第五話3 仕返し
誰もが眠りについた王の間、二人向かい合って見つめ合う。翔は俺の視線に耐えられなかったのか目を伏せる。
「嫌や。何がなんでも嫌。
俺は王にならなあかん。王であり続けるには、力が必要や。この世界では異端者はそうと決まっている。国民は……皆そう植え付けられている。俺はその上に立ち、彼らに幸福と安全を与えなくてはならない。それが、王や」
間髪入れずに奴はそう言った。聞こえてきた声はらしからぬようならしいような冷たさと強さを含んでいた。成程、完全にぶっ壊れている。あれはイヌでも翔でもないだろう。
「……確かに俺は、お前に死者をいつまでも引きずるなとは言った。ただ、それは異端者をぞんざいに扱えって意味でもない。まあお前が?俺の忠告を素直に聞くようなやつやったら?この場はまあるく収まって解決って話なんやけど」
瞳の揺れが収まった。論理的な会話の準備が整ったようだ。
「俺は今まで、一度でもお前の偽善行為……すなわち、やたらめったら異端者を助けようとする例の行動を、本気で止めたことがあったか?そりゃ、それが原因で状況を悪化させるような……助けに行って俺らが死ぬような危険な状況の時はさすがに止めたけど、結局止めきれんかったし、俺はお前のその行動自体を否定したことは無かったはずやで。
それは、俺も同じ考えだったからや。まぁごっつ薄い意思ではあるけど」
「詭弁やな。お前からそんな考えを感じたことはない」
「お前は心を読む妖怪か何かなんですかあ。今更お前の“それ”は信用ならん。
さっき異端者の少年に会った。ベッドに固定されて、実験されて、血を採られて。俺は少なくとも、真冬くんや霧生や、あの人があぁなってるのは、見たくないよ」
「随分感情的になったんやな」
思ってもないことを思っているように思い込ませるのにも限度がある。奴の嫌味はそこを崩すためのかまかけだ。分かっていれば躱すのも容易い。
「意外と論理的やで。お前の、王になりたいってのは、ただその地位にいたいってことを指してんの?」
「ああ」
「じゃあ聞くけど、お前元々なんで王になりたかったんやったっけ?」
そう聞けば、奴は少し辛そうな顔をした。あれの人心掌握、および思考誘導はいつも自覚的であるとは限らない。とにかく感傷に逸らせ。奴ほど情に弱い男もいない。
「それで、えぇの?」
「……」
「……前も言ったことやけどさ、お前はそれでえぇの?」
「……えぇって」
「その左手についてるやつ、俺覚えてるからな」
奴はぱっと反射的に右手で左手首の飾りを握った。隠すように、守るように。雲一つない空色の瞳が再び揺れている。静かに、鎮めるように、俺は追撃する。
「……その王冠、誰のやったか覚えとるよ。誰が買ったかも覚えとるし、お前がなんでそれをずっとつけてるかだって……」
「うるさい!」
奴は突然叫んだ。俺の声を遮るようにして叫んだ。予想していなかった激情に、思わず押し黙る。
「うるさい!うるさいうるさい!
なんでお前がそんなこと覚えとんねん!そんなことだけ、そんなことばっか覚えとんねん!他のことは全部忘れたくせに!全部どうでもよくなって捨てたくせに!お前にあいつのことが、俺のことがわかってたまるか!全部捨てたお前なんかに……!」
……なんや、その。
“仕返し”、みたいな……そんな感情は。
そもそも俺はそんなこと言った覚えは……
「お前はなんも覚えてないくせに!忘れてたくせに!今更何を押し付けてきとんねん!
過去のことなんか知ったことか!あれはどうにもならんかった!仕方なかった!俺かて人間やねんぞ!もう二十年は経ってる!俺やってお前みたいに変わる権利はある!
そりゃ最初は……っ、俺はあの子の為に王をめざしてた!だが今は違う!俺は今、この国の王や!ここの国民のために在る必要がある!
俺は俺の為に権力を行使する!
俺は国民の為に権力を行使する!
それが正しいんや!俺は間違ってない!」
本心が、隠れた。明白な弱み、論理的で感情的な飯沼唯翔の空白。
「……。
正しいか間違ってるかは、民意やろ」
「――っ、それっ、は……」
「それは多数決の原理やろ。お前が言ったんやないか。社会が寄ってたかって、異端者差別を正しくするんやって。俺はそれを許さないって。いつ聞いてもガキっぽい、しょーもない論理。
なぁ、お前……あの凄惨な現場を見て。自分の弟の無残に死んだあの現場を見ておいて、まだそんなことが言えるんか。
……お前の言う通りや?俺は正直、もう殆ど何も感じない。俺が壊れてんのはわかんねん。でも、お前は違う。違った、はずや。ほんの少し前まではな。
王になる直前まで、真冬くんや、あの子に似た境遇の子供達の為に……異端者も生きれる社会を作るために、王を目指してた。それに全てを注ぎ込んでいた。そんなことは言ってない?アホ抜かせ、言ったか言ってないかなんか俺らの間には意味のない区別やろ。
お前はひとつに尽くしていた。それこそ、三年も。いや、前回の世界も含めたらもっとずっと長いこと。なのに、なのにどうして、そこまで自分の心を殺せるんや。
なぁ、イヌ。もう一度聞くぞ。お前はそれでえぇんか」
「……」
イヌは唇の端を強く噛んだ。そのまま俯く。マントごと胸の辺りを掴み、小さく呻いた。
こいつも苦しいのか。こいつも辛いのか。
同情はしないし、分からない。苦しみを理解することもない。それが今だけは少しだけ、惜しいなと感じた。俺はもう変わらないけど、こいつに手を貸す理由なんてないけれど。
それでも、こいつを見捨てるのは、『善く』ない気がした。
紛れもない、俺にとって。
「……俺、は……」
「……?」
そこで唐突に、腐れ縁の男の内側から漏れた言葉が流れ込んできて疑問を覚える。
“自分が自分でなくなってくるような不安感……?”
よく分からない思考に首を傾げたそのとき、突然イヌのマントの中から何かがゴトリと音を立てて落ちた。
「……え?」
「……?何や、それ……」
「知らん……」
「知らんて、お前のとこから出てきたんやで」
「分からん、なんやこれ……どっかで見たような……」
そう言いながら、躊躇いながらイヌはそれを拾う。どうやら何かの果実のようだった。
「なんやこれ……ほんまになんやこれ」
「食うてみてや」
「嫌やわ」
「……」
「……」
そこで二人とも吹き出してしまった。しばらく笑い倒し、イヌなんかは腹を抱えてしゃがみこむ。
「何で……っw、なんでこんな……、真剣な話してる時に……w」
「ざっけんなよお前、これじゃ締まらんやろ。俺は喧嘩し合って最後にはぼかしてはい仲直り、なんて認めんからな……ふっ」
「わろとるやないかい」
「うっさいわぼけ。変なとこでツボってもうたんやからしゃあないやろ」
俺は……イヌもだが、何かがツボに入ったらしく笑いが止まらなかった。苦しみが、果実と共に落ちたのか、イヌは少しすっきりしたような顔をしていた。
「……けど、うん……ふふっw、いや……w、はっ、今の傑作やな。他から見たらなんやねんこいつらやでほんま」
「いやほんまにw。
あーあ、一世一代の大喧嘩かなぁって思っとったんやけど」
「俺ら喧嘩すんのいつぶりけ?昔は結構しとった気がするけど」
「さぁなぁ……俺昔のことホンマに覚えてへんねん。それこそ、真冬くんのことなんかほんと」
「そっか……なのによう思い出してくれたわ……」
「ははっ、どういう意味やそれ」
「まぁな……俺も…………
ちょっとだけ、反省したかもわからん」
憑き物が落ちたような、安心したような顔でイヌはそう言う。疲れているようだった。
「……翔」
俺はわざとらしくそいつの名前を呼び、近づいた。イヌは困惑した顔をして、わかりやすくクエスチョンマークを頭の上に浮かべている。俺がこちらの名前で呼んでる意味がわからないようだ。俺は近づいて、そして、その頬を思いっきし殴った。
「痛っ!!何すんねんお前!!!」
勢いの良いリアクションに俺は満足して痛む手をヒラヒラと振る。
「は?人の腹殴って地下牢にぶち込んどいて何言うとんねん。やり返されて当たり前やろ」
「腹殴ったんわ俺ちゃうやろ!」
「お前あいつの上司やんけ。責任取れや!」
「俺ちゃんとその後あいつ叱ったもん!俺が責任取る筋合いないもん!」
「何がもんじゃいおっさんがきっしょいのお!大体なぁ、頭冷やせ言うてほんまに地下牢にぶち込むやつがどこにおんねん!てかお前忘れとったやろ途中から!」
「……」
「……なんやその間〜は」
イヌは気まずそうに目を逸らす。
「……いや……忘れてたなぁって」
「ほんまに忘れとったんかい!ふっざけんな、あそこ退屈やってんぞ!ニコチンないし!舌噛んで死んでやろうか思ったわ!ニコチンないし!トイレも汚ったないし!食いもんもろくなもんないし!野郎ばっかやし!ニコチンないし!」
「……うん」
「なんやお前……そんな急にしょげだして」
「いや……ちょっと……やっぱり、反省した」
苦笑してイヌはそう言う。俺は形ばかりの怒りを鎮め、息をつく。
「……そうか」
「責任、取るわ。お前のそれもやし、異端者の人達のそれもやし。俺、王やしな」
「……そうしてくれ。俺もしばらくは協力したるから」
「……ありがと」
イヌが小さな声でそう呟く。
「……まず異端者を解放する。保護下で治療したり療養させたりしながら、少しずつ国民の理解を得る。正しい教育も受けさせて、異端者をよく理解してもらう。本当は、運動ができるかできないかぐらい。一重か二重かぐらいなんてことない差だって知ってもらう」
「……。そうやな」
相変わらずたとえのセンス無ぇ……
「そうや……本当は順番がこうやったんや。俺が間違ってた」
自分のなんの言葉が効いたのかは正直よく分からなかった。もしかしたら、イヌは迷っていたのかもしれない。でも、それがわかったならもう充分……
「国王陛下!!!」
二人の間にようやく穏やかな空気が訪れた時、王の間に怒号が響いた。怒号、というよりは本当に切羽詰まった叫び声だった。
「どうした」
「国王陛下、大変です!王都で大規模なテロが……!」
「何!?」
二人で兵について行き、王の間を出て国を見下ろす。国中は、火に包まれており、何故俺らが気づかなかったのか分からないほど、酷い有様だった。その惨状に、イヌは息を飲む。
「……嘘やろ、どうなって……テロリストの目的は?」
「情報伝達が遅れておりまして未だ掴めませんが……恐らく、前王からの恨みと、失礼ですが、新王の政権に対する不満かと」
まあそらそうか、という気持ちと共に、やはり先までの王はイヌではなかったのだなと安心もする。イヌであれば一度掌握した一国程度、思うままに操れないはずがない。イヌがそんなわけないやろ、と小さな声でツッコんで肩を叩いてくる。
「ご報告が遅れてしまい申し訳ありません……!全ての報告塔が同時襲撃され、私も命からがら何とか馳せ参じました。殆どの軍隊が既に瓦解しかけています。このままではこの国が滅亡するのも、時間の問題です!」
イヌは息を飲み、少し俯き、しばらく考えると、
「……わかった」
とだけ答えた。
そして国に背を向け、マントを翻し、残っている者を全員呼び出し、起き出した兵士にもまとめて指示を出した。
「残っている全兵に告ぐ!テロリストを城に上げていい!その代わり、国民の避難誘導に準ぜよ!」
「しかし……!」
「いい!この城はもう形だけや。全国民を連れて東の王都へ移動しろ!地下の罪人や異端者も全員連れていけ!一人も死なせるな!」
「……イヌ」
「俺は今すぐ東の王都に伝令を飛ばす。大丈夫や、あそこの国とは仲良うさせてもらってる」
「けど王は」
「安心せぇ。この国としてじゃない。元道化師の俺として、だ。
そして避難誘導が終わってもここに戻って来るな!俺は囮としてこの城に残り、その後逃げる」
「しかし陛下、それでは陛下が……!」
「だから!」
人情物のやり取りを好まないこいつは、こういった物語のシーンなら尺と台詞を取って情緒豊かに描写され感動すべきところをこいつは、
「そんなこと言ってる時間があるなら、今すぐ行って国民の安全を確保しろ!これは王の命令や!」
こうも淡々とやってしまう。俺は呆れてターフに火をつけた。
「……てお前何してんねん」
全兵に指示を出し終わったイヌがくるりとこちらを向き直り、そう言った。あっという間に兵は散開し、もう五分もすれば城はもぬけの殻になろう。
「は?何が」
「お前もさっさと逃げる準備をしろ」
「あー、そうやな」
俺は荷物を取り、背広を取り出す。くたびれた背広だ。
「……なんでお前は肝心な時の服選びのセンスがないねん。そんなん着てどうすんの」
「ん?いや、一番落ち着くかなーって」
「死ぬならこの格好、とか思ってないやろうな?」
「思ってない思ってない。死に対してそこまで重きを置いてない。服なんかどうでもいい。死なんてかすり傷と同じ扱いや」
「あそ」
イヌはさして興味なさそうにそう言うと、玉座に座った。
「……てかさ」
「うん」
「お前こそ何してんの?」
「……そやなぁ……まぁ、王の真似事?」
イヌはそう笑う。その瞳はたしかに、いつか見た果てなき空の色であった。




