40 記憶、変化
秘密の部屋から出た二人は途中で鷹彦と合流し、人志たちの待つフリールームへと向かった。道中、要と鷹彦はタブレットの画面を見ながら何やら話し込んでいる。
「頭痛の方はおそらく脳の回路に負担がかかっているからだろうな。海馬に存在しないものを無理に引っ張り出そうとして、似たような記憶を構築しているのかもしれない」
「思い出した記憶が本来のものとは異なっていると?」
「そうだな。美姫の能力で読み取れなかった以上、彼女の海馬内にその記憶は存在しない。だが、人の脳は優秀だ。関連する記憶あるいは近しい記憶から補完された――要するに当時の記憶そのものを思い出したわけではない。が、状況としては限りなく近いものだと思っていいだろう」
犯人の顔が思い出せないのはそのせいだろうな、と。鷹彦が顔をしかめて見せる。要はん、と肯定とも否定とも取れない相槌を返した。そう言う風にしか伝えられなかったのだ。
「何にせよ、無理はするな。存在しないものを思い出せないのは当然だ――そこを調べるのが私たちの仕事なんだからな」
鷹彦は少し表情を緩めて黒い頭を撫でた。こくりと頷くのを手のひらで確認して、ぽんぽんと軽く叩く。鷹彦が手を下したところで、目の前の扉がしゅん、と空気の抜ける音を立てて開いた。
中から幾つかの視線が三人へと向けられる。
「お疲れ、大事無ぇか?」
「相変わらず貧血気味だが、健康状態は良好だ」
いつぞやかにも指摘されていたそれに司狼が苦笑いを返してくる。その膝の上で純恋がこてんと首をかしげていた。
「レバーがいいんだっけ? ほうれん草?」
「どっちもだな」
胸板にもたれかかってくるふわふわの黒い頭を撫でれば、くすぐったそうにころころと笑う。純恋の方は健康そのもので、筋肉のこわばりや筋力の低下もすっかり回復したことになっていた。紬とは数日前に初めて顔を合わせている。明るく人懐っこい少女だ――今は。
間違いなく良いことであるしこれが本来の性格なのだろうが、彼女の孤独を知る身には少しばかり複雑な気持ちだった。
「ほうれん草っつったら、こないだ作ってくれたヤツ美味かったな。パンの上に卵とベーコンと一緒に乗ってたヤツ」
ふわっと文字通り浮かび上がった人志が紬の真ん前に降りてくる。紬ももう慣れたものでのけぞることはなくなっていた。
「また作ろうか?」
「えーいいなー、ボクも食べたーい! キッチン出来たら一緒に作ろ!」
人志が頷くより早く純恋が声を上げた。純恋の言葉通り、近くフリールームにはキッチンが増設される予定なのだ。個々人の部屋に簡易的なキッチンはあるものの、料理ができるような環境ではなくせいぜいコーヒーや紅茶をいれたり冷食を温めたりする程度のものだった。
紬の家に出入りし始めてから、人志は彼女の作る料理の話をよくするようになった。紬も要の許可を得て焼き菓子などを差し入れるようになったのだが、美姫や純恋が自分も作ってみたいと言い出したのだ。それを受けた要が情操教育のためと銘打って許可と予算をもぎ取ったのである。
警察署員ですらなく、一般人である紬はどこまでも平凡だ。しかし、それ故に優秀なデザイナーベビーたちに大きな変化をもたらしていた。
一般人の生活、家庭というのがどんなものなのか。人志たちの脳内に知識として蓄積されていたそれらに厚みが生まれ始めているのだ。
その、変化を。良いものと捉える者もいれば、悪いものと捉える者もいる。
和気あいあいと子供たちが話している空間に、インコが鳴き声を割り込ませた。画面を一目見た要が片手でごめんねのジェスチャーをしながら静かに部屋を出ていく。
それを気にも留めずに楽しそうに笑う子供たちと扉一枚を隔てた外側。ほのかに暗い廊下で要は穏やかな笑みを浮かべながら、端末にひびを入れていた。
「えぇ、はい……ですが、現状御しやすくなっているのは事実でしょう? 鞭ばかりでは人は動きませんよ。それに彼らは精神的にはまだ非常に幼い。命の価値を見誤らないように慎重に育てなくては」
ご納得いただけましたか? では失礼します。
数えるのを止めた台詞を繰り返し、了承を得てから通話を切る。割れた画面に不満そうにセキが鳴き声を上げるのに眉を下げて謝っていると、もたれかかっていた扉が開いた。たたらを踏んだ身体を支えるように部屋を出てきたのは司狼だ。
「大丈夫か?」
「あぁー……何とか?」
疲れた様子でそう言った要に、司狼も眉間にしわを寄せる。
「デザイナーベビーに自我が芽生えるのが面白くないんだってさ。紬ちゃんのことも気に入らないみたい」
「直近で功績立てたのにか?」
「結局起きたのは純恋だけだったしね。彼女の方の要因だと思いたい奴が多いんだよ――我々の造ったデザイナーベビーが、たかだか目が良いだけの平凡な子供に負けてなるものかってね」
くっだらねぇ、と吐き捨てた司狼に要も頷く。
「何か適当にデカめのヘマでもやらかすか? 今までの育て方はあんまり良くなかった的な」
「やーめーてーよ。その報告上げるの僕なんだからね。タカまで攻撃されちゃうかもよ」
鷹彦の名前を出した途端、司狼が閉口する。ちら、と扉の方をうかがうが、音も光も漏れてくることはない。それでも司狼は眩しそうに眼を細めていた。
「楽しそうでいいよなぁ」
ね、と短く相槌が返ってくる。彼が子供のころにはなかった光景なのだ、これは。だが、羨ましい妬ましいというよりは、微笑ましい。
そう思えるのは、きっと自分たちが大人になったからなのだろう。
不意に薄暗かった廊下に光が差した。視線を向けていた先から漏れてきた光に、二人が目を眇める。
「……何してるんだ」
静かに閉じた扉の前で怪訝そうにしているのは鷹彦だ。二人がなかなか戻ってこないので様子を見に来たらしい。要が手にしている端末に目を止めると、苦々しそうに口を開く。
「上からか?」
「そ、お小言ばっかで嫌になるね」
要は端末を掲げた手をひらひらと振る。先ほどの彼らと同じように鷹彦は背後に視線をやった。が、直ぐに二人へと意識を戻す。なんとも言えない表情で口をへの字に曲げているのに、二人が揃って首を傾げた。
「……お前たちは長時間二人きりにするとろくな事をしない」
ぼそ、と落とされた言葉に要と司狼は思わず顔を見合わせる。が、それなりに思い当たる節はあるようで、反論の声が上がることはなかった。
「戻るぞ。子供らが不審に思う」
はぁい、と間延びした返事が揃う。扉に端末をかざした鷹彦を追い越し、司狼は彼の頭をその温かい手で柔らかく撫でた。
「心配してくれてあんがとね」
「……あぁ」
唸るような声に一瞬固まった司狼を押しのけ、鷹彦は部屋へと戻っていった。司狼の脇腹を軽くどついて要も続く。危うく廊下に取り残されそうになった司狼は慌てて光と喧騒の中へと身体を滑り込ませた。
――変化は、こんなところにも現れているらしい。
記憶に関してはこの世界ではこうなのです。これはファンタジー。
俺の宇宙では音が鳴るのだ。
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