04 阻害、忘却
真緒と人志に連れられて紬が校門をくぐったタイミングで大型の車が横付けされる。開かれていた窓から顔を見せた男――要は三人の様子を見て驚いていた。
「ほんとに認識出来てるんだ……取り敢えず、後ろ乗って頂戴な」
開かれたドアを前に紬は少しだけ躊躇を見せたが、真緒にエスコートされて乗り込んだ。人志は既に助手席の方に座っている。
全員がシートベルトを締めるのを確認し、要は車を発進させた。
「えーっと、紬ちゃん? だっけ? 二人からある程度話は聞いてるのかな?」
ハンドルを繰りながらそう聞けば、紬が戸惑いながらも頷くのがミラー越しに見えた。人志も後部座席の方を振り返って紬を観察している。
「僕もこの二人と同じCS対策課で御部要って言います、よろしくね」
ミラー越しににこっと笑う。おずおずと頭を下げた紬に、ちょっとだけ真剣な表情になって言葉をつづけた。
「今からちょっと別のお仕事に向かわなくちゃいけなくてね。もちろん君の安全は保障するけど、なるべく僕らから離れないようにね」
「……はい」
ぎゅ、と握られた拳が膝の上で震える。それに気づいた真緒は彼女の肩をポンポンと叩いた。
「君はこのおっさんと一緒に車で待っててくれればいいからさ。ほんとにごめんね、タイミング悪くて」
ふるふると首を振った紬は流れていく景色を見るともなしに見ていた。見知った街並みでもスモークガラスを通してみれば、どこか暗く重たく感じてしまう。
「あーっと、そう言えば親御さんに連絡とかした?」
「あっ」
声を上げた紬が慌てて端末を取り出した。スリープを解除すると、画面いっぱいに真っ白な毛並みが表示される。警察云々は伏せた方がいいよ、と要が告げた。
「ミケ、雄利おじさんにメッセージ送って。『今日、用事があるから少し遅くなります』って」
きゅ、と画面の中で元気よく鳴いたのは白い狐だった。紬の声に反応した狐の口元に、封筒のアイコンが浮かび上がる。ミケと呼ばれた狐はそれを咥えると、ふわふわの尻尾をふりふり画面奥へと走っていった。
「君のガイド狐なんだ。珍しいね」
「あ、はい。卵からかえったのがこの仔だったんですよ」
「私のは猫なんだよ、ほら」
真緒が見せてきた画面では、赤毛の猫が毛糸玉にじゃれついていた。かわいい、と思わず呟いた紬の手の中で不満気な声が鳴る。見ると、戻ってきていたミケがてしてしと尻尾で床を叩いていた。拗ねているらしい。
二人が持つ端末は国からの支給品だ。彼女らのようなスマートフォン型の物を筆頭に、腕時計型、タブレット型と人によってさまざまな形が存在する。画面の中のミケや真緒の猫のようなものはAIの一種だ。
人は十歳になると国から端末と自分のマイクロチップに紐づいたAI、通称ガイドを支給される。そのガイドの見た目は自由に選ぶことが出来るのだ。とはいえ、色や種類は膨大な組み合わせがある。そのため、紬の言う卵――ランダム生成のサービスがあるのだ。いわゆるガチャのようなものである。
ガイドには初期にプログラムされた性格のようなものがあり、使い続けていくうちに持ち主の性格や使い方を学習して成長していく。また、ガイドは十年ごとに更新がされ、その時に見た目を変えることも出来るのだ。しかし、大抵の人は最初のガイドを使い続けることが多い。十年も使い続けていれば愛着も湧くものだろう――名前を変える者は一定数いるが。
「あ、返事持ってきてくれたんだ」
『用事終わったら連絡してね。遅くなるようなら迎えに行くから』
ミケが持ってきた封筒をタップすれば、成人男性らしき優しい声がメッセージを告げる。ほ、と息をついた紬は画面の中の毛並みを指先で撫でて、端末をポケットにしまい直した。
「セキ、ジャミングの許可申請頼む」
要がカーナビに接続されていた端末に声をかける。カーナビの画面がぱっと切り替わり、緑色のインコがこてりと首を傾げるのが映った。
『祢岸真緒、御部要の両名にジャミングの使用を許可します。速やかに対象を補足・消去してください』
女性とも男性ともつかない抑揚のない声がインコ――セキの嘴から奏でられる。ジジ、と耳鳴りがした気がして、紬は頭を振った。
顔を上げると、真緒がうかがうように覗き込んでくる。きょとんと見上げて首を傾げれば、切れ長の目が細められる。
「……やっぱり認識出来てるんだね」
「え? あ、はい……」
運転席では要も顔をしかめている。人志がけらけらと笑った。
「今コイツら、オレと一緒で認識阻害されてるはずなんだよ……案の定、お前には見えてるみたいだけどな」
「え、じゃあ今誰もいない車が走ってるように見えてるってこと、ですか?」
いいや、と紬の疑問に答えたのは要だった。
「視覚の妨害じゃなくて認識阻害だからね。僕らと僕らに関わる全ての情報は今、この瞬間にも修正されて上書きされている」
ハンドルが切られた車体が赤信号を突っ切る。するとそうすることが自然であるかのように歩行者は足を止め、車もブレーキをかける。
要は空けられた道を悠々と走り抜けた。紬が振り返ると、交差点は何事もなかったかのように信号通りの賑わいを取り戻していた。
「こういうのは全部チップを通して管理されてんだよ。お前のチップがおかしいかもってのはそういうこと」
とん、とん、と自分の首の後ろを指し示した指が、続けて紬の方を指す。そうしてにぃ、と口元をゆがめた。
「調べ終わったら全部忘れてバイバイってのもそういうことだ」
「な、るほど……?」
なんとも軽く突き付けられた闇を飲み込み切れずにくるくると目を回す。額を押さえた真緒が助手席を後ろから蹴り飛ばした。いってぇ! と喚く人志を気にもせずに紬の方へ向き直る。
「気を悪くしないでほしいんだけど、それが私たちのお仕事なんだ……それに、モデルにするんならもっとまともな人間にした方がいい」
「あ……はい」
無意識に両手で抱きしめたノートの表紙が、少しだけ歪んだ。
少し重苦しくなった空気を乗せて走っていた車が速度を緩めて停止する。要はダッシュボードからサングラスのようなものを取り出して身に着けた。
薄青いレンズを通した視線が周辺をさまよい、やがて一点で止まる。
「百貨店の屋根の上だね。見る限り人にはまだ影響出てないみたい」
「オッケ、こっちも確認した――行くよ、人志」
へいへい、とこちらも似たようなゴーグルを装着した人志が腰を上げる。同じく真緒も車を出ていき、紬は要と二人残された。
気まずさから外に逃がした視線が、なんとなく真緒と人志を追う。人志は真緒を連れて空高く浮かんでいた。
――その、先には。
「ひ、」
両手で押さえた口から殺しきれなかった悲鳴が漏れる。マジか、と要が呟くのが聞こえた。ハンドルを握ったまま、紬の方を振り返る。
「君、アレも見えてるの?」
要が指差した先。真緒と人志が舞い降りた屋根の上には、陽炎のような黒い靄が浮かんでいた。
三人のガイドの名前はそれぞれこんな由来となっています。
ルビー→毛の色(赤)
ミケ→御食津神
セキ→セキセイインコ
要が一番安直ですかね。