49 被害、群れ
気を取り直した人志は扉から身を乗り出す。廊下の端から端に視線を滑らせていると、近づいてくる足音に気づく。紬や瑠璃が履いている上履きが立てるような音ではなく、重量感のある硬質な靴音だ。それも複数。
「うわ、おいでなすった」
ぼそりと呟いて顔を引っ込める。とは言え、ここでぐずぐずしていてもいずれ居場所は割れるだろう。事態も好転することはない。
「突っ切る、のは流石にリスク高いか……ん?」
不意に足音が酷く乱れ、悲鳴と発砲音が幾つか響いた。紬と瑠璃がびくっと震えて身を縮める。人志は注意深く目を細めて廊下の端を見つめる。
ゆら、と陽炎のような黒が蠢いた。その黒から逃れようとするかのように黒革の手袋を嵌めた手が虚空に伸ばされ――ぱたりと床に落ちる。
「……紬、そこから廊下の端の方見れるか?」
「え、うん……」
そろ、と人志の背からそちらを覗いた紬が、ひゅっと息を吸い込んだ。
途端、揺らいだ黒が猛スピードでこちらへと向かってくる。
「人志君、虫!」
「やっぱりか!」
短い応答の間に黒玉を指先で弾く。猛スピードで放たれたそれは廊下の途中で霧に着弾し、一部をこそげ取った。
靄のスピードが緩まったのを確認し、続けざまにもう一発放つ。今度は中心部分を狙って指を弾けば、当たった部分から爆散するように消えていった。
が、その後ろから廊下に漂う黒を塗りつぶすように靄が湧いてくる。それが細かい虫の大群に見えた紬は思わずじりりと後ろに下がった。
「人志君、また小さいのが来てる!」
「ックソ! 一旦逃げるぞ!」
人志は紬の手を取り、廊下の反対側に向かって走り出した。瑠璃も困惑しながら後に続く。
その間にも背後から、上から、あちこちから悲鳴が上がっては途切れていた。
見えている分怯える紬の足が止まりそうになるのを感じ、人志は能力を使いながら彼女の身体を引き寄せた。ついでに隣に並んできた瑠璃の腕を掴んで、同じように重力を奪う。
ふわりと浮いた身体に目を見開いた瑠璃を構う余裕もなく、そのまま引っ張りながら駆け抜けた。
校舎のマップは初めて紬について登校した時に頭の中に叩き込んである。
避難先によさそうな教室を頭の中でピックアップしつつ、ひたすら走る。やがて辿り着いた部屋に滑り込むと、扉を背にして外に意識を集中させた。
動く人の気配はないことを確認すると、二人にかけていた能力を解いて床に下ろした。遠隔で鍵をかけられないようにと、勝手知ったる様子で近くにあった棚から抜き出した冊子を扉に挟んで半開きにしておく。
「……大丈夫か?」
「ちょっとキモチわるい……」
ようやく二人の様子を窺う余裕ができたので声をかければ、青い顔の瑠璃の背を紬が擦っているところだった。無重力と全力疾走のコンボで酔ってしまったらしい。
紬は辺りを見回すと、こちらも勝手知ったる様子で部屋の隅の冷蔵庫からペットボトルを持ってきた。瑠璃がそれをちまちまと飲んでいる間に人志も傍に来て座り込む。
「いつ来ても不思議な匂いするよな、ここ」
「インクとか接着剤の匂いかな?」
くるりと部屋を見渡す人志の目には、幾つかの棚とそれに収められた冊子の背表紙やトロフィーなんかが映っている。
ここは、紬が所属する文芸部の部室なのだ。適度な広さがあり、棚などの遮蔽物も多い。人志も紬に付き添って何度か来たことがあった。彼女の部活動の間は、古い部誌を読んだり資料を眺めたりして暇を潰していた。
「しっかし、虫まで湧くとはな……」
「うん……純恋ちゃん、大丈夫かな」
何せ紬にしか判別がつかないバグの二種同時発生である。取り敢えず存在だけでも伝えられないかと端末を弄るが、エラー表示が出て黒蛇と白狐が首を横に振るだけだった。
「それに何か……何て言ったらいいんだろう、すごく攻撃的だったような気がする」
「虫の方は見えてるヤツを優先的に襲うからな……クソッ、厄介ってレベルじゃねぇぞ」
人志はがしがしと頭を掻いた。
何せ虫の方はこちらが見えていることが分かれば一直線に向かってくるのだ。人志や純恋は動きである程度見分けがつくため対応出来るが、一般の生徒たちに同じことが出来るはずもない。
「いつもみたいに一体だけじゃなかった……あれ、蜂の群れだ」
紬から最悪の情報が追加され、人志の眉間のしわがより深くなる。
攻撃的な上に群れをなしたバグ。厄介なことこの上なかった。
「あの、えっと、黒い奴何か違うの?」
会話は聞こえていたものの当然理解には及ばなかった瑠璃が首を傾げている。説明を紬に丸投げし、人志は扉の隙間から外の様子を警戒していた。
「群れ? ってことはどっかに巣とかあるのかな?」
「どうかな。でも、確かに群れでの発生って今まではなかった……よね?」
確認するように人志に視線を投げる紬に一つ首肯を返す。イレギュラーが起こっている以上、可能性は考えておくに越したことはない。
「ねぇ、あの黒いのの区別つくの紬ちゃんだけなんだよね?」
「うん。人志君と純恋ちゃんもある程度はわかると思うけど」
「動いてる状態なら多分そうだろうなってレベルだ。あてにはならねぇ」
ううん、と唸る瑠璃は何か考え込んでいる様子だった。落ち着いたのならしばらくしたらまた移動するか、と考えを巡らせていると、パッと顔を上げる。
「放送室行くのはどうかな? あそこ確か校舎全体のモニタリングも出来るし、ワンチャン校内放送で色々伝えられるかも!」
「……あの女がいたとこ放送室じゃねぇのか?」
あ、と瑠璃が小さく声を上げた。
蜂の羽音ってなんであんなに心臓に来るんでしょうか。
刺された恐怖とかと結びついてるんですかね。
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