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気になること

 夢の中。


 どこか知らない場所に、あたしはいた。


 何もない…空き地。瓦礫すらない。


 ここが、どこかわかないはずなのに…あたしは知っていた。


 遠くに見える山。空き地の向こうの街並。だけど、すべてが、一瞬で知らないものに変わる。


「×××....」


 あたしは、何かを呟いて歩き出した。


 たった独りで。


 お腹に手を当てながら、あたしは歩き出した。


 涙を流しながら。


そして、後悔の念に苛まれながら…。






 次の日。夢から目覚め時、自分に少し違和感を感じた。体がだるいような…まだ眠っているような…全然しっくりとしない感じ。あの日でもないのに。


 中を浮いているような…なんともいえない感じ。


 学校に行かなくちゃならないのに、体が動かない。


(いや、動かしたくないのかな)


 無意識に頬に触れると…あたしは、泣いていた。


(え?)


 首を捻ると、あたしは涙を拭った。


 今、何時なのだろうか。時計を見ようとした瞬間、慌ただしく目覚まし時計が鳴り響いた。


 ふっと体が、下に落ちるような感覚がし、あたしはベッドの上に着地した。


 7時15分。


 ただうるさいだけの機械音が、そう告げていた。


 あたしははっとすると、慌てて立ち上がった。


そして、パジャマを脱いだ。


「目覚まし…もう少しかわいいのにしょうかな…。女の子ぽくないし」


 大音量が売りの黒く武骨な感じの目覚まし時計。確かに、女の子ぽくない。昨日のメグの言葉を気にしていた。


 白と大きな水色のリボンが印象的な制服を掴むと、あたしは女子高生に変わる。


 そう…女子高生という存在に。





 二階の部屋から、音をたてて階段をかけ下りる。


「おはよう」


 母親の声が聞こえてきた。


「おはよう」


 キッチンのテーブルにはもう、父が新聞片手に座っていた。


 父にも挨拶すると、うんと頷いただけだ。


「もう少し静かに下りてきなさい。女の子なんだから」


 母親の小言が始まった。


「はあ〜い」


 適当に返事しながら、あたしは椅子に腰かけた。


 その時、さらにうるさい音をたてながら、弟が二階から下りてきた。


「まったく…あなた達姉弟ときたら…」


 母親は頭を抱えながらも、お味噌汁をあたしの前に置いてくれた。弟がキッチンにはいってくる。いつもの4人。いつもと変わらぬ朝が始まった。




 少し早く家を出て、教室に行くのが癖になっていた。


 教室のドアを開け、誰もいないのを確認して、一番後ろの窓側の席に座った。自分の席じゃないのだけど、毎朝ここに座って、外を眺めるのが癖になっていた。


 窓の外は、あたしのいる西校舎と東校舎の間にある中庭が見えた。そこにベンチあり、昼休みになると、お弁当片手の生徒でいっぱいになる。


 さすがに、今は誰もいない。


 そのまま視線を南に移動すると、グランドが広がっており、その向こうには、大きな山が見えた。


 グランドから、激しい掛け声が聞こえてきた。サッカー部の朝練だ。ドリブルで、走り抜ける少年の姿が目に映った。


(高橋くんかな…)


 どうも昨日のメグの言葉のせいか、気になってしまっている。


「…ったく、メグったら」


 一言呟くと、勢いよく、あたしは立ち上がった。


 と同時に、教室のドアが開き、2人の女子生徒が入ってきた。朝から楽しそうに笑顔で入ってきた2人に、何となく冷たい視線を送ってしまった。それに気付かずに、2人はあたしに笑顔で、挨拶してきた。


 おはようと。


「おはよう」


 あたしも自然と、笑顔で挨拶した。


 こういう時、自分でも、外面はいいなあと思う。


 ちらっと、黒板の上の時計を見た。まだ8時20分。始業時間まで、あと25分もある。


 別にそんなに親しい子達でもないし。ちょっと外にでも出ようかなと、教室を飛び出した。


 その時、あたしは何か固い肉の塊にぶつかり、止まってしまった。


「あっ、ごめんなさい」


 妙に優しく、少し低いが丁寧な口調で謝る声が、あたしの頭の上から聞こえてきた。ビクッと身を震わし、顔を上げると、1人の男の顎が目の前にあった。


「すいません、大丈夫ですか?」


(男って…誰よ)


 思わず身を引いたあたしの目の前に、びしびしの紺のスーツを着た男が立っていた。黒目のくりっとした大きな瞳は、大人ではないが、少年の面影を色濃く残しており、それは明らかに、教師でも生徒でもない存在だった。


「先生!」


 先程の2人が黄色い声を上げて、その男に駆け寄ってくる。


「どうしたんですか?先生…。まだ一時間目は始まりませんよ」


 女が男にすり寄る声。


 親しげに話しかける2人を見て、あたしはやっとその正体を知った。


 教師未満…生徒以上。


「教育実習生…」


 これがメグが言っていた噂の男。


 あたしは、焦りながら2人の女子生徒に対応している実習生の姿をまじまじと観察しだした。


 大きな目。真ん中わけした髪の毛。背は…180はないわね。177くらい。後は…あんまり特徴がない。


「ちょっと…黒板に、今日の授業の内容を、先に書いておこうって思ってね。僕は黒板に書くのが、遅いから」


 女子高生2人に挟まれて、照れまくっている。


「おはよう!あっ、先生だ!」


 次々に入ってくる生徒達が、先生に群がってくる。ただし女子生徒だけ。男子生徒は一応、挨拶はするけども、皆席に座る。


 そんな様子を観察しながら、一つだけ特徴を見つけた。


 イケメンで、優柔不断で…男子には人気がないと。


 いつのまにかクラスの殆どの女子が、実習生の周りを取り囲んでいる。


「まったく!一般的に、女は年上が好きといわれるけどさあ」


 知らぬ間に、メグがあたしの横で呆れた顔で、立っていた。


「あれじゃ、砂糖に群がる蟻よね」


 顔をしかめて、メグは窓側の一番後ろの席へと戻っていった。


「ち、ちょっと、どいてくれないかな?黒板に字が書けない…」


 怒っているというより、固まっているというか…びびっているというか。そんな実習生の様子に、女子生徒がさらに、面白そうに詰め寄っていく。


「だから、どいてほしいんだけど」


 無情にもここで、始業のチャイムが鳴り、群がる蟻が一目散に、自らの席に戻っていく。


「あああ…」


 声にならない声を発しながら、肩を落とす実習生。


「――そ、それでは、本日…担当の中村先生が急用で、お休みになられましたので、朝のホームルームは、私が代行することになりました」


 気を取り直し、出席を取ろうとした時、1人の女子生徒が立ち上がった。


「はあい!先生質問で〜す!先生って、彼女いるんですか?」


 いたずらぽい瞳で、見つめながらきいてくる生徒に戸惑いながらも、


「いません」


と真面目に即答してしまったものだから、さらに質問は続く。


「キスとか経験あります?いつですか?」


「家は、どこですか?」


 出席を取ろうにも取れず、質問も段々と多くなってくるから、どうしたらいいのか…おろおろする姿に、かわいいと声がした。


(こりゃあ駄目だ)


 女子生徒達ははしゃぎ、男子生徒は怒りを覚えている。


 今日は休んだら、よかった。なんか学校にいるのが馬鹿らしくなってきた。


 その時。


「あんたらね。うるさいんだよ!」


 激しい音を立てて、一番後ろの席に辿り着いたメグが立ち上がった。


「え、えっと…君は相沢くんだったかな?」


 出席簿を見ながら、名前を確認する実習生。


「先生。出欠とらなくても、全員いますから、早く授業を続けて下さい」


「なによ!恵美!えらそうに、あたし達の先生に、何命令してんだよ」


 一番最初に質問した生徒…豊川町子が、メグに食って掛かる。


 この女…たち悪いんだよね。ちょっと美人だからって、鼻にかけてて、いつも場を仕切りたがるんだ。


 メグの怒りは、町子に向けられた。


「命令?誰もそんなふうに言ってません!あたしはただ、当然のことを言っただけです。学校に来てるんですもの。授業を受けることが、当然でしょ」


 メグの言葉は続く。


「それじゃあ何かしら?誰かさんは男をあさり…じゃなかった。男いじめに来てらっしゃるのかしら?まあ…美人でいらっしゃいますから、ご不自由はしていないと思いますけど…。あたしの目の前で、授業中にしないでくれますか!」


 口調は妙に丁寧ながら、血走った目を向けて、メグはゆっくりと町子に近づいて行く。


「なんですって!」


 ヒステリックな声を上げた町子を、からかうようにメグが見つめる。


 接近した二人が、睨み合う。


「メグ!」


 仕方なく、あたしは立ち上がり、膠着状況に陥った2人の間に割って入った。


「落ち着いて、メグ」


「睦美!邪魔よ!どきな」


 さらに何か言おうとするメグの口を強引にふさぎ、羽交い締めにしながら、席へと戻っていく。


 怒りでわなわなと震えている町子の目が、あまりにもどす黒かったのがちょっと気にかかったけど、今はそれどころじゃない。


「ケンカをやめて下さい!」


 ここでやっと、実習生の登場だってさ。


(おいおい! )


 実習生は、町子の前まで来ると、メグに顔を向けた。


「相沢さんの言う通り、授業中の私語は慎むものです。しかし、個人のプライバシーを言うのは…」


「先生!」


 いきなり、町子はこれ見よがしに実習生に抱きつくと、思い切り泣き出した。


 思い切り慌てる実習生。


 その泣き声の白々しさに、一気に場は白け、ただ1人深刻に受け止めている実習生が滑稽に見えた。


 最悪。


という訳で、あたしの実習生の第一印象は、ただ情けないだけのどうでもいいような男にしか映らなかった。


 いざ授業が始まっても、黒板に書く字は歪んでいるし、緊張しているのか…生徒に敬語を使うし、


「―さん。教科書を読んで頂けないでしょうか」


 頂けないでしょうかって、そんなこという先生を初めて見た。本当に、こんなのでやっていけるのかな。


 他人事ながら、少し心配になった。




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