98 配慮、学習
それは、彼女が不用意に能力を揮わず、特定の人物に不利益をもたらさないと示すための配慮だ。
「デザイナーベビーの歴史はまだまだ浅い。当たり前だけど、反発もある――命への冒涜である、という理由以外でね」
彼ら彼女らを認識している者はごくわずかだが、その中でも意見は割れている。その特異な能力を恐れる者。独占しようとする者。そもそもその存在を認めようとしない者。
あまりにも目に余る場合は弾かれていくが、立ち上げられたばかりの組織制度に試行錯誤はつきものでもある。全てを肯定する人員だけでは成り立たないのも現実だ。故にある程度の折り合いをつける必要はある。
更に最初に能力を顕現させた立見司狼から十数年後、しかも三人が立て続けに能力を発現したのだ。日本の能力持ちのデザイナーベビーはここ数年で一息に増えたことになる。
立見司狼の模範的な振る舞いからデザイナーベビーへの風当たりは多少軟化しつつはあった。しかし、彼らがそれぞれに未知であることは変わらないのだ。
「アレは、彼女をコントロール出来るのだと証明するためのもの……デザインについてはもう少し何とかしたかったんだけど、どうにも先方の頭が硬くてね」
「……な、るほど」
何とか返事をしたものの、自分が考えているよりも彼女の立場は複雑なのだと痛感する。
「アレに拘束力があるわけじゃない。彼女の意思で身に着けているものだよ……あの子はかしこいから、そうすべきであることをちゃんと理解してる――そして、」
言葉を切った要が竜弥を見据える。相変わらず居心地が悪そうにソファに縮こまっている竜弥に、彼は小さく笑った。
「彼女の境遇に、憤りを覚える者は少ない」
竜弥がほんの少しだけ目をみはった。美姫の扱いについて聞いている内、胸の中に淀んだもやを要は憤りと呼んだ。
「あの子は……美姫は賢すぎる。人の思考を読めるから、と言うのも勿論あるけど、あの子は周りが望む通りに振る舞おうとする――あの歳で、既に」
ちらりと美姫の部屋へと視線が向かう。見た目よりもずっと大人びていると感じたのは間違いではなかったようだ。それでいて、あの部屋は幼い少女のために誂えられている。なんともちぐはぐだ。
「僕らの努力の甲斐あって、この地下で、僕らの前でなら少しはわがままを言ってくれるようになってきた」
垂れ気味のエメラルドがゆったりと細まった。その視線が重量を持って竜弥へと向けられる。
「だから、君には期待してるんだよ」
「……最善を、尽くします」
何とかそれだけ答えた竜弥に満足げに頷き、要は自身の端末をいじる。ぽこん、と竜弥の端末が音を立てた。画面の中で後ろ足で立ち上がった蜥蜴が前足で手紙のアイコンを掲げている。
アイコンをタップして開けば、つらつらと文字の羅列が流れ出した。思ったよりも量が多い。思わず顔を上げて送り主を見れば、にこ、と穏やかな微笑みが返ってきた。
「それ、美姫の好き嫌いね。基本情報だから、早めに覚えてね?」
「自然体で大丈夫みたいなこと言ってませんでしたっけ……」
「それはそれとしてお仕事だから。ある程度努力義務はあるよ」
ちょっとだけ反論してみるも、さらりと正論を突き付けられた。再び端末に目を落とす。画面に並ぶものは竜弥には縁もゆかりも知識もない愛らしくて甘いものばかりだった。
繰り言になるが、竜弥の身近に小さな女の子はいない。幼い頃から身体が大きく、同年代だった幼女にすらやや遠巻きにされていたほどである。己が粗野な自覚もあるため、怪我をさせては敵わないと彼自身近寄ろうともしてこなかった。
とは言え、子どもが嫌いと言うわけではないのだ。接し方が分からないだけで。取り敢えず一旦待機を言い渡された竜弥は貰ったリストをじっくりと眺め始めた。
「トゥンカロンて何だ……?」
『太ったマカロンって意味らしいぞ。一般的なマカロンよりクリームやガナッシュがたっぷり入ってるマカロンのことだな』
リストの中ほどにあったカタカナを呟けば、優秀な蜥蜴が辞書を読み上げる。更に検索された画像が表示された。パステルカラーの生地にクリームやフルーツがたっぷり挟まったお菓子が繊細な作りのアフタヌーンティースタンドに並んでいる。
画像を見た竜弥の脳裏に真っ先に浮かんだのは『かわいい』ではなく、『食べにくそう』であった。あの小さな口でどうやって食べるのだろうかと考えてやめる。多分そういうものではないのだろう。
キラキラとした加工を施されてネットをたゆたう画像が次々と表示される。可憐な女の子によく似合うかわいいもの。どれもこれも美姫のイメージにはピッタリだ。
「…………」
ネックレスではなく、ティアラ。ジュースではなく、紅茶。レースとフリル、リボンがたっぷりのワンピースはまるでドレスのよう。
無意識に解析を始めた思考が点を抜き取り、繋げていく。物語に出てくるお姫様らしい装い。それに似合う食べ物、調度品。
「マダラ、彼女の好きな童話は」
『シンデレラ、白雪姫、ねむれる森の美女』
とつとつと上げられていく題名に己の推測がおおよそ当たっていることを知る。お姫様が主人公もしくは主人公がお姫様になる物語がお好みのようだ。
「変身願望はストレスからの逃避だったか」
『心理学的には満たされない欲求からくるストレスからの逃避とされているな』
あの歳で仕事もしていると聞いているため、外のことを全く知らないと言うことはないのだろう。配慮こそ行き届いてはいるが、地下部屋だとやはり気が滅入るのだろうか。あるいは、仕事が辛いのか。
「そういや、彼女の仕事って……」
『最重要案件とされた事件に関する証拠物から必要な情報を読み取ること、だな』
「……過去に彼女が貢献した事件のデータってオレに閲覧権限あるか?」
あるぞ、と応えたマダラが一拍置いてその一覧を読み上げていく。――そのほとんどが、いわゆる猟奇事件と呼ばれるような殺人を含む案件だ。
マダラの声をBGMに竜弥は顔を覆ったまま長く息を吐いた。鼓動や呼吸の調子から主人の精神的揺らぎを感じ取ったAIが一旦読み上げをやめる。こちらを見上げる蜥蜴と指の間から目を合わせて口を開いた。
「続けてくれ」
『……了解した。一番最新のものだと――』
挙げられたその事件は過去に竜弥も携わった件だった。連日ニュースに取り上げられ、長く世間を騒がせた凄惨な連続殺人だ。新人とともに現場検証をした際に、その青年が耐えきれずに粗相をしたことをよく覚えている。つい最近に新たな証人が現れ、犯人が逮捕されたばかりなのだ、が。
――それを、あの小さな女の子が?
難事件の解決にその能力を利用していると言うのは教えられた情報の中にあった。だが、あの歳の子どもなのだ。てっきり行方不明者の捜索や盗品の行方を探す程度のものだろうと思い込んでいた。
「いやだって普通そうだろ……」
かきむしった髪を雑に後ろへと撫でつける。額に嫌な汗が滲んでいた。つくづく己の常識が通用しない世界であった。
しばらくぶりの更新です。。。
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