86 確認、御社
要が純恋と鷹彦に数分前の出来事を話すこと暫く。その間に美姫は深く寝入ってしまったが、離そうとするとむずがるのでソファに座った要が膝の上に抱えたままでいた。
微かな電子音を立てたフリールームの扉が開く。部屋に入った途端口を開こうとした司狼に、部屋の中にいた三人が同時に人差し指を立てた。咄嗟に口を噤んだ司狼を追い抜き、竜弥は要の前に膝をついた。
「預かるよ」
「ん、お願い……そのまま一緒にいてあげてくれる? 随分寂しがってたから」
「あー……オッケー」
竜弥が片膝立ちの体勢からひょいとお姫様を抱き上げる。自分を抱き上げた人物が本能的に分かったのか、美姫はいつものように首に手を回して抱き着いていた。
燕の尾めいたスーツが扉の向こうへ消えたところで、ようやっと要が司狼と向き直る。
「……はい。僕も君たちとほぼ同時刻におそらく同じタイプのバグと戦闘になり、処理しました」
喉に何か詰まったような音を立てた司狼がしばらく黙り、大きく溜息を吐いた。鷹彦も先程似たようなことをやっていたな、と要はそんなことをぼんやりと考える。
「残念ながら、僕の領域内でのことだし咄嗟に記録できなくてね。でも、動画見た限りは同じタイプと考えていいと思う」
「黒くてどろどろ?」
人志の言葉にこくりと一つ頷く。そうして紬の方へと視線を移した。鷹彦がその血色の悪い頬を確認するように触れていた。
「……血の気が引いている。だいぶ冷たいな」
覚えのある症状に顔をしかめる。また何か思い出してしまったらしい。
「……あぁ、そうだ。あの映像だとあんまり音聞こえなかったんだけど、あのバグなんか言ってたりとかしてない? 言うって程じゃなくてもノイズとはこう、何か違う感じの」
そう言いながらうまい表現が出来ないのがもどかしいのか、要が微妙な表情を浮かべている。
人志と司狼が顔を見合わせた後首を横に振り、紬の方を見た。視線を受けた彼女も同じ方向へと首を振る。
「あ、そう? 僕が見たやつは割とおしゃべり……おしゃべり? だった感じあったんだけど。や、まぁ何言ってるかとかは全然わかんなかったけどね」
討伐に時間をかけ過ぎたこともあるのだろうか、と頭の中で考えを巡らせる。
「紬ちゃんが今回のは狐――動物に見えたって聞いたからその辺に関係あるのかと思ったんだけど……」
あぁ、と人志が小さく息を零した。一般的に虫の鳴き声と呼ばれるものは身体の一部を擦り合わせることによって発生する音であることが多い。対して動物は発声器官を使って声を出すのだ。
考え込む要に紬が静かに声をかける。顔を上げると、少し迷うようなそぶりを見せつつも口を開いてくれた。
「その、狐のような、と言いますか……これまでの虫とは違ってあんまり形が定まってない感じがしました」
稲荷の遣いや自分のガイドであるミケ。紬にとって狐が身近な動物だったのもあり、そう思い込んでしまった可能性もある、と。自信なさげにそう言う紬に要がゆるゆると首を横に振った。
「いや、君がそう感じたのならそうなんだと思うよ――多分、彼は君に気づいて欲しいはずだからね」
「…………」
ぎゅ、と握られた手のひらから血の色が消えていく。思い出してしまった記憶に、どろどろとした黒が重なった。
「あの子、古い御社に住んでるって言ってて……」
「……社って言うとあれかな、『おいなりさまのお家』?」
幼い文字が紡いだ物語を思い出しながら問えば、紬がこくりと頷く。
紬の言うところの御社とは、神さまをお祀りする場所――つまりはその神社の御神体のための建物だ。白貴稲荷神社においては、遠い遠い昔に一人ぼっちの狐のために作られたとされる社である。小柄な子どもであれば手足を伸ばして寝ることが出来る程度の大きさの簡素な木造の建物だ。
「ただ、あの御社は何代か前に御神体が遷座されて空になってるんです」
遠い昔に村人が作ったとされるその御社は、構造が簡素なのもあり何度も修繕されながら保たれていた。が、当然それにも限界が来るものである。紬が生まれるよりも遥か前に建物の老朽化が本格的に問題になり始め、御神体は神社の本殿近くに遷されたのだ。今では言い伝えと建物だけが残っている状態なのである。
「一応代々宮司……私のお父さんが管理してはいたんですが、古くなってて危ないから子どもは近寄ったらダメだと言われてました」
「……紬ちゃんはそこに行ったの?」
多分、と呟いたところで紬がこめかみを押さえた。藍の瞳がくしゃくしゃになるほど力の入った瞼に隠される。人志が紬の頭をソファの背もたれに導くのを見ながら、要は一つ息を吐いた。
繋がりが、はっきりし始めている。紬の記憶の残渣が寄り集まって強い輪郭を持ち始めている。
誘われている、のだろうか。彼のテリトリーへと。
例の社に限らず、白貴稲荷神社は今や放棄された神社だ。立ち入りを禁じられてこそいないが、管理する者も近づく者すらいないのだ。
「例の事件以降、神社は監視対象ではあるけど今まで異常は起きてないんだ……ただ、そのお社ってやつは報告にあがってない」
「あぁ……まぁ、地域の人ももうほとんど知らないですからね。正確な場所知ってるのも神社の関係者くらいだと思いますよ」
地元の人でも最近だと遷座されたという事実すら知らない人が多いほどだ。古い古い物語はお社と共に忘れられつつあった。
「それだと寂しいからって、あのお話を……」
「彼のために?」
こくりと頷いた紬の頭から、差し込むような痛みは消えていた。
「一度現場をしっかり調べたいとこだけど、紬ちゃんを連れていくのは正直ちょっとね……」
「確実に何かが起こるだろうな」
事件に深く踏み込めはするだろうが、危険も大きい。その上当時の資料の全ては既に要の頭の中にある――紬の証言を除けば、だが。
「……言い忘れてたんだけど、明日紬ちゃんの記憶領域の開示手続きが終わるんだ」
ぴくりと紬が身じろいだ。要は組んだ指に視線を落とし、くるくると遊び始める。
「権限者として、僕が紬ちゃんの記憶を確認します。取り敢えずはそれが終わってから判断するとしようか」
ぱん、と一つ手を打った要によってこのお話は一度終わりとなる。
『おんしゃ』じゃなくて『おやしろ』です。
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