43 違い、失敗
警視庁へと戻ってきて直ぐに、紬と純恋は要に連れられて鷹彦の待つ検査室へと向かった。紬が初めてここを訪れた時のように白いトンネルのような機械の中を歩く。同時に端末の方は要が預かって調べていた。
検査結果を待つ間、紬と純恋はそわそわと並んで座っていた。
「ミケにくっついてたヤツ、バグとはまた別なのかな?」
「どうだろう……見た目は全然違ったけど」
まぁ普通に見えてたしね、と用意されていたココアに口をつける。紬も茶色の水面に息を吹きかけながらこくりと頷いた。
二つのカップの白い底が見える頃、鷹彦が端末片手に対面のソファに座った。その隣に要も腰を下ろす。
「二人のマイクロチップに異常はない。純恋の的確な処置の賜物だろうな」
「端末も無事だよ。プログラムも一部抽出出来た……よくやったね、純恋」
えへへ、と純恋が頬を緩めた。ムニムニと頬っぺたを押さえて笑っている。
ローテーブルの上に置かれた端末の中では、それぞれのガイドがそれぞれに毛づくろいをしていた。ミケ、と声をかけて毛並みを撫でれば、喉を鳴らして擦り寄る仕草を見せた。
「かなりガッチガチにセキュリティ固めといたから。異常が出たら直ぐに言ってね」
「あ、ありがとうございます……」
そんなことなど露ほども知らないのだろう。画面の中のミケは普段通りに機嫌よく歩き回っていた。
ほっと息を吐いて端末をポケットにしまい込むと、要が一つ咳払いをした。視線をそちらに移せば、真剣な目をしている。
「念のために聞くけど、紬ちゃん個人的にこういうことされる覚えはある?」
ストーカーとか、小説のファンとか。
そんな問いに、紬は首を横に振る。そっかぁ、と呟いた要は前のめりになっていた身体をソファに深く沈めて天井を見上げる。
「じゃあやっぱり、こっち関連かねぇ」
要は自分の端末の画面を見るともなしに眺めた。一部だけとは言え、かなり精工に組まれたプログラムだった。予想される用途としては彼女の端末の監視、情報の抽出といったところだろう。一般人である彼女の端末にそのようなプログラムを仕掛ける意味ははっきり言って皆無だ。
『紬がバグ研究の重要参考人であることを知っている』という前提があれば、話は大きく変わってくるが。
唇に指を置いて考えを巡らせながら、傍らの鷹彦に視線を向ける。目が合った彼もおおよそ同じことを考えているようだ。
「うん、後はこっちで調べておくね。紬ちゃんも何か気になることとかあったら何でもすぐに相談して」
はい、と頷いた紬に笑いかけ、純恋と連れ立って部屋を出ていくのを見送る。ひらひらと振られていた手が緩く握られ、立てられた人差し指がテーブルを軽く叩いた。
「さて……君は一体誰さんなのかな?」
無数に展開されたモニターが、色白の頬を薄青く照らしていた。
一方フリールームへと戻ってきた紬は人志に引っ張られて真緒の元へと連行されていた。今回のバグの報告書を書くにあたって所見が欲しいらしい。
「今回のバグの動きってやっぱり虫のヤツとは違う?」
「そう、ですね。明確な形というか実態がなくて、本当に吹けば飛びそうというか……」
ふむふむと真緒がタブレットの画面に指を滑らせていく。その肩に掴まるようにして身体を浮かせていた人志もじっと画面を見つめながら口を開いた。
「オレの攻撃への反応とかは?」
「えーっと……なんて言ったらいいのかな。虫と違って動きに若干ラグがある感じがしたかな」
人志と真緒が揃って首を傾げるのに、紬は苦笑する。自分でもなんとも表現しづらいのだ。
「えっとね、虫の方は自分で動いてて、霞の方は誰かが操作してるって感じ……見た目の印象に引っ張られてるだけかもしれないけど」
「あー……」
紬の説明に何か心当たりがあるのか、人志が声を上げる。そうして真緒の持つタブレットを勝手に操作し始めた。真緒はそれを咎めることなく、むしろ画面を指さして何か教えている。対面に座っていた紬もちょこちょこと画面が見える位置へと移動した。
分割された画面には二種類の動画が流れていた。少し前に潰した百足の姿のバグと、今回の霞状のバグだ。数分にも満たない短い動画を三人で眺める。
「あー、うん。やっぱり百足の方は人志君の攻撃避けようとしてるっぽい……?」
「そもそも霞? の方あんまり動かねぇんだよな。動いてもワンテンポ遅いっつーか」
二人の所見を元に真緒が報告書に文字を打ち込んで完成させる。画面の中で一声鳴いた赤毛の猫が、封筒を背負って画面外へと駆けていった。
ふー、と息を吐いた真緒が背もたれに寄りかかりながら肩の人志を払う。彼は特に文句を言うこともなくふわっと浮かび上がり、紬の傍らへと降りてきた。
「そういや、今日の晩飯何?」
「肉みそ残ってるから麻婆にしようかと思ってるけど、おナスとお豆腐どっちがいい?」
ちょっと考えて豆腐と答えた人志にじゃあ買って帰らないと、とミケにメモしてもらう。すっかりご機嫌な狐は大きく一声鳴いてペンを咥えていた。
「人志ちゃんと手伝いしてるだろうね? 出来るまで見てるだけとかマジで最悪だぞ」
「ちゃんと皿並べたりしてますぅー」
子供の手伝いじゃん、と呟いた真緒にすいっと寄っていった人志が口元を隠すように手を当てる。少し眉をひそめた真緒が耳を傾けた。
「一回卵割ったんだけど手ェベッタベタになったし、紬は『また今度ね』って言ったっきりだし」
「ッ……」
真緒の肩が震えだす。ちなみにであるが、その時人志は片手でぐしゃっと卵を握り潰してきょとんとしていた。紬が止める暇もなかった。デザイナーベビーって家庭科は履修してないんだなぁ、とそんなことを思いながら回収した可哀想な卵の殻と中身をちまちまと分けて玉子焼きにしたのだ。
真緒はひとしきりサイレントで笑った後、むすっとしている人志の頭を撫でてやった。彼女は彼女でそれなりに自炊しているが、彼の興味を引くようなことはないのだろう。
直ぐに振り払われた手を大袈裟に痛がりながら、紬の負担軽減のためにも取り合えず料理用語を詰め込んでおいてやろうとルビーを呼び出した。
今の人志君は米洗ってって言ったら首傾げながら洗剤突っ込んじゃうタイプ。
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