34 再会、約束
「誰……?」
びくりと震えた純恋が紬の手をぎゅっと握った。これまでこの部屋を訪れた人間に障子をノックしてくる者などいなかったのだ。 障子の向こうのシルエットがゆらりと動いた。ゆっくりと開かれていく戸に、抱き合った二人の目が見開かれる。
「要さん……」
走ってきたのか、要は少し息を切らしていた。戸を開け放ったまま部屋へと入るとぐるりと辺りを見回す。仏壇が目に留まったのか、少し顔をしかめて呟いた。
「何あれ、趣味悪……しかもハムスターグッズ一つもないし」
「え……?」
純恋が小さく声を上げた。その目の前に、要は膝をつく。そうして視線を合わせて、微笑みかけた。
「遅くなって、ごめんね」
「っぁ、あ……」
迎え入れるように緩く広げられた腕に、喉が震える。紬はそっとその背中を押した。ぽすん、と幼い少女が大きな腕の中に納まる。
「あぁ……うぅ、うわぁあああんッ!!」
大声で泣き出した純恋を、要は手慣れた様子で優しく抱きとめる。ずっと独りきりでうずくまっていた子供をあやすような、撫でるような声で贖罪を紡ぐ。
「ごめんね。ずっと、辛い思いをさせた」
「うぅううう……!」
ぎゅう、と抱き締めた腕と同じくらい震える声に涙が混じった。辛そうに、悔しそうに、翠の目が歪む。獣のようにむせぶ純恋の手が要のスーツを痛いほどに握り締めた。優しい手が、短い黒髪をそっと撫でる。
「純恋はいいこだよ。ずっと、頑張ってきたのを僕らは知ってる」
「ぅえ、ひっく……うぅ……!」
いいこなんかじゃない。何一つ言葉にならない呻きが漏れた。
探してくれないのをプログラム上仕方のないことだとわかっていても諦めたくなくて、彼を恨んだ。彼の庇護下にいる他のデザイナーベビーに恨みすら抱いた。
助けを待たずに動いて、たくさんの人を巻き込んだ。迎えを信じ切れずに自分の居場所を造ろうと、未来視を悪用して山ほどの人間を自分に依存させた。
「たくさん嫌なものを見たね、独りでよく耐えたね。君を責める人は誰もいない……咎を負うべきは、何も出来なかった僕らだ」
背負い続けてきた罪悪感が当たり前のように彼女ごと抱え上げられる。溶けて流れた涙すら一つも取り零さないようにと、純恋の顔が要の肩にそっと押し付けられた。
要はいつだって、純恋に優しい。辛くて苦しくて忘れていた、そんな当たり前をやっと思い出した。
「ごめんね。僕らのこと、もう信じられないかもしれないけど……それでも僕は君たちのことを護りたい」
そっと肩からはがされた頬を大きな手が包む。親指が目尻に溜まっていた涙を拭った。菫の花の色をした目をしっかりと見つめて、要は彼女に乞う。
「純恋……もう一度、僕にチャンスを頂戴?」
どこか怖がっているような、必死な声音だった。彼は、純恋に拒絶されることを恐れている。
ぼろぼろと涙をこぼしながらしゃくりあげる純恋が言葉を話せるようになるのをじっと待っていた。
――やがて彼女は、肩を震わせて小さく小さく、頷いた。
「そう……ありがとう、本当に」
要は小さな手を両手で包むように取った。握った手を額に当て、彼女に誓う。
「もう二度と、見失わない――約束だ」
干からびてしまいそうなほどにわあわあと泣く純恋をあやすように抱きかかえる。しばらくは離すまいと握られていた手からゆっくりと力が抜けていき、ゆらりと落ちた。泣き疲れて眠ってしまったらしい。
その様子をずっと見守っていた紬が目尻に浮かんだ涙をそっと拭っていると、よいしょ、と掛け声をかけた要が純恋を抱えたまま立ち上がった。膝裏と背中に手を回した、いわゆるお姫様抱っこだ。
涙の跡を色濃く残した彼女は眠ったまま、起きる気配はない。ただむずかるように要の胸元に顔を寄せていた。
「……紬ちゃんも、ありがとうね」
「私は、何も……」
本当に何も出来なかったな、とそんなことを思いながら純恋の顔を見る。すぅすぅと静かに寝息を立てる彼女の表情は安らかだ。保護者の庇護の元に戻った幼子の安堵がそこにはある。
「そりゃ、僕らのお仕事丸っと取られるわけにはいかないからね」
おどけたようにそう言った要が少し表情を変えた、ように見えた。何だろう、と見つめていると器用にも純恋を抱っこしたまま端末を取り出した要が紬を手招く。
招かれるままにちょこちょこと寄っていけば、彼は端末の画面を見せてきた。緑のセキセイインコがくりくりとした目で彼女を見上げている。
「えっとね、今からちょっと大規模な書き換えをします」
書き換え、とオウム返しした紬に要はこくりと頷く。言葉の調子は軽いが、表情は真剣だ。
「紬ちゃんがどうなるか未知数なんだけど、一応書き換え後の情報を共有しとくね」
一つ、回帰同盟は本屋で起こしたテロ行為により拘束され、芋づる式にこのビルがバレて全員取り調べを受けることになる。その結果、マイクロチップに違法な改造を行ったとして軒並み逮捕されることとなる。
一つ、先読み様は存在しなかった。故に純恋の数か月の孤独はなかったこととなる。
「……じゃあ、その、純恋ちゃんは」
「バグの影響で眠っていたことにして登録し直し……いや、でもそれだと他の被害者が治らないのはおかしいか?」
ぶつぶつとシナリオを組み立てていく要の腕の中で眠る純恋を、紬はじっと見つめた。そうして、要を見上げる。
「あの、純恋ちゃんのマイクロチップについてるのバグじゃないかもしれません」
「……どういうこと?」
紬は真っすぐ見つめてくるエメラルドから逃れるように純恋の首筋を注視した。先ほど見えていた薄ぼんやりとした黒い霞が再びゆらゆらと像を結ぶ。
しかし、それがいつものように虫の姿を取ることはなかった。
子供をあやすのはなるべく大人であってほしいなと思う。
子供に子供のお世話はシンプルに負担なんじゃないかな。
評価・ブクマ等していただけると、とても励みになります。
これからもよろしくお願いします。




