81 白い太陽、導き
通常のバグは物質や生き物に物理的に干渉することは出来ない。当然こちらから接触することは不可能だ。更に言うとバグは壁などの物質を通り抜けることは出来ない。波長が特徴的らしく、通常の電波であれば減退程度で済むような材質の壁にすら阻まれてしまうのだ。先日の南条高校での事件の際に大きな被害が出なかったのはそのためである。
故に、CS対策課は同じ次元の電波を利用することでバグに干渉し、消滅させる武器を開発している。司狼は能力を生かすため、身体そのものに電波を纏うことで炎にも同じ特性を持たせていた。
司狼は己が叩きつけた黒の、その奥へと目線をずらした。視線の先には言い訳のしようもないほどにひしゃげた扉がある。学生の喧嘩程度では起きない破壊跡だ。南条高校も災難である。
床からやや持ち上がった黒は己を見つめている司狼には興味がないのか、あるいは体勢を整えているのか、じっと動かない。紬が言うには狐らしい。じっくりと眺めていれば獣のように見える気もするが、目の錯覚かもしれない。
「ふー……」
首に手をやってこきり、と一つ骨を鳴らす。その間もじっと黒に視線を突き刺していたが、こちらには向かってこない。通常のバグであれば見られていることを認識して即座に襲ってくる。そうでないと言うことは、あれは獲物を選別している可能性が高い。
この三人の中で、最も狙われる可能性が高いのは紬だ。実際モニターから飛び出してきたこいつは目の前にいた司狼には目もくれずに後方――紬と人志の方へと突進していた。
今は彼らを見失って手近にいる司狼を襲っているのか。あるいは、自分が目的のための障害であると理解しているのか。
「構わないでやってくんないかなァ、マジで」
上空には届かない声でぼやく。司狼は手のひらに炎を灯すとじわじわと火球を育てていく。何が起きるかわからない以上、一撃で消し飛ばすのが良いだろう。
うっすらと青みを帯びた白い火の玉が、夕日に重なるように空へと掲げられる。
「出力ヤバ。もうちょい離れるぞ……紬、大丈夫か」
立ち昇る熱から逃れるように人志が空を歩く。こくりと小さく頷いた紬は少しでも熱を逃がそうとふぅふぅと息を吐いていた。汗が玉を作っては滴り落ちていく。
――あぁ、そう言えば。あの日はこんな、うだるように暑い夏の日だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「――はこのあたりに住んでるの?」
じわじわと命一杯にセミが鳴く中で、そう問いかける。いつもいつも彼はいつの間にか大木の近くに立っていて、紬が皆を連れて帰るころにはいなくなっているのだ。
走り回るのに疲れた紬は子供たちから離れ、大木の影で彼の隣に座り込んでいた。彼はこくんと一つ頷いて大木の向こう側を指差した。
「向こうの、小さいお家にいるよ」
「向こう?」
幼い紬は彼の白い指の示す方向を視線で辿った。大木の後ろには、ひょろりと伸びた二本の木が立っており、その間にある小道を通せんぼするように注連縄が張られている。二人のちょうど腰の辺りで白い紙垂が揺れていた。
「お父さん、向こうには行っちゃダメって言ってたよ? 神さまが住んでたところだからって」
少し訝しげな表情の紬に、彼は小さく笑った。声に昏い響きを感じ取って、思わずぴくりと身体が揺れる。
「……神さまなんて、いないよ」
「え……?」
ぼそりと落とされた声は、彼が履いていた草履に踏みつぶされて地面の染みになった。ぐい、と汗ばんでいた腕を引かれる。相変わらず彼の手は氷のように冷たかった。その時はどうしてか、その温度が少し怖いと感じたのだ。
彼は紬の手を引いてすたすたと歩いていく。その細腕のどこにそんな力があるのかと思うほど、紬の小さな抵抗を全く意に介さず注連縄の前まで彼女を引っ張っていく。
「――?」
「見てて」
短くそう言った彼が、その細い指で注連縄をちょん、とつついた。ぶつり、鈍い音がして、ぱらぱらと細かい藁が地面に落ちていく。
それを呆然と見つめていた視線を彼へと移す。彼はどこか楽しそうな表情を浮かべていて、一層困惑した。
「おいで」
驚くほど変わらない温度の声と手に、紬はその先へと誘われたのだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ぱちぱちと視界が明滅する。立ち昇る火の粉と熱のせいもあるのだろうが、こめかみに差し込むような痛みには覚えがある。
それでも見ていなければならない、と。ぼんやりした頭の中で強くそう命令する誰かが居るのだ。それがあの子なのか、あの日の自分なのかはわからない。
扉に叩きつけられた黒い狐は、相変わらずふんふんと虚空を嗅ぐような仕草を見せている。骨や筋肉は再現できていないのか、ずるずると軟体動物のような奇妙な動きをしていた。
「紬、つむぎ、大丈夫だ」
人志が何度も名前を呼ぶ。本能的に彼女を繋ぎとめようとしているのだろう。紬もそれに応えるようにぎゅっと彼の服を握る。
名前は、その人をその人たらしめるためのものだ。有名な話だと、神さまに真名を教えてはならない、なんてものもある。名前さえ知ってしまえば、その存在をどうとでも出来るようになってしまうのだ、と。
だから、紬はまだ彼の名を思い出せない。目下で蠢くあれが何なのかわからない。
「悪いけど、消し炭になってくれるか?」
わからないまま、あれは消えていくのだ。
注連縄から垂れてるアレ、紙垂って言うんですって、初めて知った。
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