煌凛輝譚
現実主義の強ヒロイン。お楽しみ頂けましたら幸いです。
「リザ!この愚図!早くごみ捨ててきて、お姉ちゃんのドレスの準備をするんだよ!」
掃除を終えた、そう思った瞬間どこからともなく現れた継母に追いたてられるように家から叩き出され、箒と水が入ったバケツを持ったまま、リザは呆然と家の前に立っていた。
大きな身体の割に、そんなに素早く動いてリザを家から押し出せるなら、ううん、それよりも前からリザが掃除を終えるのを見張っているなら、自分も身体を動かせば、それだけ早く家の掃除も、舞踏会に行く準備も終わるのに。もっと言えば、お父様が商売の荷物を載せた船ごと行方不明になって以来、傾きかけてる家だって、早く家事をして、舞踏会なんかにうつつを抜かさず、汗水垂らしてまっとうに働けば、多少なりとも傾きは緩やかになるかもしれないのに。
「無駄なんだよなぁ…。」
溜め息をこぼしながら、バケツの水を撒くために畑へと足を向ける。
継母と義理の姉二人と、自分の四人貧乏暮らしを支えるには、畑の野菜は比較的、生命線だ。ゴミとはいえ、生ゴミは土に混ぜて養分にしたい。とはいえ、趣味の延長、所詮、貴族の婦女子に出来る範囲の手慰み程度だ。リザ一人が触っている畑で作れるものも、量もたかが知れている。
秋の今は収穫時期な上に、サツマイモが豊作だったので、どうにかこうにか食卓を維持しているが、継母が血なまこになっている舞踏会など行き続けていたら、冬には小麦を買うお金もなく、根菜と備蓄した野菜のスープで糊口を凌ぐことになる。
それでも、継母と、義理の姉たちなりに、自分達が知っている方法でなんとか生活を守ろうとしているものだから。シンデレラ、つまり灰かぶりだと罵られながらも、見放しもせず、今日も小間使いのような真似をしてしまっている。
溜息を呑み込んで、家から少し離れた水場近くの畑にゴミを運び込めば。そこには最近おなじみの二人がすでに並んでしゃがみ込んで雑草を抜いてくれていた。
黒いフードを被った大柄な男性は黙々と。
長い黒髪を緩く三つ編みに結った男性は、少し離れたところにいる黙って作業している男にちゃらちゃらと笑い話しかけながら。
「もうさぁ、リザも意地張らずに畑の雑草とか俺の魔法でぇ、ちゃっちゃっと抜いて収穫までもささっと済ませてさぁ。いくつかのサツマイモとかぼちゃで馬車を作ってネズミを従者にして、あとはぁドレスと靴かなぁ。きらっきらの可愛いドレスでさぁ。今日のお城の舞踏会とかに行っちゃって。幸せな結婚をしてさぁ。楽しちゃえばいいのにさぁって、思わない?オル?」
いつもの雑談だが、最近めっきり寒くなり、冬の食卓が心配なリザの心にはいつも以上に刺さる。それでも…。
「思わない」
「ハル!何度言わせるのよ!」
今まで一言も発さなかったフードの男の切り捨てる一言が、自分の言葉と被ったことにほっとしながら、リザは微笑む。
「ありがとう、オル」
男に頭を下げれば、しっかりと頷いて、また、黙々と雑草を抜き始める。大きな身体の男なのに、その動きがなんだか可愛らしくて、怒りを霧散してしまいそうになりながらも、このままではいけなかったと、力を振り絞ってリザはゴミの入ったバケツを足元に置くと、両手を腰に当てて、立ち上がったハルへと立ち向かった。
「あのねぇ、ハル。私は、魔法には頼らない。そもそも、魔法には制約がたくさんあるし、なんでも叶う万能の力じゃないっていったのはあなたでしょ?」
頭二つは大きいものの、ちゃらちゃらして猫背だからか、そんなに迫力を感じない男へ、まるで出来の悪い弟を諭すようにリザは指を突き付けて、私怒ってます!アピールをする。
「えーでも、王子様のお妃を決める舞踏会だよ?!出たいって思わないの?!」
ぴくりと、雑草を無心に排除していた大きな背中が反応するのを見て、リザもぴくりとした後、所在無げに周りを見渡す。今までのどこか勝ち気な表情も、僅かに揺れる。
「あのねぇ。そりゃ?義姉さんたちも継母さんも乗り気だし?生活を改善させる最後のチャンスだと気合入れてるけど。王子様に見初められたからって実家がどうにかなるわけじゃないし。そもそも、私はこの家をどうにかして、父さんの帰りを待ちたいって言っているじゃない。嫁に行きたいわけじゃないの。それなら、そんな舞踏会にいくより、行方不明の船を探して、父さんを無事に返してよ」
しんと落ちた沈黙のあと。
「「それは魔法じゃできない」」「し」「でしょ」
以前にも言われている言葉をハルの言葉に重ねて、鼻で嗤う。
「それなら、意味なんてないのよ。魔法に。しかも、あなたが求めるどんな代償だって我が家にも私にも払うことなんてできないのに、魔法だけを望むことはできない。父さんが言っていたもの。恩を受けたら、その恩を返すんだって。でも、私には返せるものなんてないの。だから、雑草だって手で抜くし、収穫も、己の力でやるの。さ、ハルもオルみたいに手伝ってくれるわけじゃないなら、帰って」
持ってきたゴミを二人に背を向けて次に種を植える畑の土へと混ぜ込みながら、厄介な魔法使いを視界からも意識からも締め出す。
ある日突然現れた魔法使い。
そのチャラチャラしたルックスと言動に信用を置けないというのもあったが、リザの求めることはことごとくできないけど、彼の望む魔法を行使させてほしいと。
しつこくしつこくリザに付きまとってくる。
父の行方不明からだから、もう、三か月だろうか。
飽きもせずに、何度も何度も。
金をやろうか。
仕事をくれ。
ドレスをやろうか。
仕事か、どんな荒天でも、荒れ地でも、丈夫に育つ苗をくれ。
人気の王子様に見初められる魔法を。
それよりは、父さんと船を返して。
繰り返す問答で。
いい加減、堪忍袋の緒が切れたリザが泣きながら怒鳴った時。
オルと出会った。
黒いフードで突然ハルが取り押さえられたから。
二人ともしばし言い合いも忘れて茫然としていた。
魔法がこの世界にあることは皆知っている常識だけど。
身近にあるものではない奇跡だと言われている現状、揉め事の発端が魔法を使いたい魔法使いと、使って欲しくない私が争っていた、なんて突拍子もないことをどこまで話したものかと、リザが逡巡する内に、溜め息と共にフードの男がハルの知り合いで、オルという名前だと紹介された。
手を離せよ。勘違いだよ、というハル呼び掛けに。
オルと呼ばれた男も己の勘違いを悟ったようで。
慌ててリザに驚かしたことを頭を下げて、詫びてくれた。
ふぁさり。
頭を下げた勢いで、落ちたフードの下から現れたのは、もふもふの黄色と黒の丸い耳。人の耳の上にある一対の耳は、彼が、この国の結婚市場の、今一番の売り物件で。
誰よりも高嶺の花で。
噂の舞踏会の主催者であることを示していた。
その彼と知り合いということで、うざ絡みが酷く、不審者認定待ったなしだった魔法使いのハルも、その実力はともかく、身元はなんとか、辛うじて証明されたのだったけど。
結局、リザの望みをかなえられない以上、魔法使いだろうと王子だろうと。誰がいようと現実は変わらなくて。ちょうど良いので、オルにハルを引き取って頂き、平穏な日常を取り戻した…はずだった。
お帰り頂いたはずの二人が、翌日からそろってリザの畑に草むしりに来るのは一体なぜなのか。
今日の舞踏会にハルは是が非でもリザを連れていきたいようだし。
オルに至っては、なぜここにきているのかもわからない。
二人の希望でオルとハルと呼ばせてもらっているが、リザだって、貴族のはしくれだから。
この前の一幕で、彼らの身分は分かっているし、オルがフードを脱がないわけも、脱いだら身分が一目見てわかることも、身に染みているし、気安い態度が完全に不敬罪だと知っているけど。
二人が頑として譲らなかったから。
溜息をゆっくりと土に混ぜ込みながら、二人を気にしないように、いつも通りを心掛けて広くもない畑の隅から隅まで、耕しながら進んでいく。
それでも、時折、ちらりと、オルの背中を見やってしまう。
あの日、オルと出会った時に、初めて恋をして、すぐに失恋した。
それなのに。
なぜかハルと来続けてくれたから。
今日までずるずると来てしまったけど。
わかっている。
今日が恋を失う日だと。
そんな日までハルも来ていたけど。
だからこそ、ハルがいう舞踏会には行きたくない。
ここで、恋を捨て去って、現実を生きていかなければ。
覚悟を決めて立ち上がれば。
オルも立ち上がってこちらを向く。
頭二つ大きいがっしりとした、獣人らしい体軀。
廃れていく魔法と同じように、獣人も数を減らしてきて。
王族にも稀な隔世遺伝で。
一目見たときからわかっていたけど。
少しだけ特別な気持ちを味わいたくて。
紹介された通り、オルと、呼び続けた特別な人。
舞踏会に、皆が旅立ったら。
ううん、その前に、リザが用意に呼ばれたら。
さよなら、だ。
「オル、終わった?」
リザの声掛けに、こくりと頷かれると、ぱんぱんと、埃と土で汚れたスカートを精一杯たたいて綺麗にする。
「今まで、ありがとう」
「?」
「本当は、初めて会った時から知ってた」
「そうか」
察したように、フードを取り払ってくれるオルに、強がって笑顔を見せる。
最後の記憶は、泣き顔じゃなくて、笑った顔が、いい。
「オルが、好きでした」
口角を、あげろ。
「王子様としてのオースティンじゃなくて。ハルと一緒にきてくれて。黙々と畑を手伝ってくれるオルが」
「先に言われてしまったな」
黒髪の上の耳がへにゃりと力を失い。
大きな手で、その耳ごと、髪の毛をくしゃっと掴めば。
ぐんと大きな身体が折り曲げられ、頭を下げられる。
「不甲斐なくて、すまない」
「オル、やめてよ」
「リザが、好きだ」
「ありがと。私も、好きだったよ」
畑の野菜を作るのを真剣に手伝ってくれる木訥な手が。
リザの話を親身に聞いてくれるその耳が。
同じものを見ている気持ちにさせる瞳が。
そして、魔法に頼りたくないというリザの気持ちを肯定してくれた、その価値観が。
すべてが恋心の天秤を傾けていったけど。
行方不明な父を諦められない気持ちが。
没落する男爵家で襤褸を纏って働くズタボロなこの身が。
魔法使いの提案を受け入れられない、頑なな心が。
そして、ドレスを纏うことも、その手を掴むこともできない勇気と意気地のなさが。
天秤を反対側へと傾けた。
出来るだけ優雅に見えるように綺麗に一礼すると、踵を返す。
押しかけ魔法使いの、一番の魔法だった。
初恋の魔法は、今、解けるのだ。
「「待って」」
ユニゾンの声に、思わず振り返らないと決めていた足を止めてしまう。
王子の声だけなら、振り返らず、立ち去ると決めていた。
でも。
今このタイミングでハルが私に…?
確かに、好意を無にしていたかもしれないけど。
それでも、魔法は断っていた。
オルは舞踏会の後にはもう会えないかもしれないけど。
ハルは勝手にまだ明日も来て、同じように問答を続けるものだと思っていたから。
別れの挨拶を省略していたけれど。
そうか。
ハルはオルのために来ていたのか。
唐突に悟る。
そうだね、しがない落ちぶれ男爵家の娘の願いを、稀少な魔法使いが叶えに来てくれるはずがない。
出会いから考えれば、オルにも、王家にも秘密で来ていたのかもしれない、けど。
来ていた理由は、リザのためではなかったのだ。
そうなると、ハルとも、さよなら、だね。
込み上げてくる勝手な寂しさに、自分の中の、愚かな気持ちに気づかされて。
背筋を背いっぱい伸ばす。
振り向きは、しない。
「そっか。ハルも、さよなら、なんだね。ありがとう今まで。魔法をたくさん提案してくれて」
この決別は、奇跡を期待する甘さへの決別でもある。
お父さん、ううん。父は、もう帰ってこないし、船と共に財産は失われたのだろう。
継母と義姉達には、精一杯のおしゃれをして舞踏会に行ってもらおう。そして、身の振り方を考えてもらうのだ。
私、わたしは…。
キラキラと光る魔法の粉を頭上から感じて、追いかけるように視線を空に向ける。
そこには、箒に横座りして、にやにやと笑うハルの姿。
「ハル?!何してるの?!勝手に魔法を使わないで!私には代償も払えないし、舞踏会にはいかないって!」
「それそれ!リザにはしんみりした顔なんて似合わないよ!魔法使いの俺に、魔法使うなっていうの、ほんと、リザぐらいだよねぇ!」
「人の!話を聞いて!!」
「魔法を望まない君にだから、掛けられる魔法がある」
「散々あれだけ人に聞いて拒否されてるのに、掛けられる魔法って何よ!」
「永遠に溶けない恋の魔法」
小声で、そっと、静かに齎らされた言葉に、リザの目が大きく見開く。
「ふざけないでよ!」
ぼろぼろの服が見る間に、水色とレースの繊細なドレスに姿を変える。茶色の箒みたいだったぼさぼさの髪の毛は艶が出るまで磨かれて。勝手に頭上に結わえられて。
触ってみるとティアラやイヤリング、ネックレスなどのアクセサリーで飾られている。
「馬車は、オルが手配するだろうから。馬車や従者の魔法の代わりに、大盤振る舞い!君の心配していた継母と義姉達もドレスに変身させて、城まで連れて行ってあげるよ」
「ハル!!聞いて!こんなことされても!私は代償を払えないし!魔法で明日は変えられないのだから!!!そんな魔法!いらないのよ!!」
いつの間にか白い絹のグローブで覆われた両手を拳に握りしめる。
「大丈夫だ。リザ。すべての代償は俺が払うと約束したし、俺が君の明日からを変える」
握りしめた両手を、大きな手で優しく包まれる。
向かい合うように距離を詰めたオルが、まだ宙に浮いているハルに向けて顔を上げて宣言する。
「オル…」
その横顔を、何とも言えない気持ちで、リザは見つめる。
「そゆこと。それに、そんな大きな代償は求めない。俺の恋心という貴重なものを代償にもう捧げたからね。ドレスの1着や2着や3着、たいしたことない」
突然の爆弾発言に、目を丸くして、リザは、オルに向けていた視線を再び空に向ける。
「ハル…?そんなこと…」
「魔法使いの恋は劇薬だからね。扱いも慎重なんだよ。恋で魔法が使えなくなる魔法使いはたくさいんいる。恋の代わりに力を手に入れる魔法使いも。この国の王子と両想いのプリンセスに、届かない想いを募らせて、めでたく失恋した道化は、代償に大きな力を手に入れたってわけ」
片目をつぶり大きなハートを飛ばしてくるハルに苦笑いが漏れる。
「いや、そんな軽い言い方で本当に…?」
「本当さ!頑なに魔法を拒むその姿勢は、王子だけじゃなくて魔法使いの望む姿だったよねぇ」
「魔法を拒む態度が…?」
「そう~!魔法を便利屋か奇跡製造機みたいに思っているやつらには、うんざりなんだけどねぇ。時々いるんだよねぇ。君みたいな奇跡の存在が」
「私なんかより、魔法使いのが今じゃ奇跡みたいな存在じゃない」
「そそ!だから、皆、怖いほど縋ってくるんだよ。普通は。でも、君は俺の提案は拒み、無理なことばかり投げつけて、ほらね、無理でしょうってすぐ引き下がって。魔法が万能じゃないって。魔法使いは何でも出来るわけじゃないって信じてただろう?」
「信じてないわけじゃないし、あわよくば!って思っていたわよ」
「それでも、魔法を信じて、努力をやめたりせず、自分の出来るだけを続けていたでしょー?叶うといいと思っていることを信じて歩き続ける姿は、ね、リズ。祈りっていうんだよ。魔法じゃない。まぁあとは、王子が説明したいみたいでうずうずしているから、お邪魔虫は先に舞踏会にゲストを連れていくよ~!リズ、幸せになるんだよ~!」
最後まで変で、勝手なちゃらちゃらした魔法使いは、手を振ると自由に空を飛んで我が家の方に向かってしまって。
「勝手なんだから…」
溜息を拾われる。
「魔法使いとは、昔から勝手なものだ」
「そうなのね…」
「だからこそ、俺は、魔法にぶれない人を、一緒に歩ける人を探していた」
突然のオルの告白に、私はどんな顔をすればいいのかわからなくて。
泣きそうな顔で、両手の先を見つめてしまった。
「魔法を信じていない人なんてたくさんいるわ」
「そうだな」
「自分で努力できる人も、たくさん」
「そうだな」
手を引かれて、いつの間にか畑の入り口に用意されていた馬車の方へと連れていかれる。
「でも、人は口では何とでもいえる」
溢れた言葉に、為政者の孤独な闇を垣間見て。
リズはかける言葉を探せずに沈黙を落とした。
「君は、初めから魔法使いの言葉を拒んでいて」
出会いの瞬間を思い出して頷く。
「そうね。でも、信じていなかっただけなのよ」
「その後もずっと彼の提案に頷かなかった」
「やってほしいことはあったわ」
「そうだな。でも、信じていなかった」
「信じていなかったわけじゃないわ。できたなら、頼んでいた」
優しい眼差しの微笑みが、横から向けられる。
「君は朝から晩まで父上の船の捜索のことを考え、実際に張り紙をしたり、地方への捜索依頼を出しに行ったり、野菜を植えたり。自分のできることをやめなかったし、結局、魔法使いにも、俺にも雑草の草むしり以上のことをさせなかった」
「やめたかったかもしれないじゃない」
「それでも、やめなかったのが、君だよ」
「過大評価しているわ。それだけで妃に、だなんて」
「人は、簡単に努力をやめられる」
馬車にたどり着いて、オルの足が止まり、もう一度向き合わさせられる。オルの手が、両手から頬に移って、リズの頬が暖かくなる。
「私だって、魔法で叶ったらやめかったわ」
「でも、やめなかった。それが、事実なんだよ、リズ。他の人も魔法を信じなくて、努力を続けるかもしれない。でも、俺は俺の価値観に沿った人は君だと、君の言動を見て決めた」
「価値観って…?」
「自分の命も、周りの命もあきらめず、魔法がなくても自分のできる努力を続けられる人」
「さっきから言っているようにそんな人、たくさいるわ」
「そうだね。でも俺の目の前にいるのは現実に君で。試したみたいで心苦しいけど。ハルは、本当に魔法を使うつもりだった、と思う。君が望めば。代償だって、多分、大したことじゃなかった」
「そうなの…?」
「でも君は代償を聞くことすらなかった。自分の望みをはっきりと伝えて。一瞬でも心折れることなく、自分のできることをやり続けていた。畑を耕し、自分の手で、苗を植え、収穫し。一緒に畑を触っていればわかるよ」
オルの黒い瞳が光を帯びて蕩ける。
「俺やハルに助けも求めず。ただひたすらに。助けてもらったら礼を言い。できることを返して」
「人として当たり前のことだわ」
「でも、その当たり前が、できない人もいる。魔法は、魔だ。それに付け込まれたり、魅入られる人もいる。一度楽を覚えたら、流される人も。だけど、魔法は万能でも永遠でもない。いつでも使えるわけでも。人は、自分のできることをしていかなければいけないし、自分や周りの命を繋ぐ努力を続けなければいけない。特に、王族は。自分の周りの命が、国民すべてになるわけだから。その気持ちを想いを。わかってくれる人がよかった。でも、君はわかるだけじゃない。自分でそのように動いていた。君だと、思った」
恭しく跪いたオルが、指先に口づけを一つ。
立ち上がると、馬車のドアを開けて、華奢なヒールの靴を取り出してくれる。
「靴だけは譲れないと、予めハルに言っていたんだ」
もう一度、跪くと、恭しく片脚を膝に持ち上げられる。
「オル!」
「自分で歩ける君に。共に歩くための靴を贈らせてくれ」
右足の靴をヒールに履き替えさせられる。
「私、こんなヒール、転ぶかもしれないわ」
「俺が隣で支えるし、転んでもいい。君は何度だって立ち上がるだろう?」
見透かしたように笑われて、しぶしぶ頷く。
笑い声とともに、もう一方の靴も履き替えさせられて。
高いヒールに脚も背も伸びて。
高くなった視界で、近くなったオルの顔をじっくりと見てみると。
初めて会った日に感じたように。
そこには、普通の男の人がいた。
私が大切だと思った、植物を、子供を、大地を。
身の回りのものに優しく手を差し伸べて、黙々と、手入れできる。
優しい手の男の人で。
耳が生えていても。
言葉が少なくても。
その手が、そっと差し伸べられる。
そんな、男の人が。
立ち上がったオルから恭しく右手を差し出される。
この手を取り、馬車に乗れば、明日からの現実は大きく変わっていくだろう。
それでも。
優しく微笑んでいるその頭上で、丸い耳が心配そうにぴくぴくと動いていたから。
諦めたようにリザは、その手に、自分の小さくて傷だらけの手を重ねた。
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