87 記憶、空っぽ
要の言う記憶領域とは人間の記憶の保管庫のようなものである。人が見聞きした全てを、映像データとして継続的に外部媒体に記録していくのだ。
そこにはマイクロチップを埋め込んだ瞬間から現在に至るまでの全ての記憶が、一切欠けることなく存在している。更にその人物の死の瞬間にはマイクロチップは機能を停止し、記憶領域内のデータは破棄されるようにプログラムが組まれていた。これは記憶領域内のデータを一定量に保つためとされている。
とは言え、膨大な量となるそれらから必要なデータを抜き出すのは簡単なことではない。加えてプライバシーの観点から、アクセス権限を持つ者は極少数に絞られ、幾重にも保護されて管理されている。
因みにであるが、記憶領域内のデータが通常の犯罪捜査に使われることはない。容疑者となり得る人間の記憶データを漁るよりは現場を調べた方が早いからである。
では何故人の記憶を管理しているのか?
この疑問については諸説あるが、犯罪抑止力としての意味合いが大きいとされている。店舗における監視カメラの存在が窃盗の抑止力となるように、『誰かに見られているかもしれない』『記録に残るかもしれない』という感覚は踏みとどまる理由になり得る。
が、本当の理由を知る者は一人だけだ。そして、御部要はその人物ではない。
「息が詰まるな……」
ネクタイを緩めながら一人呟く。そんなことで閉塞感がマシになることはないが、何かせずにはいられなかった。
新種のバグとの戦闘から僅かに十数時間後。要は暗い部屋に立っていた。背伸びをして手を伸ばせば天井に手が届くような小さな部屋だ。
部屋の真ん中には座り心地のよさそうな椅子と、小さなテーブルが置かれている。テーブルの上にはゴーグルのような器具が乗っていた。
要は椅子に深く腰掛けるとゴーグル型の器具を手に取った。勝手知ったる様子で目元に装着すると、光が遮断されて視界が真っ暗になる。一体となっていたヘッドホン部分に音も遮られ、耳元でこもったような血流の音が聞こえてきた。背もたれに身体を預け、両のこめかみの辺りに右の人差し指と左の親指を当てる。
「指紋・声紋認証及びコード認証――御部要、No.KK000-XXXX。No.JW075-XXXX、個人名『豊利紬』の記憶の再生許可を申請します」
『指紋・声紋及びコード認証を確認。申請を受理、実行します』
抑揚のない声に続いてぷつりと何かが切れるような音がして、じわりと目の前が明るくなっていく。
『つむぎちゃん、こっち!』
幼い声が呼んでいる。木の影になっているのか、視界の中に木漏れ日が降り注いでいた。その向こうで、何人かの小さな子どもがこちら――幼い紬に向かって手を振っていた。
不意に何かが視界を横切る。ボールらしきそれを追いかけて、視線が動いた。
その先には、見上げるような大木が立っていた。大人でも複数人でなければ抱えられないような太い幹から、無数の枝葉が伸びて空を覆っている。少し苔むした注連縄が巻かれていて、白い紙垂が風に揺れていた。
視界がこてりとわずかに傾く。が、再び子どもらしく甲高い声が紬を呼び、彼女はそちらを向いて走り出した。
「小さい子たちの面倒見てるって言ってたっけ」
眼前を流れる光景に一人呟いた。紬の視点で、紬が見聞きしたものだけが要の目の前を流れ、耳を通り過ぎていく。その中からあの少年の情報を探し出さなければならないのだ。
記憶が続けて再生されていく。小学三年生の七月の終わり頃の出来事だ。夏休みに入ったようで、子どもたちは連日神社の裏手の森に集まっていた。
まだ端末を渡されていていない年齢の子どもたちは、その日の遊びの終わりに明日の遊びの約束をしていた。約束に遅れた子がいれば皆で迎えに行き、来れなくなった子は近所の子に伝言を頼むのだ。
要は幼少期に他の子どもと遊んだ経験などないが、この環境は現代においてもなかなか特殊なはずだ。多くの子どもは親の端末で連絡を取り合い、予定の変更やキャンセルをするのだ。紬の住む町は比較的小さく、子どもも少ないために人力でもネットワークが回るのだろう。
そんな中でも紬は面倒見のいい、神社のおねぇちゃんとして皆をまとめていた。幼い子も同い年くらいの子も紬を慕って仲良く遊んでいたのだ。
微笑ましい光景に思わず頬が緩みそうになる。が、目を凝らし、些細なことも見落とさないようにと神経を張り続けた。
「…………?」
流れていく記録の中に一つ、小さな違和感が生まれた。視線が不意に大木の方へと向くことが多くなっていく。その度に紬はこてんと首を傾げていたのだ。
記憶の再生はあくまでも当人が見聞きした情報のみの再生となる。その当時紬が何を考えていたかまではわからないのだ。それをどうにももどかしく感じながらも要は目を凝らし続ける。
それから飛ばし飛ばしに数日が経つ。じわじわと姿の見えない蝉が鳴く大木の下で、紬は片手を差し出した。
『きみもいっしょに遊ばない?』
「は……?」
差し出された小さな手のひらが緩く握られる。こてりと傾いだ視界が一つ上下した。
『ほら、いこ?』
言葉と同時に紬が歩き出す。後ろを気にするように歩く視界では、空っぽの手のひらが揺れていた。
「紬ちゃん?」
聞こえるはずもないのに思わず少女の名を呟いた。手を振る子どもらに合流しようと歩きながら、紬はふと後ろを振り返る。
『きみ、名前は? わたしはつむぎって言うの』
要はそっとヘッドホン部分を手で押さえた。どくどくと耳元に聞こえる自分の鼓動が嫌に大きく聞こえてくる。
『そう……? んー……じゃあ、“ナリ”って呼ぶね!』
おそらくはこの日から、彼女は透明な少年と縁を紡いだのだろう。
彼の名は。
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