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深刻なバグが発生しました。  作者: 四片紫莉
第一章

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36 消去、目覚め

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 じわじわと、虫が命一杯に鳴いていた。地面に落ちても往生際悪くじたばたと暴れながら。ぽつりと玉を作った汗がその傍に落ちる。


「何見てるの?」


 死にかけの虫、と答えるのもなんだかなと思ったので黙って立ち上がった。ヤナギはこてんと首を傾げていたが、地面に転がる虫にさほど興味を惹かれなかったらしく、日陰に行こうとオレの手を引いた。

 大きな木の根元に二人揃って腰かける。影になった土は冷たく湿っていた。この木の幹に、枝に、さっき地面に転がっていたのと同じ虫が張り付いて喧しく鳴いている。


 ここいらの村人が言うには、この虫は子供時代の数年をずっと地面の下で過ごすのだそうだ。そうして大人になってたった一週間でああして地面の上で干乾びる。この辺りの土地では夏の風物詩の一つで、鳴き声を上げるのは伴侶を探しているのだ、と。


 ヤナギは一週間で死ぬなんて儚い虫だと言っていたが、子供の時間を含めれば虫にしてはむしろ長生きだろう。オレに虫を憐れむような情緒はないが、長い間過ごした土の中からやっと出られたのに残り一週間しか生きられないというのは己の身に置き換えると中々に残酷に思える。


 十数年を過ごした穴蔵(あの村)から抜けて、一年と少し。オレたちはまだ、人間の子供だった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「紬? 紬!」


 頭を抱えてうずくまったかと思えば、ことりと意識を飛ばしてしまった紬に驚いた人志が彼女の身体を揺さぶる。慌てた真緒が拳骨を落として引き離し、脈を確認していた。少しばかり早めだが乱れはないようだ。


「直ぐに本部に戻ろう。タカに連絡して検査の準備してもらって」


 こくりと頷いた真緒が端末を取り出して連絡を取りながら先行する。少し落ち着いたのか、当たり前のように紬を抱き上げた人志がそれに続いた。

 一人残された要は深く眠る純恋を抱えて自分が乗ってきた車へと向かった。助手席に彼女を座らせ、片手で構いながら端末を操作する。権限の多い彼はやらなければならないことも多いのだ。


「バグの影響、ではないよね……彼女の記憶領域も早いとこ調べたいんだけどなぁ」


 権限はあれど山ほどの手続きは変わりなく踏まなければならない。特に記憶領域の開示許可は()()()()出るものの、人権を重んじているというポーズのために馬鹿みたいに手順が多い。もどかしいことだが、現状待つしかないのだ。


 にしても、と。呟いた要の手の中で端末がみしりと嫌な音を立てた。セキが小首を傾げて鳴き声を上げる。


「二種類のバグかぁ……しかも今のところ見分けられるのは紬ちゃんだけときた」


 これまでの被害者と純恋の症状を比べるに、後者のバグはどこか荒い印象を受ける。何せ()()端末一つで修復できたのだから。純恋が透明人間となってしまったのは、彼女が秘匿存在であったことが大きな要因なのだろう。であれば、最近のバグが()()()かとも思ったが、紬の話では彼女に渡した資料の中にも虫の姿を取らないバグがあったとのことだ。


 そもそも、バグが完成していたとして。これを操る者の意図は?


 一息に増えた情報と仕事に、要は大きく溜息を吐いて車に乗り込む。向かう先はCS本部――ようやっと取り戻した彼女の、純恋の帰る場所だ。

 未だ誰にも見えない純恋を抱え、デザイナーベビーの待機場所であるフリールームへと向かう。美姫の部屋の隣、走るハムスターが描かれたネームプレートが下げられた扉を開け、中へと入った。


 パステル調の家具に飾られた、かわいらしい部屋だ。かわいらしい部屋なのだが、そんな空間には似つかわしくない暗い色合いのトレーニング器具が幾つか並べられている。いずれも要が彼女に何か欲しいものはないかと尋ねてねだられたものだった。

 その時のことを思い出して、喉の奥に酸っぱいものが込み上げてくる。それを腹の奥に飲み下して、要は純恋をふわふわのベッドに寝かせた。


「ごめんね……」


 小さく呟いて用意した点滴の針を健康な腕に刺す。ぽたぽたと袋の中を落ちる液体は栄養剤に弱い筋弛緩剤を混ぜたものだ。

 彼女は数か月眠っていたことになる。目を覚ましたら何も問題なくすっかり元気では辻褄が合わなくなるのだ。ちなみにこの薬の効果はごく短い時間で切れる。これに関してはデザイナーベビーの回復力にこじつけるつもりでいた。


 要はベッドの空いたスペースに腰掛けると、枕の上に散らばる黒髪を整えて優しく撫でた。眠る純恋に聞こえていないことを知りながら囁く。


「大丈夫。少し長くて怖い夢を見ていただけだよ。目が覚めたら何もかも元通りだ」


 弄っていた黒髪がするりと枕に落ちる。端末を取り出した要は、画面内でシパシパと瞬きをするインコを指先で撫でた。


「僕はずっと、覚えてるからね。君の苦しみも、約束も」


 ピュウイ、とエメラルドの鳥が一つ鳴いた。


 要は静かに溜息を吐いて立ち上がると、純恋の部屋を後にした。その足で、鷹彦の元へと向かう。イライラと診察室の前で待つ人志の前をすり抜け、戸を開く。清潔な白いシーツに寝かされた紬に聴診器を当てていた鷹彦がおもむろに身体を起こして要に視線を寄こした。


「呼吸、脈拍ともに問題ない。が、脳波に少し乱れが見えるな……これは、もしかしたら」

「どうしたの?」


 言葉を止めた鷹彦に要は最初からそこにいたような態度で首を傾げて見せた。鷹彦が近くに浮いていた画面の一つを指先で引き寄せると、一緒になって覗き込む。


「記憶の想起、とはいかないまでも何らか刺激があったとみていいだろうな」

「まぁ、今回紬ちゃん誘拐されたわけだしね。PTSDのフラッシュバックに近い状態が起きたのかも……起きたらカウンセリング兼ねて話聞いてみようか」


 不規則に波打つ画面を眺めて目を細める。不意にワン! と元気よく狼が鳴き、鷹彦は端末を取り出した。スワイプして耳に当てる。

 が、直ぐに腕をいっぱいに伸ばして耳から距離をあけた。


『タカ、今何処だ!? 直ぐに来てくれ!!』

「うるさい、声を抑えろ……何処にいるんだ」


 けたたましく響いた声に、鷹彦は顔をしかめつつ尋ね返す。電話口の司狼は興奮しているらしく、一切音量を落とさないままに吠えた。


『純恋の部屋! 目を覚ましてる!!』


 暗い赤が大きく見開かれて、揺れる。その肩を要が強く掴んだ。彼の口角がゆるりと上がっているのを、鷹彦の網膜は認識しない。


「純恋のとこ行って! ここは僕が見とくから!」


 声も出せないままにこくりと頷いた鷹彦が白衣を翻して走り出した。扉の向こうで人志が彼に詰め寄っているのが聞こえる。

 要はベッドの近くの椅子に腰かけ、だらりと背もたれに体重を預けた。


「タイミングミスったかな。いやでも、早い方がいいよね」


 自分に言い訳するようにそう呟く。しばらく天井を眺めていたが、そっくり返っていた身体を前のめりに戻した。


「君も早いとこ目を覚ましてちょうだいね」


 閉ざされた瞼を指先で撫でる。一定のリズムで呼吸している紬の顔は穏やかなままだった。

セミファイナルは本当に怖い。


評価・ブクマ等していただけると、とても励みになります。

これからもよろしくお願いします。

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