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05 霞、蝶

 とん、と軽い音を立てて屋根の上に乗った身体が急激に重くなる。真緒は息を逃がすように吐いて肩を回した。


「慣れないねぇ、この感覚……」


 言いながら腰にぶら下げていた特殊警棒を引き抜いた。大きく振り抜いて伸縮式のそれを展開させる。グリップについているスイッチを親指で押し込めば、かすかにうなりを上げて火花を纏う。

 ゴーグルの奥の目を細め、陽炎を見据えた。それはゆらゆらと不明瞭に揺れているだけだったが、やがてその動きに変化が訪れる。


「来るよ」

「わぁってる」


 短い言葉の応酬とともに、二人は左右へと飛び退いた。その間に突っ込むように黒い靄が通り過ぎる。真緒がゴーグルを跳ね上げるように外した。

 途端に真緒の視界から陽炎は消える。


「ほら、こっちだぜ?」


 人志が誘うように言葉を投げれば、陽炎は方向転換して声の方へと突っ込んでいった。それをマタドールのようにひらりとかわす。

 その瞬間に人志の後ろに回り込んでいた真緒が特殊警棒を振り下ろした。ゴーグルをつけ直した視界は黒靄を捉えていたが、警棒の方は空振った。ぐるりとこちらを振り向くような動きを見せた靄に、舌打ちした真緒が再びゴーグルを外す。


 すると途端に陽炎は真緒を狙うのをやめ、上空の人志へと向きを変えた。後ろ向きのまま昇っていく彼を追うようにゆらゆらと高度を上げていく。


「コイツ飛ぶタイプっぽいな」

「地味に小回り利くみたいだし……厄介だね」


 人志は靄を誘導するように高度を落とし、屋根の上に降りる。が、靄は上空に漂ったままだ。


「なんか動きがおかし――」


 真緒がそう口にするより早く、靄は急降下して二人の脇をすり抜けていった。それを追って振り返った先には――一台の車。


「オイ、まさか!」

「人志!」


 動揺する人志の胸倉をひっつかんだ真緒が屋根から飛び降りた。


――一方、車の中では要が運転席から身を乗り出して紬と向き合っていた。屋根から要の方へと視線を移した紬はぎゅっと縮こまっている。


「あれは怪電波の塊みたいなものでね。僕らはバグって呼んでるんだけど……見えてるんだ?」

「えと、あの虫みたいなやつ、ですよね」


 虫? と要が聞き返すのに紬はこくりと頷く。要はバグの方を確認しようとしたのか、サングラスをかけ直して屋根の方へと顔を向けた。

 が、すぐに視線を前に戻してハンドルを握る。


「伏せてて!」


 紬は既に頭を抱えてシートの足元に潜り込んでいた。見えていたのだから、当然だろう。

 要はアクセルを踏み込み、車を急発進させる。その後ろ、先ほどまで後部座席が存在した辺りに、黒い靄が着弾するように突っ込んできていた。要は片手でハンドルを繰りながら、反対の手で懐を探る。


「耳塞いでて、ね!」


 語尾に勢いをつけた要は空いていた窓から後ろへと手を伸ばす。その手には大型の拳銃が握られていた。バックミラーを見ながら、突撃してきた陽炎に狙いを定める。

 間髪入れずに重苦しい発砲音とともに排出された薬莢が地面に落ちる。なんとも形容しがたいノイズが耳を犯すように泣き喚いた。


「人志! 真緒! トドメ頼んだ!」

「わかってるっての!」


 バグを追いかけてきた人志が、空へと何かをばらまいた。黒いガラス玉のようなそれらは重力に逆らって、空中にピン止めされる。

 続くように大きく踏み込んだ真緒が特殊警棒を振りかぶった。警棒は弾丸を受けて動きが鈍っていたバグを捕らえ、勢いよく空へと跳ね上げる。


「オレのこと無視するとかいい度胸してんじゃん」


 空を指していた指が、地面へと向けられる。途端に再び重力を得た玉たちが、凄まじい勢いで加速しながら落下を始める。灰色の目が、どこまでも冷たく見下ろしていた。


「ハチの巣になっちまえよ」


 静かな言葉とともに降り注いだ玉が、次々と陽炎に着弾し、貫いていく。もだえるように揺らいだ霞は、やがて空気に溶けるように消えていった。


 はあ、と誰かが詰めていた息を吐いた。


 車を止めた要が後部座席の方を振り返る。紬は恐る恐るといった様子で身体を起こしていた。駆け寄ってきた真緒が後部座席のドアを勢いよく開く。


「ごめん、制御しきれなかった」

「おっさんがこっち見てた……ってわけじゃねぇよな」


 要はゆるゆると首を振る。二人はそろって顔をしかめた。


「や、見える可能性を考慮せずに作戦立てたおっさんが悪いわ。紬ちゃんにも怖い思いさせたね」


 ごめんね、とへにょりと眉を下げて謝る要。紬は震えながらも首を振った。


「あれは()()()()()を優先して襲うんだ。だから紬ちゃんのことを狙ったんだと思う……これまでにもあれを見たことはある?」


 こくり、小さく首が動く。きつくつむられていた目がゆっくりと開かれて、じんわりと水気を帯びた。


「こ、こまで近くで見たのは初めてです……」


 そう、と呟いた要が真緒と人志に視線を向ける。


「お前らにはあれがどういう風に見えてた?」

「はぁ?」


 唐突に投げられた問いに、人志は思いっきり顔をしかめて見せた。真緒も片眉を上げて怪訝そうにしている。


「どうって……いつも通り、黒い靄にしか見えなかったけど」

「そうだよ、いつもと同じでわけわかんねぇ黒い何かだよ」


 だよねぇ、と頷いた要は紬へと視線を戻す。


「君にはどんな風に見えてたんだっけ? 詳しく教えてくれないかな」


 ぱちぱちと藍の瞳が瞬く。


「人と同じくらい、大きな……黒い蝶、に見えました」


 絞りだすような声に、三人は顔を見合わせる。要は額を押さえてため息を吐いた。


「今までに見たのもみんな虫の姿をしてたのかな?」


 こくり、とまた小さく頭が動く。


「見えないはずのものが見えてるだけじゃない、か……ちょーっと、話がややこしくなるね」

「つってもそれを確認する方法もねーだろ……こいつが嘘言ってるかもじゃん」

「そりゃ、ここじゃ確認は出来ないけど……」


 要は運転席から身を乗り出すと、紬に手を伸ばした。びくっと肩を震わせた彼女の頭をポンポンと叩く。


「怖い思いさせてごめんね。もう僕らのこと信用できないかもだけど、このまま君のこと放っておくわけにもいかないんだ……君だって、こんな訳わかんないのが見えたままなの怖いし困るでしょ?」


 ぼろ、と瞳に張っていた膜が玉になって転がり落ちる。紬は慌てて袖で目元を擦り、こくんと一つ頷いた。

 ふ、と優しく目元を緩めた要は紬の頭をもう一度撫でてから、運転席へと戻っていった。真緒と人志も車に乗り込む。


「じゃあ改めて、CS対策課本部に向かいますかね」


 ゆっくりとアクセルが踏まれ、車が走り出した。

バグってのはプログラムの不具合や欠陥を指しますが、元々小さい虫という意味合いなんだそうな。

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