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深刻なバグが発生しました。  作者: 四片ユカリ
第二章

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62/111

62 黒い夢、資料室

 頭が痛い。夏だというのに酷く寒くて身体が震える……あぁ、いや、違う。()()()()()春だ。

 切れ切れの意識を繕い合わせて浮かびあげる。誰かが呼んでいるのが聞こえていた。


「紬!」

「紬ちゃん!」


 ゆっくりと目を開いた。開いた、はずなのだが何も見えない。声だけが反響するように降りてくる。鈍く痛む頭を動かして辺りを見回した。声を追って見上げた視界の先、針の先でつついたような小さな光が見えた。


「つむぎ」


 ぽちゃん、と黒が揺れる。水面のように波打った濃淡の中心から、真っ白な手が差し伸べられた。その周りだけがぼんやりと光って見えるほどに白い手だ。


――()()()に、応えなければ。


 重い腕を何とか持ち上げる。手のひらを目いっぱいに伸ばす。指先が白に触れた。瞬間、驚くほどに冷たい手に手首を掴まれた。この小さな手のどこにそんな力があるのかと思うほどに、力強く引き寄せられる。

 にこりと糸のような真っ黒い目が笑う。大きくなった手にぎゅっと手首を握られた。


 そう、手を引かれたのだ。大木の向こう側、注連縄の先へと。そっち側には行ってはいけないと、神主の父からきつく言いつけられていた。だから引き留めた。ダメだよ、と彼を叱った。はず、なのに――その先の景色を、()()()は知っている。


 色のない唇が、耳に触れた。


「早く、思い出してね」


 握られたままの手に、一瞬だけ名残惜しそうに力が込められる。が、直ぐにするりと解かれた。

 ばしゃんッ、と黒が悶えるようにのたうった。目の前が開けるように光が差し込んでくる。


 黒が、灰色へとぼやけていく。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 真っ黒な繭が目の前に鎮座していた。呑み込まれた紬の輪郭も窺えないほどに大きな繭だ。


「素手で触れたってことは、バグではねぇのか?」


 先ほど繭に触った手のひらを握ったり開いたりしながら司狼が呟く。

 バグは特殊な電磁波を纏った武器でなければ干渉できない。司狼の炎も特殊な腕輪によって同じ電磁波を纏っているのだ。


「って言うか、シロさん平気なの?」

「特に問題ねぇな……オレより人志は大丈夫なのか?」


 その言葉を証明するように手のひらに炎を灯して見せる。そうして人志の方へと視線を投げれば、返事の代わりに舌打ちが投げ返された。


「ガキみたいな声が聞こえた。邪魔すんなって。したら、急に頭ん中ぶん殴られたみたいな感じがして……意味分かんねー」


 ずず、ともう一つ鼻をすする。血はとっくに止まっていたが、あの瞬間に湧き上がった正体不明の苛立ちは未だに腹の底をぐらぐらと煮えたぎらせていた。


「要も何か聞こえたのか?」

『……僕は何も。ただ、何て言ったらいいか……』


 誤魔化すのを諦めた要が言葉を迷わせる。あの感覚は言語化するのが酷く難しかった。それでも何とかひねり出そうと唸る。


『う~ん、何だろうね。拒絶された……っていうのが一番近いかな。紬ちゃん以外に認識されたくない、のかな?』


 バグが見える者を狙う理由は彼女の目に起因するのではないか、という仮説がある。今回のことも含めて考えれば逆に認識されたくないが故に、彼女以外に観測された際には狂暴化して襲ってくるのだと考えることも出来るのではないだろうか。


 もしそうだとすれば、何とも()()()()()独占欲だ。


『色々と考えなきゃいけないことは沢山あるけど……目下の問題は()()だよね』


 要の言わんとすることは皆の目の前に鎮座している。一般人である瑠璃は純恋によってやんわり繭から距離を取らされているが、心配そうにじっと見つめていた。


「秋野さんは何か気づいたとか、聞こえたとかなかった?」

「……紬ちゃん、謝ってた。私にじゃなくて、多分他の……」


 きゅ、と小さな拳が握られる。突き飛ばされたときに咄嗟に手を伸ばしたのだが、紬の手は緩く握り込まれてこちらに届きはしなかった。


『秋野さんは紬ちゃんの昔の話聞いたことある? 神社のこととか』

「ちょっとだけ……紬ちゃんもあんまり覚えてないって言ってたから」

「そういや、部屋ん中に例の神社の史料あるっつってたな?」


 黒が引いて見晴らしの良くなった廊下を人志がずかずかと進んでいく。危ないよ、と純恋が声をかけるのも聞かず、勢いよく資料室の扉を開いた。

 日の光に弱い紙が痛まないようにとブラインドを下げられて薄暗い部屋の中に廊下から光が差し込む。舞い散る埃がキラキラとそれを反射しているのがはっきり見えるほどに資料室の中には何も()()()()()


「結構数あるな……純恋も手伝えよ」

「いや、オレが行くわ」


 女子高生と二人残されるのを危惧してか、司狼が名乗りを上げた。燃やさないようにね、と要に釘を刺されつつ資料室に足を踏み入れた。扉を中心に二手に別れ、並べられた棚を調べていく。

 古い史料は紐で閉じられているものや、背表紙のないものが大半だ。既にデータ化されているこれらは、この部屋から持ち出されることはほとんどない。とは言え定期的な手入れはされているらしく、経年劣化を除けばおおむね綺麗な状態のものが多かった。


「京都、京都……お、この辺か」


 都道府県別に分類されていた史料の中で、京都関連のものは司狼が調べていた側にあったようだ。上から順に棚を漁り、表紙を確認していく。別の棚に置いてあるお札や絵馬などにも目を通しつつ、神社に関連する資料を探していった。


「史料って幾つかあんのか?」

『保管されてるのは社史とお守りが一つずつだね。社史は和綴じ……紐で閉じられてる冊子だよ。表紙の色は黒みたい』

「黒ね。んー……あ。これ、か?」


 要からの補足も参考に棚を探っていく。棚の一番下でそれらしき冊子を見つけ、慎重に引っ張り出した。それなりに古い部類の史料のようで、所々傷んで綻んでいる。


「白貴稲荷神社……これだな――うお!」


 目的のそれを見つけ、中腰から立ち上がった司狼の手から何かが落ちた。紐が切れたのかと慌てて両手で包むように持ち直すが、それ以上ページが離れるような気配はない。


「何か挟まってたのか……?」


 紐に綻びがないことを確認し、改めて視線を床に落とす。落ちていたのは小さく折りたたまれた紙だった。手にしている冊子とは質感が違うような気がする。

 取り敢えず拾おうと身をかがめた――その瞬間のことだった。


『シロ! 下がって!!』


 要の声が耳に届くより早く、司狼は身を翻した。ピリッと頬に熱が走り、肩越しに黒い風が通り抜けていく。


「おい何――ッラァ!」


 異変に気付いて顔を出した人志が反射的に警棒を振り下ろした。が、奇妙な軌道を描いた黒は逃げるように部屋の外へとすり抜けていく。二人はそれを追って部屋から飛び出した。


『……消えた?』


 要がぽつりと呟く。その言葉通り、部屋の外には何もいなかった。少し離れた廊下の先で、急に飛び出してきた二人に驚いて純恋と瑠璃が目を丸めている。


「どうしたの?」

「部屋からなんか出てきたの見てない?」


 二人が顔を見合わせ、首を横に振る。何があったのか、と尋ねようとした純恋が、不意に大きく目を見開く。


「ッあぶない!」

「え? きゃあッ!」


 瑠璃を抱き込んで前へと飛ぶ。どさりと床に倒れ込んだ二人の後ろで、黒が蠢いていた。

古い紙の管理は大変だ。


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