知らないのか。ここは我々悪魔鏡族が暮らす村の近くだぞ?」
「……悪魔って……何?お前……悪魔なんか?」
珍しい瞳の色だ。丁度晴れ渡った空の色に似ている。怯えなどは存在しない。敵意もない。
「悪魔だ。悪魔の鏡族の長」
「おさ……偉いんか」
「あぁ。うちの村で……私の種族の中で」
「……へぇ」
「んで、お前は?」
怯えこそ、敵意こそないが、その目は獣の目だった。あからさまに拒絶するような。どこか距離をとるような。確かその時、僅かに表情を歪めて、胸の辺りを押さえていた筈だ。その他にも怪我が見られた。何かから逃げてきたのだろうか。そう邪推する。
「俺か?」
端の切れた唇を少し歪めてそいつは笑う。出血の酷い怪我の数々、恐らく骨もいくつか折れた身体で、それを感じさせないほどの威圧で、それは私程の悪魔でも一瞬怯むほどの威圧で。
「俺は道化師。一国の王になる者だ」
男は背を起こして、堂々とそう言った。
「……道化師」
「お前、は……」
とそこまで言うと、男はかくんと首を落とし、前のめりに倒れる。
「あ、おい!」
雪の中に倒れたそいつは意識を失っており、触れれば高熱があった。医者である私には、そいつを見捨てるという選択肢は、残念ながら無かった。
-red record-
「正直、状況はよくない。この辺の村にろくな医療施設はないから、可能ならば一刻も早く俺の村に連れて帰りたいが、長期の移動は命に関わる。ここからは慎重にいかなければならない。イヌの容態を見て、少しでも調子が良さそうなら次の村へ移動する。意識が戻ればいいが、しばらく戻らないだろう、と思う」
近くの村を訪れ宿を借りると、ヒナは手早く処置をした。ベッドにそれぞれ寝かせた後、立ち上がってヒナはいつもの調子でそう語る。
「ヒナちゃんがイヌを抱えて飛ぶってのは?」
「そうさなあ、村には一日で着くが到着と同時にイヌは命を落とすだろうな」
「……そこをなんとかこう、加減して」
「その間ライムとお前はどうする?ライムまで抱えていくのならばさらにかかる。途中で野宿か、村を経由するか……あまり現実的ではないな、一日おきにきちんと休ませねばなるまい」
「ああせや、ライムくんの様態は?」
「ライム自体は一週間もすれば起きるだろ。無理な魔力消費による衰弱……子供にはありがちなことだ」
「そうか……子供の熱は甘く見れんよな」
「そうだ。ライムが起きたら事の顛末を聞くとしよう。……最も、あの状況を見るにある程度は予想できるがな。もう俺はイヌのことを恨むことはできない」
腕を組んで壁によりかかったヒナは溜息をつく。やはり甘い女だ。
「……。恨むとかさ」
「ん?」
「憎しむとか、嫌うとか、呪うとか……そういうのって、普通当事者が言うことやんな」
「は?俺は当事者だろ」
「そうや。だから、普通はヒナやライムが言うことやろ?」
「そうだな。俺らが決めることだ。やつが望むことじゃない」
ヒナは先回りしてそのように言う。俺の言いたいことなどお見通しのようだ。
「お前はつくづく話しやすいよ」
「そりゃどーも。これでも医者なもんで。ま、お前も疲れたろ。今日は休め。今は俺らじゃない、こいつ次第だ」
顔色の良くない寝顔のイヌを見下ろしてヒナはそう言った。……臭い医者の決まり文句だ。そんなこと言われても、今できることが何も無いのはわかってる。
「……ところでクズ、ひとつ聞きたいのだが」
「何?」
「こいつに、弟はいるか?」
「……」
答えに迷い、少し考える。
「……というと?」
「異端者の家族はいるのかって聞きたいんだ」
そうは聞いてなかったやろ。
「それ、五年いてこいつは何も言わなかったの?」
「ただひたすら、異端者差別を無くしたいとは言っていたが、何が原因かは言わなかった。興味もなかったしな」
「じゃあお前はなんでそう思うん?今の口ぶりから察するに、ヒナちゃんはイヌがそれを目指すのは、異端者が身内にいたからだと思ったんでしょ?」
はぐらかすようにそう煽るも、ヒナは全く動じることなく続ける。
「ライムに対してあまりに感情移入してるからだ。お前ら双方な。そこから考えた仮説だ」
こいつは意地でも自分の聞きたいことを逃さないな。
「……おらんよ」
俺は答えた。
「こいつに弟はいなかった。
今もいない」
「……そうか。ならいいんだ。ライムを重ねてでもいるのかと思ってな」
「もしそうならどうするつもりだったの?」
「……別に、興味本位だ」
窓側の机の椅子に腰を下ろしながらヒナはそう言った。ヒナが頬杖をつき、外を眺める。……心配なのだろうな、と思った。イヌのことだけじゃない、今空けている村のことやライムのこと、長として考えることは数え切れないほどあるだろう。イヌならなんと声をかけただろうか。少なくとも俺はその必要を感じないが。
「……気に病むなよ」
そう告げたのはヒナのほうだった。別に気に病んではいないのだが、と言い返そうとするとヒナはこちらを見ることもなく続けた。
「俺はお前のそういうとこ好きだよ」
「……お前に好かれてもな」
「誰に、は確かに大事だが、好かれてるということ自体を誇れまずは。お前は人に好かれやすいんだろうが、俺はそうじゃなくて、お前のそういう姿勢のことを言ったんだ」
「……姿勢?」
いろいろと突っ込みたいことはあったがやめておいてそれを聞く。
「……まぁ言うのも面倒だし気分が乗らないから言わない」
「は?」
「今はこいつらだからな。俺は寝るよ。魔力と体力を消費しすぎた」
「……」
ヒナはそのまま机に突っ伏して寝てしまった。仕事人というか何と言うか……自由人というか……
そういえば日本語もかなり流暢になっていた。五年いてあれだったのにこの数日でこのレベルとは、一体どういう習得の仕方なのか。
「……姿勢、ね」
ターフに火をつけようとして、病室で吸うのはマズイか、と外に出る。
『クズ!酒飲みに行かへん?』
「……」
死んでしまうのではないか。あいつが、まさか本当に死んでしまうのかも、だなんて。考えてもいないことだった。いや、ずっと考えてはいたことだった。今までは何の不安にもならなかったはずなのだ。
無意識に嫌悪していた?死なんて価値もないし、生にも価値はないから、生きようが死のうがどうでもよかったのに。少なくとも誰が死のうとどうでもよかったのに。こんなのおかしい。俺じゃない。今の俺はどうかしてる。きっとあの馬鹿どもに付き合いすぎて毒されたんだな。
いや、或いは……。
深く息をつく。
「……ったく……困ったな……」
震える声でそう言う。するりと手からターフが滑り落ちる。拾おうとして、やめてそのまま踏んで火を消した。
何かが戻り始めていた。
イヌが目を覚まさなくなってから、一ヶ月。俺らはイヌの様態を確認しつつ村を転々とし、少しずつヒナの治める鏡村へと向かった。イヌの様態は安定せず、ヒナは常に気を張っていた。回復魔法はかけられた本人にも負担がかかるらしい、イヌはヒナの魔法で一命を取り留めたが、現在の不調の原因の八割はその魔法なのだと言う。何とも使い所の悪い魔法だ。心配事はもうひとつ、ライム君の様態である。ヒナの予想と違い彼も一ヶ月目を覚まさなかった。王都でのこともあり、疲労が大きかったのだろうとヒナは言う。子供の身体は本当に予想がつかない、とヒナは頭を抱えていた。抱えていたわりに落ち着いてもいたのできっとそこまでの想定外でもなかったのだろう。
「次でうちの村だ」
今朝ヒナはそう言った。あまりにも、あまりにも突然だった。
「イヌの様態が次に安定したら、ようやく鏡村に着ける。そうしたらだいぶ安定した治療ができるよ。今よりずっと生存率は高くなる。それまで持てばの話だがな」
「……そっか。……持つかな」
「知らねぇよ」
ヒナは素っ気なくそういう。
「てか、そこまで近いんだったらぱっと見に行ったらえぇんちゃう?お前も村のこと心配なんやろ?」
「その間に何かあったらたまらないからな。この中で一番強いのは私だ。いやまあつか俺かお前かでいえば戦えるのは私だけだな。イヌとライムだって目覚めても私に比べれば戦力に数えることすらできん。なんだこの偏ったパーティーは」
「まぁ……せやな」
「そう。前例もあるし……」
前例、というのは一か月前の強欲襲撃のことだけを指すのではない。この一ヶ月間、急に様態が悪化したり、盗賊の襲撃があったり、魔族が村を襲ったりとトラブルがたびたび起こっていた。そういったことに対処できるのは当然ヒナだけだ。村の病院を診てやったり盗賊や魔物を追い払ったりするので村とも仲良くやっていた。悪魔と言うだけで基本的にほとんどの純族の民衆は嫌悪するらしい。魔族と純族の確執は大きい、そもそもが捕食者と被食者の関係だ、中には純族に友好的な魔族もいると言うが、悪魔の歴史の中ではそういった種族単位での仲良しをしたことはないとのこと。それを払拭するほどのヒナの貢献具合、こうしてイヌやライムが休める場所を得られているのもヒナのおかげだった。……ライムが異端者なのはずっと隠し続けているため、それで覆る程度らしいとは聞いているが。
俺はヒナが外している間、二人の様子を見る係だった。見ていたとして、その手を握ったり、軽く汗を拭いたりするぐらいしかできないのだが。ろくな看病もさせてもらえない、魔術が絡めば俺の知識なんて何の役にも立たない。無力を感じるほど感情は残っていないが、やれることがないというのはどこか空虚だ。今日もヒナが他で村人を診ている間の留守番をしていた。静かな病室で、ぼんやり二人を眺めていると、小さく声が聞こえた。
「……ん」
幼い声と共に、ライムの目が薄ら開く。慌てて腰を上げ、ライムに駆け寄る。
「ライムくん」
「……カナウ、さん……?」
「あーいつの間にか名前覚えられてる」
「名前……あ、カケルさんは!?」
「落ち着いて、大丈夫やから」
急に身体を起こそうとして目眩を起こしたライムにそう声を掛ける。名前を呼び、対話をし、意識がはっきりするのを待つ。ライムは落ち着きを取り戻すことなく、その瞳を潤ませた。
「カケルさんが……僕を、庇って……」
「うん、まあとりあえずヒナ呼んでくるな。あ、いや……一人にすんのあれか……」
ヒナの名前を出したからだろうか、ライムは突然平成を取り戻し、大きく深呼吸をした。
「……ライムくん?落ち着いた?」
「はい。もう大丈夫です。……ヒナさんを呼んできていただけますか?ここで静かに待ってます」
「そう?ほな……お言葉に甘えて。ええ子で待っとき」
「はい」
どうやら強がりではないらしい。俺はライムにイヌを任せて部屋を飛び出し、ヒナを呼びに行く。
軽く診察をして、ヒナはよし、とぶっきらぼうに言った。
「特に異常はなさそうだな。やっぱり魔力の使い過ぎだ、バカ」
ヒナがライムにデコピンをする。ライムが怖がるより早かった。暴力にさせない横暴さ。
「いたっ……」
「キャパには気をつけろ、と常々言っているだろう。まあ子供だし無茶も当然か。これから少しずつ使って行けるようにしような。
んで、起きて早々申し訳ないんだが、あの日何があったか、話してもらえるか?」
「えっ……あの日……」
「お前が寝る前の話だよ。お前にとっちゃ昨日みたいなもんだろ」
「なことはないと思うで」
「そうなのか?倒れたことがないもので知らなかった。不健康の教科書のようだな、お前は」
「余計なことしか言わんねんなお前!絶対イヌから変な影響受けとる!」
くす、と笑うとヒナは再びライムに向き直る。
「話せ」
「急に……?」
「……」
ライムは瞳を揺らし、しかし長の命令には逆らえないようで静かに語り始めた。




