70 体調、遺伝子
「はい、受け身」
少し笑いを含んだ声が人志の鼓膜を叩いた。続けてパァン! と床が鳴る音に見学していた美姫がぴゃっと肩を揺らす。
「大丈夫?」
「……クソ」
応とも否とも言えずに悪態が口を突いて出た。打ち付けた背中がひりひりと鈍く痛む。
ここはデザイナーベビー専用の鍛錬場だ。当然地下にある施設だが、使用する人数の割には広大で設備もかなり充実している。
真緒は自分がぶん投げた人志を助け起こした。さらりと長い髪を揺らしながら額に浮かんでいた汗を拭う。少し離れたところでは純恋が竜弥に監督されながらマシーントレーニングをしていた。戦闘に加わることが少ない美姫は見学だ。
「もう一回……!」
「……ちょっと休憩しな。集中力無くなってきてる」
そんなんじゃ何やっても意味ないよ、と告げた真緒が踵を返す。人志はむすりと唇を引き結んでその場にしゃがみ込んだ。深く俯いた頭の上にスポーツドリンクのペットボトルが投げられる。
が、それは人志の頭にぶつかる直前でふわりと浮かび上がった。そのまま平行移動したボトルが上向けた手のひらの上にぽすんと収まる。
「能力の方は順調なんだけどねぇ」
「……ん」
キャップを開けながら人志が一つ唸った。ぽこぽことスポーツドリンクが球となって浮かび上がり、人志の口に吸い込まれていく。
「最近は特に調子いいんだよな」
ごくん、と喉を鳴らす。細かく漂っている水滴を更に分けたりくっつけたりと一見遊んでいるように見えるが、その実なかなかに緻密なコントロールをしているのだ。
「諸手を上げて喜べるようなことではないのだがな……後遺症のようなものかもしれないんだぞ」
鷹彦はタブレットを操作しながら顔をしかめている。画面には高さがまちまちの波形が二つ流れていた。しばしそれを見比べていた鷹彦は、おもむろに人志へと歩み寄ると確かめるように頭を撫でた。
「本当に、痛みや不調はないんだな?」
「あぁ。むしろ何つーか、上手く力が流れてる感じがする」
巻き戻しのように集まってきた雫がペットボトルに戻っていく。浮いていたキャップがキュルキュルと回転して蓋をした。
「何か違和感があったらすぐに報告するように。データはもちろんだが、本人の感覚というのもバカにできないからな」
二人もだぞ、と鷹彦は純恋と美姫にも声をかける。二人からのお利口な返事に取り敢えずは様子見と結論付けることにしたようだ。タブレットをしまい込んで踵を返す。
「鍛錬は適度に、な。特に人志と純恋は成長期なのだから、多少のスランプや身体の不調はあって当たり前だ。がむしゃらに努力する前によくよく相談するように」
はーい、と名指しされた二人の返事を背中で聞きながら、鷹彦は鍛錬場を出ていく。長い廊下を歩いてエレベーターに乗り、地上階へと向かった。
途中で飲み物でも買おうかと近くの自動販売機に足を向ける。カフェオレのボタンを押したところで、背後から声をかけられた。
「祇色君、探したよ」
「……どうも」
にこりと笑う年嵩の男に、鷹彦は小さく挨拶を返す。表情が関わりたくないと雄弁に語っていたが、男は気づいていないのか気づかないふりをしているのか、声を潜めるようにして言葉を続ける。
「提供の件、考えてくれたかね?」
「はぁ……」
男は生返事をする鷹彦に気分を害した様子もなく、馴れ馴れしく彼の背中を叩いた。流石に顔をしかめる鷹彦だったが、黙ったままそれ以上の反応は見せなかった。
否定も拒絶もしないことをどう解釈したのか、男は鷹彦を引き寄せた。
「いやぁ、何せ君のお父上の遺伝子は優秀だったろう? 早くに亡くなられたのが惜しいものだ。しかしながら、この世には更に優秀な君たちがいる……突出した才は後世に残すべきだ。違うかね?」
話しているうちに熱くなってきたのか、身振り手振りまで加えて熱弁し始める。鷹彦は一つ溜息を吐くと、するりと男の腕から逃れた。
「すいません、仕事が控えているので。その話はまた後日にでも」
腰をかがめて自販機からカフェオレを取り出すと、事務的にそう告げる。男はまだ何か言いたげだったが、それを遮るようにポケットで狼が鳴いた。
失礼、と簡潔に一言断って画面をスワイプし、耳に当てながら歩き出した。
「どうした?」
『定期連絡だよ。シロは元気でーす』
ややふざけたトーンの声にそう告げられ、鷹彦は眉間にしわを刻んだ。
「そうか、お疲れ様。切るぞ」
『あちょ、待って待って!』
焦った声の奥からくすくすと笑うのが聞こえてくる。おそらく紬と司狼だろう。本当に切られると思ったのか、慌てて声を上げた。
『今大丈夫?』
「大丈夫だ……むしろタイミング良かったな」
ちらりと後ろを窺いながら話を続ける。鷹彦にまとわりついていた男はもう見えなかった。
『あぁ、仲人おじさん?』
「いや、遺伝子銀行おじさん」
あぁそう? と若干トーンの下がった声に冗談めかして言ったことを後悔した。とは言え吐いた言葉は呑み込めない。無理やりに会話を方向転換するために口を開く。
「で? なんの用だ」
『今から紬ちゃん連れてそっちに向かうから、準備しといて欲しいなって』
「了解。どのくらいで着く?」
『何もなければ一時間ちょっとくらいかな』
こればっかりは祈るしかないね、と軽い調子でそう言った要に溜息を吐く。再び了解、と言って通話を切った。
タブレットを取り出して起動し、画面を操作していく。
「スズ、医療室の予約と機材の調整を頼む」
わふ、と小さく鳴いた灰色の狼が画面奥へと走り去っていった。
「……才能だけで全て上手くいくものか」
吐き捨てるような呟きは廊下に転がり落ちた末にドクター・シューズに踏みつぶされた。
鷹彦君はデザイナーベビーたちの健康管理も受け持ってます。
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