41 ウサギ、非凡
「痴情のもつれか?」
「やめろやマジで」
部屋へと戻ってきた三人に最初に声をかけたのは人志だった。反射のように声を荒らげる司狼にけらけらと笑っている。
背もたれにしていた司狼の代わりに紬にくっついてタブレットを見ていた純恋もくすくすと笑っていた。タブレットには簡単なお菓子のレシピが表示され、紬の膝に座った美姫が画面をスワイプしている。
「これカワイイわ! わたくしにも作れるかしら?」
「型抜きクッキーなら割と簡単だよ。絵描くのはちょっと難しいけど」
画面に表示されていたのは『不思議の国のアリス』をモチーフにしたアイシングクッキーだった。何かを探すように小さな指が画面を拡大してはスワイプしていく。そうして少し残念そうに眉を下げた。
「トカゲさんはいないのね」
「トカゲ?」
美姫の呟きに純恋が首を傾げ、そのまま紬に視線を向ける。知ってる? と目が尋ねてくるので、紬は思わずくすりと笑った。
「時計ウサギの家で大きくなったアリスに蹴られたり、最後の審判の時にひっくり返されちゃったりするキャラだよ」
「え、可哀そう」
加えて時計ウサギやチェシャ猫、イカレ帽子屋やハートの女王等と比べれば知名度の低いキャラだ。こういったモチーフにされる場合は省かれることの方が多い。
それが不満なのか、美姫は唇を尖らせていた。
「キャロルの形もかわいいけれど、マダラの形のクッキーも作ってみたいわ」
「誰?」
唐突に出てきた知らない名前に今度は紬が首を傾げた。キャロルの方は原作者の名前のはずだが、おそらくその人物を指す名ではないのだろう。
美姫は真緒と話していた竜弥を呼び寄せつつ、首から下げられていた端末のスリープを解いた。画面が一瞬ちかちかと光ったかと思えば、ふこふこと動く桃色の鼻先が映し出される。ぴょこん、と一跳ねして後ろに下がったそれは、真っ白な毛並みの赤い目をしたウサギだ。
「わたくしのガイドのキャロルよ、かわいいでしょう?」
「で、こっちが俺のガイドのマダラだ」
美姫の端末の隣に黄と茶の斑模様のトカゲが元気に走り回る端末が差し出された。挨拶をしてくれているのか、ぴろぴろと尻尾が揺れている。
かわいいでしょう? と自分のガイドの紹介と同じ言葉を繰り返し、美姫はころころと笑う。マダラは照れているのか、画面の中で頭を掻いていた。が、不意に後ろ脚で立ち上がって液晶をぺちぺちと叩く。
『鑑識課から連絡だぜ。美姫への協力要請だな!』
「ぉあ……了解って送っといてくれ――御姫様」
尻尾を翻して画面から去っていったマダラを見送り、竜弥は恭しく腰を折る。それを受けた美姫はパッと顔を上げて紬の膝の上から手を伸ばした。慣れた動きで彼女を抱き上げ、竜弥は踵を返す。
「じゃあ、ちょっとばかしお仕事してくるわ」
そう言い残して出ていく彼の腕の中から美姫が手を振っている。紬や純恋もひらひらと手を振り返して見送った。
「何の事件だろうね」
「こないだの本屋テロ関連じゃね?」
あー、と声を上げた純恋に紬は何とも言えない表情を浮かべた。それを要だけが苦く笑っている。
件の回帰同盟の事件は仕事でたまたま近くにいた美姫が襲われたことになっていた。竜弥と、これまたたまたま一緒にいた真緒によって制圧されたのだ。彼らの目的はデザイナーベビーへの攻撃と推測され、捜査が進められている。
「美姫ちゃん、大丈夫かな」
事実はどうあれ、彼女は襲われたことになっている。ただ、それにしては特に気にしている様子はないように見えた。
「怖いとか思う前に全員のされたんだから何ともねぇだろ」
なぁ? と人志が真緒へと視線を投げる。無言でひらひらと手が振られていた。
「まぁ、真緒と竜弥が揃ってたとこに手ェ出したのがそもそもの間違いなんだよね」
要の台詞に司狼がそれな、と彼女の方を指さした。真緒と竜弥はこのメンバーきっての武闘派なのだそうだ。
両名とも元々は捜査一課――殺人、強盗等の強行犯を捜査する部署に所属していた。うら若きエリートとして経験を重ねていたところをAIによって選出され、CS対策課と鑑識課にそれぞれ異動となったのだ。
デザイナーベビーの技術はさほど歴史が長いわけではない。むしろまだ試行錯誤の最中と言ってもいいだろう。故に、一部例外を除いて、能力持ちは必然的にまだ子供となる。バディはそんな彼らのボディガードも兼ねているのだ。
因みにであるが、現在純恋には専属のバディはいない。真緒と要が人志とまとめて見ている状態なのだ。さらに余談だが、純恋の元バディは既に職を失っている。
「何て言うか……二人見てると普通の人でもそこまでいけるんだなって思っちゃうな」
遠くなった記憶に思うところがあるのだろう。純恋はソファの上で膝を抱え込んでゆらゆらと揺れていた。要が形容しがたい表情を浮かべているのには、誰も気づかなかった。
「まぁでも、私と竜弥は元々恵まれてる方ではあるよ」
体格とかね、と真緒はぐっと拳を握って見せた。女性にしては長身の身体に見合った長い手足。それから繰り出される打撃の威力を一番よく知っているのは人志だろう。自分よりもわずかに上背の高い彼女をじとりと見つめ、比べるように紬の方へと視線を移す。
「紬はどうなの? 小さい方?」
「平均だと思う……」
今のところ紬は純恋よりは僅かに背が高いのだが、彼女の方が手足は大きいのでまだ伸びるのだろう。紬の成長はしばらく前に止まっているが、幼く小さな美姫に至ってはまだ成長期すら来ていない。
より高い身体能力のための体躯、優秀な脳、特別な能力。彼らは本当に選ばれた人間なのだ。そして、その傍にいる大人たちもまだ、一般人からは遥かに抜きん出た存在。
――じゃあ、私は?
ふとした拍子に湧き上がってくるそんな疑問。紬もそれなりに優秀な進学校に通う高校生ではあるが、その程度では彼らの足元にも及ばない。
勿論、彼らの仕事に紬個人の能力は関係ないのだ。必要なのはバグが見えるこの両目だけなのだから。
紬は一般的なレベルだと優秀なのですよ。
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