80 日常、違和感
授業をすべて終えれば、後は部活の時間だ。司狼が隅に座り、その上に人志が浮いて見守る中、紬は荷物をまとめると部活棟へと向かった。
「今日はワンライっつってたっけ?」
「うん。人志君もやる?」
ワンライはワンアワーライティングの略称だ。出されたお題に沿って一時間で一つのショートストーリーをかき上げるというものである。
紬の所属する文芸部では同じお題で一斉に書き始め、出来上がったものを評価し合うのだ。お題はネットのお題メーカーがランダムに選んだものを使っている。スタートをタップするとお題が三つ表示されるタイプのものだ。
続々と部員たちが集まっては適当に席についていく。紬も二年生が固まって座っている辺りに腰を下ろしておしゃべりしながら待っていた。
やがて準備を終えたのか、パッとモニターが点いて皆の視線を集めた。部長が手元の端末を操作してお題メーカーのアプリを起動させた。モニターがちかちかと点滅して、三つのお題を表示する。
『森の中』
『疳の虫』
『小さな祠』
キーボードに添えられていた指がぴくりと跳ねた。耳慣れない言葉に調べている生徒も多いようだった。三人だけが、その言葉の示す意味を知っている。
「んだこれ……」
「待て。お前は紬ちゃんの傍にいろ」
調べに行こうとする人志を制すると、司狼はつかつかとモニターに歩み寄って自身の端末をかざした。ジジ、とノイズが鳴って、画面の中の鷹が不快そうに身をよじる。
覚えのある悪寒が、脳内でアラートを鳴らした。背後でガタンッ、と大きな音が響く。
「立見さん前!」
叫ぶような声が耳を打つ前に、司狼は身を翻した。ほとんど同時に紬を抱えた人志がモニターの正面から飛び退く。
一瞬前に人志の頭があった辺りで火花が散った。
「外に出ろ!」
咄嗟の指示に従い、人志は紬を抱えたまま窓に走る。同時に指先で黒玉を弾いて窓を割った。認識を書き換えられたらしい何人かの生徒の悲鳴が上がる。
窓枠を飛び越えた人志に続いて司狼も外に出る。手を差し出すと、小さく頷いた人志が司狼の手をひっ叩くように触れた。途端に大柄の身体が浮き上がる。
「上に!」
司狼は力強く地面を蹴り、屋上まで跳躍した。軽々とフェンスを乗り越え、手のひらに炎を灯して臨戦態勢を取る。
先に着いていた人志は一旦紬を下ろして背に庇いつつ、遠い地面の方を見下ろしている。紬も人志の肩越しに、それを見ていた。
ずるり、と。割れた窓から黒い影が這い出てくる。べしゃり、と音を立てて地面に落ちたそれは、ゆっくりと形を取った。
四つ足で地面を踏みしめ、曖昧なシルエットをした細い身体が持ち上がる。顔と思しき部分に二つ、黒曜石のように光る目が見えた。頭の上には三角形の耳らしきものが突き出している。身体からは尾のような細長い影が伸びていた。
「……き、つね?」
「何?」
思わずと言った様子で呟いた紬に、人志が怪訝そうに眉を上げた。が、直ぐに合点がいったようでゴーグルを装着し、地面の方へと視線を戻す。
紬が蜂の群だと言っていた黒と似たような質感を持つ塊だ。濃い濃いとした黒はこれまで見てきたバグのように透けてはおらず、強い密度を持って蠢いている。
「虫じゃねぇのか?」
「っ、うん多分……狐、に見える」
色と曖昧な形のせいか、稲荷の遣いよりも妖怪の類に見える。ポケットの中の画面に映る白狐とは似ても似つかないおぞましい姿だ。
だからこそ、寂れて朽ちた神社が頭に浮かぶ。
紬の視界の中で、それはふんふんと空気の臭いを嗅ぐような仕草を見せた。そうして次の瞬間にはぐるん、とその顔を上へと向ける。色を際限なく吸い込むような黒が、それでもギラリと鋭利な光を放った。
「こっち見てんのか?」
黒から目を離さないままにそう問えば、震える身体が腕の中で小さく頷く気配がした。司狼が炎の灯る拳を握る。
「人志、紬ちゃん連れて離れてろ。俺が相手するから要たちに連絡して、出来れば記録取れ」
首肯を返した人志が紬を抱きかかえたままふわりと浮かび上がった。ついでのように録画状態にした端末を浮かせる。
宙に浮いた紬の目にぐばりと頭を引き裂くようにして牙の立ち並ぶ口が開いたのが見えた。ひ、と喉の奥で悲鳴になり損ねた声が殺された。
「さて、どーすっか」
遥か上空に昇っていく二人を見送り、司狼は一人呟いた。ゴーグル越しの視界では黒は未だ地面を這っているように見える。
紬の情報によれば未知のバグ。出来れば詳細なデータを取りたいところだが、司狼の本能は今すぐにアレを吹き飛ばすようにと身体に命令を下している。
夕方とは言えまだ日は高い。白炎を纏った司狼の周りには陽炎が立ち昇っていた。熱に強い身体は常人ほど汗をかかないが、たらりと首筋を伝う感覚が過敏になった神経を撫でていく。
アレの挙動を見逃さないようにと凝らしていた目が、一つ違和感を捕らえた。
その違和感を。脳が認識するよりも早く、生理現象として瞬きが起こる。一瞬閉じた視界が再び開いたはずが、酷く暗い。
「――ッ!」
瞬間、脳を介さず身体が動いた。大きく仰け反った身体の上を鞭のようにしなった黒が通り過ぎて行く。そのままバク転するように床に手をついて、炎と火花を纏った足で勢いよく蹴り上げた。
「、おぉ……?」
予想以上に重い手応えに戸惑うが、そのまま炎の推進力も使って振り抜く。吹き飛んでいった黒は屋上の出入扉にぶつかって、轟音を立てた。そのままずるずると床に広がっていく。
司狼は黒を警戒しつつ体勢を立て直した。そうしてブーツの踵を確認するようにコツコツと鳴らす。
そうしている間にも、黒は蠢いて床から這いあがった。その背後の扉は、歪んでいた。
屋上の出入り口のとこは塔屋って言うそうです。
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