35 修復、懐古
青いグラスをかけた要が紬と同じように純恋の首筋をじっと見つめる。薄ぼんやりとゆらゆら揺れるそれは、彼女が見ているものと寸分違わない、らしい。
「いつもみたいに虫の形じゃないんです……そうだ、御部さんからもらった宿題にも同じ様なのが一つありました」
「ただの黒い靄?」
紬がこくりと頷く。純恋を起こさないようにと小声で交わされる会話に、要は小さく唸った。そうして近くに敷いたままの布団に純恋をそっと横たえる。
無意識なのか伸ばされてくる手を要は優しく握った。紬も傍へ寄ってよしよしと頭を撫でると、眉間に寄っていたしわが解れた。要は頬を緩め、反対の手で端末を取り出して純恋の首筋――マイクロチップへとかざす。
「うわ」
短く声を吐いた要の目に意味不明の文字列が流れていく。が、直ぐに瞳を尖らせると画面を操作し始めた。
「あぁ、確かにこれは他の被害者のとは違うな。プログラムとして解析できそう……ん、これ認識阻害の拡大か――あぁ成る程、音に関する阻害が少し薄かったのか」
ぶつぶつと紬にはよくわからないことを呟きながら画面を絶えずタップし続けている。紬は手持無沙汰に純恋の短い髪を撫でていた。
「……そう言えばコイツ今どの部署だっけ――近いうちにクビ切るか。元々使えない奴だったし」
何となく怖い単語が聞こえた気がして紬は顔を上げた。要は気付いていないのか気付いていないフリをしているのか、こちらへ視線を寄こすことはない。
踊るように画面を動く指が純恋のデータを修復していく。紬と、純恋の端末から見上げるロボロフスキーに見守られながら、新しいデータを組み上げていく。
「ん、これでよし。先に純恋を連れて戻ろう――書き換えと修復はその後になるから、実行したら君の認識も確認しなきゃね」
要は再び純恋を抱き上げると、紬を手招いて歩き出した。紬も慌てて後を追う。暗い廊下を通って、エレベーターへ。三人そろって乗り込み、一階のボタンを押す。
「ありがとうね」
「……えっと?」
ゆっくりと動き出した箱の中で、不意に要が口を開いた。一瞬反応を遅らせた紬が首を傾げて彼を見上げる。
「純恋、きっと君のこと心の支えにしてた。僕らは見つけてあげられなかったから……」
「要さんは、その、純恋ちゃんのことずっと探してたんですか?」
彼女はバディの認識から消え、デザイナーベビーとしての登録も抹消されていたはず。それを、どうやって。
疑問を言葉にする前に、エレベーターが音を立てて止まった。要はすでに、視線を扉の方へと向けている。
「紬!」
開きかけた扉の隙間から、彼女の姿を認めたらしく跳ねた声が名を呼んだ。
「人志、真緒、お疲れ様。流石早いね」
もう制圧したんだ? と要が小首を傾げると、エレベーター前の床に座り込んで待っていたらしい人志が勢いよく立ち上がった。そのままふわりと浮かび上がって紬をじっと見つめる。上から下まで視線を二往復ほどさせてから、口を開いた。
「……怪我、とか」
「してないよ、人志君は?」
よゆー、と昨日聞いたばかりの台詞が得意げに吐き出される。その視線はまだ、純恋に向くことはない。終わったんならさっさと帰ろーぜ、と紬の腕を取って歩き出す。
そう言えば、と。純恋は人志と幼馴染、という間柄になるのだろうかと紬は詮のないことを考えた。事件があって東京に引っ越してから、紬は幼馴染たちとは全く連絡を取っていない。当時はまだ端末が支給されていなかったし、向こうが故郷で悲惨な目にあった己に気を使ってくれているというのもあるだろう。
あの子らは元気にしてるのかなぁ、と紬は人志に引っ張られながら少しばかりセンチメンタルな気分に浸る。
彼ら彼女らとは紬の生家である神社の裏の森に集まってよく遊んでいたものだ。どんぐりやらいい感じの枝やら拾っては、投げたり振り回したりしていた。
思えば随分と特殊な環境下で育ったものだ。あの地域はお年寄りも多かったから、古い、身体を使うような遊びはいくらでも教えてもらえたのだ。
端末をもらう前の子供は、その日の遊びの終わりに次の日の約束をする。明日はどこへ行こうか。何して遊ぼうか。玩具もらったから持ってくるね。明日は誰それもつれて来ようよ。
ガキ大将を気取っていたけれど木の葉の影にびっくりしては転んでいたてっちゃん。一つ下のさつきちゃんは、森の中で捕まえた虫やら蛙をポケットに詰め込んで家に持って帰ってはお母さんに怒られていた。
『神社のお姉ちゃん』の紬はことさら小さい子たちの面倒を見ることも多かった。境内や森には立ち入り禁止の場所もある。主に危ないからと業務上の都合で。
もう少し大きい好奇心旺盛な子は、そういった場所に行きたがる。でも『神社のお姉ちゃん』のいうことは不思議とよく聞いてくれるのだ。
――あぁでも、あっち側に行ってしまった子がいた、ような。
「ぁれ……?」
ずん、と頭の奥が重くなるような感覚がした。引っ張られる腕に足の動きが追いつかずにもつれる。前のめりに倒れそうになった身体が抱き止められた。
「おい、大丈夫か?」
「あ……うん、ごめん。ぼーっとしてた……」
人志にもたれかかっていたのに気づき、慌てて手を突っ張って身体を起こそうとする。が、くらっと視界が揺れた。その場に膝をつきそうになった紬に吊られて、人志も座り込む。
「どうしたの、大丈夫!?」
人志や真緒には見えない純恋を抱えた要が駆け寄ってくる。紬は大丈夫だと言いたかったのだが、なぜだかひどく喉が渇いていた。
小さな子、に手を引かれたのだ。一緒に遊んだ、記憶がある――なのに、その子の名前を思い出せない。
「紬!?」
頭の中を揺さぶられているように痛みが回る。車酔いを数倍ひどくしたような気持ち悪さに、反射的に口元を覆った。
――あの子は、他の子たちに見えていたっけ?
知らないうちに遊びに混じってる誰も知らない子供。
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