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深刻なバグが発生しました。  作者: 四片紫莉
第二章

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60/111

60 違和感、攻撃

 知っている。いや、知ってい()。ぽっかりと開いた幼少期の記憶の穴の中に()はいたのだ。


「……っ、ぅう」


 痛みに食いしばった歯の間からうめき声が漏れる。両手で抑えた耳の奥から風のような音が聞こえて、鼓動と喧騒に掻き消されていく。


「これアレか? 巣潰さねぇと無限に湧くのか?」

「かもね。って言っても部屋入るどころか、これ以上近寄れない、よ!」


 幾度目かもわからないまま、火花を纏う警棒を振り下ろす。僅かな手ごたえとともに黒が飛び散って、また集まってくる。それの繰り返しだ。

 二人の身体は一般人よりも丈夫とは言え、体力が無尽蔵なわけではない。ふぅ、と小さく息を吐いた純恋が額に滲んできた汗をぬぐった。


「ねぇ、これほんとにバグ?」

「他に何だってんだよ」


 苛立ち紛れにそう応えつつも、人志とて違和感には気づいている。浅い手応え。濃密な黒。資料室の中を見たという要の様子もおかしいし、紬との会話も要領を得ない。

 紬の方も気になるが、今人志がこの場を離れるわけにはいかないのだ。そう考えると瑠璃を連れて来たのはやはり正解だったと言えるだろう。


 手の中で警棒をくるりと回す。持ち手から伸びているストラップに指を引っ掛け、後ろに勢いよく払った。人志を無視してその背後へ向かおうとしていた黒が散る。

 バグならば見えている者を優先して襲うはずだが、やはり挙動がおかしい。


『人志、純恋。ごめんだけど、もうちょっとだけ持ちこたえてくれるかな』


 再び人志の手首からインコの鳴く声がした。


『今、シロにこっちに向かってもらってる。今回ばかりはちょっと配慮していられない』

「焼くのか?」


 出来るならそのつもり、と。そう答えた辺り、要もこれがバグかどうかは疑っているようだ。


『それに気になることはもう見つけた』

「気になること?」


 一歩後ろに下がりながら純恋が問う。その距離を埋めるように踏み込んだ人志が指を弾いた。射出された黒い玉が廊下の中心を飛んでいく。それを厭うようにぶわりと黒が広がった。一瞬だけ廊下の端が見えて、また黒く塗りつぶされる。


『史料の保存してるって言ったでしょ? それの一覧の中にあったんだ』


――白貴稲荷神社に関する史料が幾つか。


 そう言い切った要の声が一瞬途切れ、一つ咳き込む。妙に湿った音に人志は眉を上げた。


「おい?」

『んー大丈夫……ちょっとここ埃っぽくてね』


 声にずず、と鼻をすする音が混じる。明らかに何かを誤魔化している様子に疑問を抱くが、ゆっくり問答をするほどの余裕はない。

 迫る黒を警棒で払い、純恋と入れ替わりに一歩下がる。ちらりと廊下の角を窺うが、紬は相変わらずしゃがみこんだままだ。両手で耳を塞ぐ彼女の頭を抱えるように瑠璃が抱き締めている。


『……ぃで』

「あ゛?」


 不意にノイズが鼓膜を逆なでする。それがどうしてか気に障って、人志は無意識にチンピラめいた濁音を吐いた。


 すぅ、と。誰かの息の音を、確かに聞いた。


『じゃましないでよッ!!』


 脳みそを直接ぶん殴られたような衝撃が走った。うずくまりそうになるのを寸でのところで膝に手をついて堪える。


「人志君!?」


 動きを止めた人志に変わって純恋が迫りくる黒を払う。驚いて見開かれた視線の先で、薄緑の床の上にぽたぽたと雫が散っていった。


「あぁ?」


 何かが顔を垂れていく感覚に、思わず鼻を擦る。黒地のパーカーの袖が吸い込んだ色はよくわからないが、鼻の奥から鉄の臭いがしていた。


「ちょっとどうしたの!? 大丈夫!?」


 こっちが聞きたい、と唸る前に下がって! とパーカーのフードを引っ張られ、後ろへと追いやられた。舌打ちを一つ零して鼻を押さえ、下を向く。

 先程頭の中をぶん殴った声が脳内で反響を続けていた。じゃま? 邪魔ってなんだ。何に何をされたのだ。疑問が湧いては解消されないままに降り積もっていく。


「ッだぁ! クソッ!」


 悪態をついて口内に溜まった血を吐き捨てる。降り積もった疑問はよく分からないまま苛立ちに変わり、こめかみに血管が浮き上がった。


「何がジャマだってんだよクソが!! うっぜぇ!」


 へ、と純恋が小さく声を上げた横を、黒い玉が猛スピードで飛んでいった。廊下の塗装が剥げるほどの勢いで踏み込み、その後を追う。

 袈裟切りにするように振り下ろした警棒はやはりいつもよりも手応えが軽い。破裂音めいた舌打ちが響く。


「だ、大丈夫なの?」


 勢いに若干押されつつも純恋がそう尋ねれば、雑に血を拭った人志はただ前を見据えた。


「よゆー」


 挑発するように唇を舐める。黒がざわついたような気がして、純恋は目を見開いた。

 何が起こるのかと身構える。ぶわりと広がった黒が向かってくる。腰を落として振り抜いた純恋の一撃は、微かな手応えすらもなく空を切った。


「え……?」


 純恋が()()()()()()()()()()()脇を通り過ぎて行った黒に目を見開く。慌ててその軌跡をたどれば、そこには。


「あぁ? 何? 喧嘩売ってんの?」


 鼻の下にかすれた血の跡を残しながら、勝気に笑う人志の姿があった。輪郭がおぼろげになるほどに、ゆらゆらと揺れる黒に取り囲まれている。


「どうなってるの……?」


 思わず呟いて視線を前に戻す。廊下は依然変わりなく黒で埋め尽くされているように見えたが、その揺らぎが大きくなっているようにも見える。

 ちらりと再び背後を窺う。純恋には人志が突然怒り出したようにしか見えなかったのだが、何かあったのだろうか。


 これはチャンスなのか、あるいは。


 ごくりと唾を飲み込んだ。司狼がこちらに向かっている以上、この場面で無理をする必要はないと言えばない。

 とは言え、彼の能力が通用するかどうかも未知数ではある。


「……」


 ゆっくりと息を吸って、吐く。純恋は目の前の黒をじっと見据えた。掠れた記憶の中に似たような黒に包まれた覚えがある。あれはもっとざらついた黒だった。紬の言う虫の姿のバグも、目の前の濃密な黒とは違う、砂嵐が混ざったような黒だ。

 先の人志との問答とも呼べないやり取りを思い返す――これは、本当にバグなのだろうか。


「要さん、ちょっといい?」

『ん……どうしたの、純恋』


 呼ばれたインコがハムスターと一緒に円らな目で純恋を見上げていた。


「今、バグの視覚認識って切れる?」

『……どうして?』


 確かめたいことがあるの、とそう言った純恋の顔は真剣だ。要はモニター越しのそれをじっと見つめて、一つ息を吐いた。

 そうして一瞬でいいなら、と了承する。純恋はこくりと頷いた。


『人志! 今から五秒後に一瞬だけバグの視覚認識切るよ、構えて!』

「はぁ? ……あー、オッケー!」


 純恋と要の言わんことを何となく汲み取ったのか、カウントダウンが始まるとともに、人志は大きく飛びのいてバグから距離を取った。

 ゆらゆらと揺らぐ黒が手を伸ばしてくる。袈裟切りにするように警棒を振り下ろした瞬間、要がゼロ、と言うのが聞こえた。

セキがあっちこっち飛び回ってて大変そう。


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