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07 他人の目、やさしさ

 身構えていた割に検査はあっさりと終わった。何せ、二メートルにも満たないトンネルの中をゆっくり歩くだけだったのだ。それだけで現在の身体の状態だけでなく、チップからも必要な情報が抽出されるのだそうだ。

 ただし、結果が出るのには少々時間がかかるらしく、灰色の狼がちょこまかと横切っていくモニターの前で鷹彦がせかせかと動き回っていた。


 紬は少し離れた場所に用意されていたソファに座り、先ほど真緒にもらったお茶をちびちびと飲んでいた。ちらりと端末に目をやれば、いつもならとっくに家に着いているような時間だった。


「うん……?」

「どうしたの?」


 鷹彦の声を拾った要が首を傾げる。険しい顔をした鷹彦はモニターの一点を指差した。途端に伝染するように要も渋い表情になる。

 どうしたんだろうか、と紬がそわそわしていると、二人が同時にこちらを振り向いた。思わずびくっと肩が跳ねる。


「えーっとね、紬ちゃん」

「単刀直入に聞くが、両目の移植手術を受けた記憶はあるか?」

「へぁ……?」


 思わず間抜けな声を出した紬に要が苦く笑う。そうしてタブレットを手に彼女の対面のソファに腰かけた。その隣に鷹彦が座って足を組む。

 タブレットには二つの二重螺旋図が表示され、重なるように動いては離れていた。その上には赤文字が踊っている。


「君の両目のDNAが君のものと異なっている。更に、データベース内にあるどのDNAとも一致しない」

「…………?」


 ぽーんと自我を宇宙に飛ばしてしまった紬がぽかんとしていると、その反応に鷹彦も首を傾げていた。要だけがくすくすと笑っている。


「えっとね、つまり君の目は君自身の物じゃなくて、他人の物らしいんだ」

「え!?」


 藍色の目がくるりと丸く、大きくなる。そんな彼女の様子を見て、鷹彦は考え込むように顎に手を当てた。


「その反応からするに手術を受けた記憶はなさそうだな?」

「は、はい。全然身に覚えがないです……あ、でも」


 紬は何か思い出したように言いかけ、口をつぐんだ。


「何か心当たりあるの?」

「心当たり、というか……」


 伏せられた視線が、膝の上で握られた手に落ちる。要と鷹彦は顔を見合わせたが、急かさずに紬の言葉を待った。


「こっちに越してくる前にその……事件、に巻き込まれて。数か月ほど、何も覚えてない時期があるんです」

「……なるほど」


 鷹彦が要にちらりと視線をよこす。要は小さく頷いた。


「あぁ、後マイクロチップの方には問題はない。視神経に独立した回路が出来上がっているようでな。書き換えとは別回路かつ優先的な処理になっているらしい」

「ってことは、チップの方で認識できなくするってのは……」


 無理だな、とすげなく言ってのけた鷹彦に要は片手で顔を覆った。指の隙間から紬の方を窺うと、顔から血の気が引いている。

 ()()とやらのことを思い出しているのだろうか。あるいは、自分の今後についてか。


「何らかの違法手術の被害者……という線が強いか。この目が人工物の可能性もあるな。そもそも――」

「タカ、ちょっとストップ。紬ちゃんとっくにキャパオーバーだから」


 つらつらと情報を述べていく鷹彦を制し、ふ、と目元を緩めて紬に笑いかける。


「一気に色々話しちゃってごめんね。ただ、君のその目についてまだまだ調べなきゃいけないってのはわかってくれるかな?」


 黒い頭がこくりと振られる。


「とはいえ、君から日常生活を丸っと奪うつもりもないんだ。監視はつくし、定期的な検査も受けてもらわなきゃいけないけど。あと、場合によってはバグの調査に協力してもらうこともあると思う」

「バグの調査、ですか……」


 不安げに復唱する紬に、要はタブレットの画面をスワイプして見せる。そこには、幾人かの写真が並んでいた。それを見た鷹彦が片眉を跳ね上げて要に視線を刺す。


「この人たちはバグに襲われて意識不明になってる人たちなんだ」


 見開かれた目にタブレットの画面が映り込む。なんの変哲も、共通点も見いだせないような老若男女の写真だった。紬と同じ年頃の子もいれば、もっと幼いような子供もいる。


「バグについてはわかってないことの方が多いけど、どうもあれは電子系統に影響を及ぼすようでね。彼らはマイクロチップに致命的な異常が起きて、こうなった。いわゆる植物状態ってやつだ」


 トン、と要の指が一人の写真をタップする。それは、幼い少年だった。簡単なプロフィールがその下に書かれている。

 長い不妊治療を経てやっと授かった一人息子。快活で、学校でも人気の男の子。入院してからはお見舞いに来る友達が絶えないそうだ。両親はずっと、泣き暮らしている。


「彼はもう三年も眠ったままなんだ……回復につながることなら、僕らは何でも知りたい」


 要は真っすぐに紬を見つめる。無理やりに写真からはがした視線を向ければ、彼は薄く笑っていた。


「はっきり言うよ――君の良心につけ込みたい。彼らと彼らの家族や友人のために、力を貸してほしい」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 そう言えば、こいつだけは酷くやさしかったな、と。恐怖を滲ませた顔を見下ろしながら、益体もないことを思った。


 石を投げてはこなかった。心ばかりと飯を恵んでくれた。狭くてすまないと言いながら雨風をしのげる屋根を貸してくれた。

 珍しいこともあるものだと、うれしかった。そう、うれしかっ()のだ、オレは。


 オレはまだ、オレを利用したい者の存在を知らなかったから。


 奴らにとっては割のいい話だったろう。無意味に暴力を振るわず、余りものを捨てるついで、軒先を貸してやるだけ。それだけで、奴らはやさしい人になれたのだ。


 対価としてオレに人殺しをさせてもいいと思えるほどの。


 はぁ、なるほど、なるほど。こんなことすらオレは、やさしさと思ったのか。普通の人間が享受する当たり前すら、オレのようなものにはやさしさなのか。


……そう言えば、あの子はどうしてオレに優しいのだろうか。ぐいぐいとこいつらから引き離すようにオレの手を引く横顔は、どこか怒っているように見えた。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ほんの少しの沈黙の後、紬は小さく小さく頷いた。


「……ごめんね」


 贖罪のように唱えられた言葉に首を振る。既に鷹彦が責めるような視線を向けているのに追い打ちをかける気はなかった。


「ご協力感謝する……君の安全は僕の命の限り保証するよ」

「目の前でおっさんに死なれても寝覚め悪いだけじゃないのか」

「ひどくない?」


 要は口では嘆いていたが、笑っていた。とげとげしい言葉には、紬でもわかるほどのやさしさが含まれていたのだから。

誰にでも優しいは難しい。

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