82 漆黒、お披露目
炎が熱波を抱いて膨れ上がる。白い火の玉の中心から熱風が渦を巻いて屋上のフェンスをひしゃげさせていく。
司狼が掲げていた手から離れたそれは、彼の指の指し示す方向へと進み、狐の胴体辺りに着弾した。
途端、悲鳴にも似たノイズが響き渡る。紬と司狼は咄嗟に耳を押さえた。が、紬を抱えていた人志はそれをまともに食らって顔を歪めていた。
燃え盛る青白い炎の中で黒狐が悶えるように身をよじる。まるで本当に生きたまま焼かれているかのようだ。何度も何度も、鳴き叫ぶようにノイズが鳴った。
不意に狐が大きく背を反らして顎を開いた。途端、咆哮のようなノイズが空気を揺らして伝播していく。司狼は咄嗟に炎の壁を展開し、黒狐を覆う。
「ッべ、人志!」
「分かってる!」
短い応酬もそこそこに人志が指を鳴らした。周囲に強大な重力場が展開し、狐を炎ごと床に這いつくばらせる。空気が震えることすら許さないほどの強力な重力に、床がゆっくりと陥没していく。
顎を開くことも出来ないほどの重力場で、狐は目だけを動かして紬を見つめていた。何かを訴えかけるように――哀願するように。紬もまた、それをじっと見つめ返していた。
人志は、そんな彼女の様子を横目で見ていた。そうして小さく舌を打つ。狐に向けていた手を広げ、ゆっくりと手のひらを返した。くい、と指先を上に向けて一つ呟く。
「重力球」
びく、と抱え込んでいた身体が揺れた。同時に狐の頭上辺りに真っ黒な小さい球が浮かび上がる。それは、いつも人志が使っている球よりも深く、光を吸い込むような漆黒をしていた。
浮かぶ黒球は雷鳴のような弾ける黒を纏いながらゆっくりと回転を始めた。途端に狐の身体を形成する黒を引き剥がし、己の一部とするように吸い上げていく。黒に向かって風が流れ、司狼の炎すら吸い込まれて影すら残さず消滅していく。
「あ……」
紬が小さく声を上げた。最後に燃えカスのような黒が吸い込まれ――静寂が訪れる。
人志もまた、音もなく屋上に舞い降りた。ふは、と詰めていた息を吐いて沈黙を破る。
「アレは違うだろ」
「え……?」
数分ぶりの床に慣れない様子の紬が首を傾げた。人志はというと少し顔を反らしてがりがりと頭の後ろを掻いている。
「アレは……その、……紬の友だち、じゃ、ないだろ」
「…………うん」
二人に駆け寄ろうとしていた司狼が、聞こえてきた会話にゆるゆると足を止める。
「約束、とかなんか色々言ってるけど……それ守んなきゃ友だちじゃなくなるってんじゃないだろ」
うん、とまた幼い声が応じる。司狼はバグの消滅地点を調べながら耳をそばだてていた。陥没した床には特殊グラスを通して見ても何も残っていない。ススの一つすら、吸い込まれて消失していた。
先ほどの黒い重力球は人志の新技の一つだ。南条高校での一件以来身体を鍛えるのと同時並行で能力のコントロールも行っていたのだ。
元々人志の持つ重力操作は重力の付与と除去である。それだけでも十二分に強力ではあるが、人志の身体能力と頭脳によって更にその幅を広げている。人志はより強力になった重力によって空気や空中に浮かぶチリを集めて圧縮し、異常に高い質量を持たせたのだ。
――それは即ち、小さなブラックホールである。近くにあるものを吸い寄せ、際限なく呑み込んで更に成長していくのだ。
司狼はちらりと人志の方を窺った。あれだけの力の放出を行ったにもかかわらずけろりとしているように見える。自分が言えた義理ではないだろうが、順調に人の枠から外れ始めているらしい。
それでもちゃんと紬のことを気にかけて、励まそうとしている。単純にお友だちを取られるのが嫌だ、という幼い理由かもしれないが。
「……まぁ、とにかくだ。アレのことアイツと思うのは止めた方がいいぞ。それに、アイツのやってることに紬は関係ないんだから、紬は悪くないだろ」
「……うん。ありがと」
「ん」
不器用な言葉に紬はぎゅっと両手を握り締めてぎこちなく笑う。紬の持つ罪悪感の全てを拭い去ることは出来なくても、人志には彼女ごと抱える力がある。
「シロ、そっち何か残ってる?」
「いや、なぁんも――しいて言うならヒビと焦げ」
司狼が立ち上がりながらそう言うと人志は顔をしかめて見せた。マジで散々だなこの校舎、と零しながら床を爪先でつつく。
「連続だもんな……流石になかったことになるか?」
『そうだね』
静かな声が会話に割り込み、三人は一様に音源を探して視線を巡らせた。上から聞こえてくるのに気づいた人志があ、と小さく声を漏らしながら指先を弾いた。視界の外から人志の端末が降ってきてぽすりと彼の手のひらに収まる。
『三人とも怪我はない?』
「ねーよ」
「ないねぇ」
「あの……っ」
銘々に言葉を返す二人に紬が声を絞り出す。ぴくっと眉を上げた人志の視線が紬の頭から爪先までを往復するように動いた。半袖のシャツの袖が僅かに赤く染まっている。
「や、私じゃなくて人志君! 手の甲切ってたでしょ」
袖をまくり上げようとしたのか、顔色を変えて腕をつかみに来た人志の手にハンカチを当てる。ワンポイントの刺繍がされた水色のハンカチがみるみる染まっていく。
「え、うわマジか」
「多分窓から出た時に……」
本人は全く気付いていなかったらしく、驚いた様子だ。そこそこ深い傷のようで、ハンカチは瞬く間に赤く色を変えてしまった。
『バグに付けられた傷ではないね?』
「おー、オレアイツには近寄ってねぇし……つか」
人志がぴくりと片眉を跳ね上げた。
「バグの物理干渉の話したか?」
『あーいや、こっちでもちょっと問題起きててね――今ちょっとヤバいから一旦切るけど、直ぐにまたかけ直すから』
「はァ!?」
司狼が大声を出したところで、ぷつりと通話が切れた。
ハッピーニューイヤー!!
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