37 夢、帰還
長い長い夢を見ていたのだと、目を覚ました純恋はそう思った。あぁ、こちらが紛れもない現実であり、あれは悪い夢だったのだ、と。その悪い夢も、瞬きの度にボロボロと記憶から零れ落ちていく。
なぜか懐かしさを感じる面々が純恋の傍で騒いでいた。気怠い身体はうまく動かず、医者が測った脈は酷くゆっくりだ。ふわふわとした思考の中、求められるがままに指を動かし、かざされる光を視線で追う。心底安心したように息を吐いた鷹彦が、ベッドにもたれかかるようにしゃがみ込んだ。
「身体にも、マイクロチップにも異常はない……寝たきりだったから筋力が落ちているようだが、少しリハビリすればよくなるだろう」
良かった、と何人かの歓喜の声がそろうのを純恋はぼんやりと聞いていた。寝たきり、と一つ引っかかった単語を繰り返すと、鷹彦がそっと頭を撫でてくれた。
「お前はバグに襲われて数か月もの間眠っていたんだ。目が覚めた理由はまだわからないが……とにかく、良かった……!」
少し離れたところでは司狼が袖で目元を擦っていた。少しぼやける視界の中で電子音を立てた扉が開いて、人影が駆け込んでくる。
「お」
ベッドから少し離れたところで止まった彼は言葉が出てこないのか、音を一つ吐いたきり黙り込んだ。そのまますたすたと純恋の枕元まで歩み寄ってくると、指先で彼女の額を弾く。
じん、と鈍い痛みと彼の行動に対する非難が吹き荒れた。それらを一切意に介さず、人志は呟く。
「おはよ」
言葉は出なかったが、へら、と心からの笑みが零れた。それからすぐに詳しい検査のためにと司狼に抱き上げられ、医務室へと向かう。鷹彦と、その周りをふわふわと飛び回る人志が後に続いた。
見知った扉の前に立てば、シュン、と空気の抜けるような音を立てて開く。椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった要が、足早に駆け寄ってきた。
「純恋! 本当に起きたんだね……あぁ、良かった……!」
薄く涙が張って見えるエメラルドがゆらゆらと揺れている。その傍らのベッドで、純恋とそう年の変わらない女の子が眠っていた。
――誰だっけ?
おぼろげな記憶を手繰ってみるが、思い当たる存在はない。そもそも純恋はさほど顔が広いわけでもない。知らない子だ、と結論を出したきり、純恋の脳は一旦役割を放棄する。ふわふわのベッドの上に寝かされたのも相まって、思考が泥の中に沈んでいった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからもろもろの検査を終え、問題無し、と改めて結論が出たところで純恋は再び目を覚ました。心配そうな大人たちの向こうでこちらに視線を寄こして来る人志が見える。彼は紬の方のベッドの近くにいた。
一目見た時からそうだったが、妙に気になって純恋は身体を起こした。
「要さん、あの子は? デザイナーベビー?」
年齢からしてバディではないだろうとそう尋ねると、要は司狼と目を合わせていた。こてんと首を傾げていると、鷹彦が口を開く。
「バグ研究の為の協力者だ。お前に付いていたバグが通常のものと異なるのに気付いたのが彼女なんだ」
え、と思わず声が上がった。続けて純恋が眠っていた時のことや、紬の目のことを聞かされる。大変だったんだなぁ、と他人事のように相槌を打っていると、不意に人志が声を上げた。呻き声のような声も聞こえてくる。
「紬!」
件の彼女が目を覚ましたらしいと、要と鷹彦がそちらの様子を見に行った。純恋はちょこんとベッドに座ったままそれを見るともなしに眺めていた。
先ほどの話では彼女のお陰で自分は助かったらしい。そう理解はしたものの寝起きで状況把握が曖昧なのも相まってか、まだ実感が湧いて来ない。
「……!」
じっと見つめていると、視線に気づいたのか。頭を押さえていた紬がこちらを向いた。藍色の瞳が一度大きく見開かれる。が、直ぐに要の身体が視線を切るように間に割り込んできた。紬の額に手を当てて熱を測っているらしい。鷹彦も先ほど純恋にやったように問診や触診をしている。
早く終わらないかな、と何となく純恋がそわそわしていると傍らに残されていた司狼が薄く笑った。
「紬ちゃんデザイナーベビーにモテモテだな」
「人志君にも?」
思わずそう尋ねれば、司狼は大きく頷いた。紬の方へと再び視線を向けると、人志がちょろちょろ動き回って彼女を構おうとしては鷹彦に怒られていた。確かに記憶の中にある彼よりも表情が柔らかい気がする。
「……なんか人志君縮んだ?」
「ぶっふぁ」
まだしっかり働いていないらしい脳が頭の中に浮かんだ言葉をそのまま出力してしまう。派手に吹いたきりバイブレーションし出した司狼を横目で見つつ、純恋は枕にもたれかかった。まだ少し眠い気がする。
うつらうつらと喧騒を聞いていると目の前が暗く、温かくなった。
「寝起きに無理すんな、ゆっくり休めよ……回復したら嫌でも騒ぎになるんだからな」
発火能力の影響で司狼の手はいつでも温かい。純恋が未来予知を発動してぐったりしていた時は大抵付き切りで目やこめかみの辺りを温めてくれていた。
――この温度を、懐かしいと感じるのだから。自分は本当に長い間眠っていたのだろう。
修正された事実にそう納得して、純恋は目を閉じた。
顔合わせはまだ。
評価・ブクマ等していただけると、とても励みになります。
これからもよろしくお願いします。




