表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/22

知らないはず

 あたしが見た彼…昨日出会ったばかりの学生服の彼。


 廊下の手摺にもたれ、グラウンドをぼんやりと眺めていた。


 あたしはただ…突っ立てるだけ。


 なぜか柔らかな風が吹いていた。


 あたしの前髪が、気持ちよさそうに靡いているのを感じていた。


 なのに、あたしの心だけが、止まっている。


 心臓の音も聞こえずに、ただ…彼の横顔だけが目に映っていた。



「シュート!」


 グラウンドの方から、メグのはしゃぐ声が聞こえてきた。近くで、サッカー部の練習を見ているのだろう。


 その声がやっと、あたしの心の緊張を解してくれた。

 

 少し息を吐き…やっと足を動かそうとした時…。


「もう来ないかと思っていたよ」


 彼がグラウンドを見つめたまま、口を開いた。


 再び、あたしの動きが止まったが、目だけは冷静に周りを見て、あたし1人しかいないことを確認した。


 つまり、独り言でもないかぎり、あたしに話しかけているということになる。そうかもしれない事実に、ドキッとして、また緊張してしまう。


「…でも、サッカーが好きなんだね。あなたは…ずっとずっと…」


 彼はやっと、あたしの方に顔を向けた。その表情はとてもとても、素敵な笑顔だった。


「部活っていいよね。俺もそんな経験をしたかった」


 彼は再びグラウンドの方に、顔を向けた。


 メグのはしゃぐ声が、また聞こえてきた。


 それに混じって、グラウンドを走る足音がいっそう強く響いてきた。


「1人…上手いやつがいるね。動きが違う。素人の俺でもわかる」


 彼は、あたしの顔を見て、微笑んだ。


「あの子が、好きな人なの?」


「え!」


 あたしは彼から顔をそらすと、グラウンドに目を走らせた。


 ゴール前で囲まれながらも、ドリブルで駆け抜ける高橋がいた。砂を切る足音が聞こえてきそうな程のスライディングを、軽く飛び避けた。


と、そのままゴールに向かって、シュート。


「ゴール!」


 メグの赤い声とともに、ボールがゴールネットに突き刺さった。


 ゴールを決めた歓声に、あたしははっとして思わず、言い返した。


「ち、違います!高橋くんが好きなのは、メグの方です」


「メグって?」


「あ、あたしの…親友です」


「そう…違うんだ…」


 呟くように言うと、彼は少し考え込んだ後、またあたしを見た。


 どうして、こんなに一生懸命になってまで、あたしが否定しなくちゃならないんだろうと、心の隅で思いながらもまだ、思い切り首を横に振っていた。


 そんなあたしをじっと彼は見つめ、そしてまた笑顔になった。


 なんて、笑顔なんだろう。


 どうしてこんな素敵に、あたしに微笑むんだろう。


 あたしは、息を飲んだ。


 今度は逆に、あたしがじっと彼を見つめるもんだから、彼は少し照れたように視線を外した。


「こ、この前はゴメン!き、君に迷惑をかけた。ちゃんと名前も告げずに、あんなことをするなんて…」


「え?」


 迷惑って何だろう。ただこの前、校門のそばで会っただけなのに。


「僕の名前は…タ……勇気」


 名字が聞こえなかった。


「勇気と呼び捨てでいいよ」


 彼はそう告げると、笑いかけてきた。


 その笑顔が、夕陽と重なって、とても素敵に見えた。


「あ、あたしの名前は…」


 なぜか慌てて、あたしは自分の名前を彼に告げようとすると、彼は軽く手で制して、こう言った。


「睦美さん…時祭睦美さん…」


あたしは、自分の名前が告げられたことに驚いたけど…名字が違う。


「あたしは、睦美ですけど…竹内睦美です」


彼は驚いたようにあたしを見――やがて、軽く苦笑した。


「ゴメン、間違えてた。そうか…まだだよね。でも、睦美さんは、睦美さんだよね」


「そうですけど…」


「よかった…」


 何がよかったのか…。彼は胸を撫で下ろすと、再び視線をグラウンドに向けた。


 そのまま、しばらく時は流れた。


 どれくらいかはわからないし、そんなことに意味はない。


「あのお…」


 あたしは思いきって、沈黙と言う刻から一歩前に出た。


だけど、その一歩がとても重く感じられた。


 彼の目線は、変わらない。


 あたしはゆっくりと息を飲み込むと、口を開いた。


「あなたは、この学校の生徒じゃないですよね。なのに、どうしてここにいるんですか?」


 あたしの質問に、彼は振り向き、ゆっくりと微笑んだ。


「君がいるからさ」


 彼は当然のように、そう言った。


「!」


 少しだけ、強く風が吹き抜けた。


 あたしの髪が軽く舞い上がり…あたしの心まで、舞い上がりそうになった。


 風が止むと、静けさがあたしと彼を包み込んだ。


 何も言えなくなったあたしを、彼はただただ見つめていた。


そして、おもむろに歩きだした。あたしに向かって。


 彼が近づいて来る。それだけで、なぜか心がざわついた。


 もう少し、もう少し、あたしの心のどこかが、こう叫んでいた。


「あ…」


 やっと出た声が、全然言葉にならない。


 彼は…あたしに向けて、そっと手を差し伸べた。


「いこう…」


 彼の囁きに、あたしは心の中でこたえた。


(どこへ?)


 遠くの方で、夕陽が沈んでいく。その最後の輝きがあたしを照らし、影が大きく、細くなっていく。


「やっと…君と話す勇気ができたから…」


 勇気…。


 彼の名前と同じ…言葉。


 その意味するものもわからずに、あたしは彼の手を受け入れようとしていた。そうしなければいけないように、そうしなければ…。


「ずっと決断できなかった…」


 彼は微笑みながら、呟いた。


 彼の目に涙が滲む。


(どうして?)


 彼はまるで、あたしを昔から知っているような感じだった。


 その言葉も温かい。


 知っていた。いや、違う。


 あたしは、昨日まで彼を知らなかった。


 もしかしたら、彼はあたしの知らないとこで、あたしをずっと見ていたの…。そのことに、やっと…あたしが気づいただけのだろうか。


 手と手が、触れる。


 たったそれだけのことなのに、今のあたしにはそれがとてもこわくって、恐ろしくって、ドキドキしている。


 彼の顔が見れない。








「睦美!」


 元気で、とても張りのあるメグの声がした。


 その声も、どこか遠くの方から聞こえてきて、今のあたしには現実味がない。


「睦美!睦美!睦美ー!」


 予想してなかった方向から、手が伸びてきて、あたしの肩を掴んだ。


「ゴメン!ゴメン!ちょっと遅くなっちゃった」


 メグの声が、近くに来た。


「だからって、無視はないでしょ!無視は」


「え?」


 あたしは驚いて、後ろを振り返った。


 少し息を切らした…いつものメグの顔があった。


 あたしははっとすると、急いで顔を前に向けた。


 誰もいない。そこには、誰もいない。



「どうしたの?睦美」


 メグの不思議そうな声が聞こえた。


 あたしはそれを無視して、走り出した。


 渡り廊下の端の階段をかけ下り、正門までの道に立った。


 もう誰もいない。


 後ろから、メグのあたしを呼ぶ声が聞こえてきてきた。


 辺りはもう…真っ暗だ。


 いつのまにか…。


 そう…夕陽もいなくなっていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ