71 部活動、才能
遠隔で機材を調整しつつ鷹彦自身も地下の方の医療室へと向かう。廊下は当たり前のように人気が少なく、静かだ。CS対策課が少数精鋭なのもさることながら、デザイナーベビーに直接係わることが出来る人員は更に限られているのだ。
辿り着いた部屋に入り、背中で扉が閉まったところで鷹彦はようやく息をつく。
「スズ、機材の調子はどうだ?」
『多少調整は必要だが、概ね問題はない』
凛とした声が機材に設置されているモニターから響く。錫色の毛並みの狼が、鷹彦を見下ろしていた。
そうか、と小さく呟き、鷹彦は近くのデスクに備え付けのチェアに腰かけた。カフェオレのプルタブを起こして、一口飲む。
『元気がないな』
「……っ、そう見えるか?」
つっかえそうになった甘めのカフェオレを何とか飲み下し、鷹彦は狼――スズを見上げる。雲間から見える晴天のような青い瞳が瞬いて、鷹彦の身体をスキャンしていた。
『一般の者は何とも思わないだろうが、要と司狼は気にすると思うぞ』
「……」
鷹彦は無言のままカフェオレの缶を傾けた。そのまま喉を反らすようにして一息に飲み干してしまうと、空き缶をダストシュートに投げ入れる。ふーっと空気を切るような溜息を吐いて、切り替えるように顔を上げた。蘇芳の色をした瞳が薄く尖っている。
「準備にかかるぞ」
『了解』
静かな命令に灰の狼は従順に返事をすると、必要な情報をモニターに展開していった。
すっかり準備を終えて暫く。予定していた通りに要達が本部に着いたとの連絡を受け、鷹彦は最終確認に入った。それが終わったのを見計らったように三人が医療室へと足を踏み入れる。
「ただいまー」
「おかえり……というのも少しおかしな気がするが」
まぁいいか、と自己完結した鷹彦はいつかのように紬を白いトンネルのような機械に促した。その中を歩いて戻ってきた紬と交代するように要が鷹彦に寄って行く。
あの時のように多少時間がかかるのだろう。司狼は紬にソファを勧め、自分も対面に腰を下ろした。ちょこんと座った紬には緊張が見て取れる。
「帰りの車でも話してたけど、子どもに憑く虫って奴の続き教えてくんない?」
「え、それ僕らも聞きたいからちょっと待ってて」
すいっとこちらに寄ってきた要がテーブルにココアとコーヒーの缶を置いてまた鷹彦の方へと戻っていった。それを目で追っていた司狼と紬はお互いへと視線を戻して苦く笑う。
「そういや、来週から学校も再開なんだっけ?」
「あ、はい。暑いからリモートのままが良いって言ってる子もいますけどね……部活もやっと再開ですし、私は楽しみです」
南条高校は事件から一週間と少しでリモート授業に切替、そこから更に二週間ほど経ってもろもろの確認や後始末を終えて登校再開予定となっている。
既に春の陽気は過ぎ去って、突き刺さるような陽光が降り始めていた。そこかしこでセミが鳴き始める中で登校が始まるというものだから、学生からは少々不満が寄せられている。逆に瑠璃のようなスポーツ学生たちはやっと練習が再開できると喜んでいた。
紬の所属する文芸部は春の部誌の発行が今回の事件で遅れてしまっていた。掲載予定の原稿が未完成の部員もいたりと少々ごちゃついているのだ。
「部活動ってのは学生さんの特権だよなぁ……タカはなんかやってたのか?」
背もたれにそっくり返るようにして視線と疑問を投げる。鷹彦はちらりとそちらを窺うも、直ぐに視線をタブレットに落とした。
「高校、大学と海外で飛び級したからな。部活やサークルに所属したことはない……勉学の他にも何か経験しておけばよかったとは思っている」
後悔に似た雰囲気の漂う声に、要は気づかれないように目線を動かした。本人は特に深い意味を込めたつもりもないのだろう。平然とタブレットを操作し続けている。
「部活かぁ……実を言うと僕も経験ないんだよね。真緒と竜弥にも聞いてみようかな。教育活動の一環だもんね、なんか参考になるかも」
「真緒は確か空手のインターハイに出てなかったか? インタビュー記事を見た覚えがある」
マジで? と呟いた司狼が彼女のフルネームを検索する。紬もそれに倣うと、今よりも若い真緒が笑みを浮かべて拳を突き上げる姿や授与式の写真が幾つかヒットした。空手は幼少期からやっているらしく、凜としたルックスも相まってその界隈では有名な少女だったようだ。
インタビュー記事にも今の彼女からも想像できるような正義感に溢れた強気な発言が並べられている。
「へぇ、この頃から警官目指してたのか」
「趣味と実用兼ねてたんだねぇ……いいな」
CS対策課での部活動導入に乗り気なのか、要は楽しそうだ。バディ含めて全員集まっても精々同好会程度だろうが、情操教育にこじつければ何とでもなるだろう。
実際読書を新たな趣味とした人志は、外での勝手な徘徊をあまりしなくなっていた。あくまであまりであり、全くしなくなったわけではないのだが、それでもかなりの進歩なのである。
「思わぬ才能が開花するようなこともあるもんね。仕事とは関係ないことでも挑戦させてみようか……紬ちゃん、何かおすすめある?」
急に水を向けられ、紬はびっくりした猫のような反応を見せた。えっと、と時間稼ぎのように呟いて首をひねる。
「お習字とか、スケッチとかどうでしょうか? 料理もそうですけど、三人とも自分で何か作るの好きみたいですし」
「あー、良いね。あんまり準備も要らないし、自由度も高いし」
習字はともかくスケッチであればタブレット一つでも出来ることだ。要は脳内で算段を立てつつも目の前の端末を弄ってデータを整理していく。やがて、鷹彦と二人揃って満足気に頷いた。
「前回の検査から目立った変化はないな。貧血が少し改善しているようだが、入院生活の効果か?」
ふふ、と紬が力なく笑った。鷹彦と要は紬の対面に座っていた司狼を挟むように腰を下ろす。
「じゃ、子どもに憑くって虫の話、教えてもらっていい?」
改めて口火を切れば、紬は少し緊張した様子で話し始めた。
筆者は中学は科学部、高校は合唱部でした。
全く関係ない話ですが、今日ジェイソンの日ですね。
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