03 幽霊、異常あり
あっけに取られる二人に気づいていないのか。ぎゅっと握った手に力が込められ、真っ直ぐと見つめられる。
「あの、私の実家神社なんです。いや、今はもう寂れちゃってて誰もいないんですけど、知り合いの神主さんとかなら紹介できますから――」
「えーっと、ごめん」
一足先に再起動した真緒が彼女の言葉を遮る。ゆるりと手を振りほどいて、未だにぽかんとしている人志を指差した。
「コイツ別に幽霊とかじゃないんだ」
「えっ」
こちらもやや間抜けな声を上げた彼女の視線は、人志の足元に向いている。当然しっかりと生えているし、透けてもいない。
あれ? という表情になった彼女に、真緒はため息を吐いた。
「えっとね、とりあえずコイツのことはちょっと置いといて――この小説の作者は君だね?」
ノートの表紙を指先で叩きながら問う。彼女は少し頬を赤らめ、おずおずと頷いた。
「そう……あぁ、自己紹介がまだだったね。私は警視庁CS対策課の祢岸真緒。こっちは加冶人志だ。よろしく」
黒革の手帳を掲げて見せると、彼女はくるりと目を丸めていた。警察、と小さく呟くのが聞こえる。
「それで、君の名前を教えて欲しい」
「あ、えっと、豊利紬です。あの、勝手にモデルにしてごめんなさい! でも、私別にこの小説世に出そうとかそんなことは思ってなくて……」
人志をモデルにしたことを咎められると思ったのか、慌てて頭を下げる紬に真緒は首を振った。重要なのはそこではないのだ。
「君、コイツのこと見えてるんだよね?」
「えぁ、まぁ……はい」
真緒は人志の方を振り返る。少しぶすくれた様子なのは幽霊と勘違いされていたからだろうか。地面から一メートルほどの位置に浮いている彼の後ろを、部活中らしき生徒が横切っていく。
彼らは誰一人として、人志に注目することなく通り過ぎていく。男子生徒が少し真緒に見惚れていたが、人志の方へと視線を向ける者はいない。
「オレは、人に認識されないように処置をされてる――つまり」
摩擦を持たない身体が滑るように紬に近づく。とん、と額を指先で押され、紬はたたらを踏んだ。
「お前の目か、チップか。どっちかがイカレてるってことだ」
チップが? と呟いた紬は額を押さえていた手を首の後ろにやった。そこには、極小のマイクロチップが埋め込まれているのだ。
サイバースペース展開以降、人は例外なく生まれてすぐに個体認識用のマイクロチップを埋め込まれる。それはサイバースペースへのアクセス権限でもあるが、もう一つ、重要な役割を担っていた。
「詳しいことは現段階じゃ話せないんだ。悪いけどちょっと一緒に来てもらってもいいかい?」
あ、え、と言葉を迷わせる紬。泳ぐ視線を捕まえようと見つめていると、真緒のポケットから猫の鳴き声が響いた。取り出した端末の画面をスワイプして耳に当てる。
「はい、もしもし」
「おっさん、情報おせーよ。もう見つけちゃったんだけどぉ」
会話が始まってもいないうちに割り込んできた人志を、真緒はべちんと叩いて地面に落とした。電話の向こうでえ!? と大きな声が上がる。
『もう見つけたの? ひょっとして今一緒?』
「そうだけど、何? 何かトラブルでも?」
真緒が耳をすませると、声に混じって風のような唸りが聞こえてくる。電話の相手は車に乗っているらしい。
『えーっとね――バグが発生しました。現場に急行せよとのことです』
「はぁ!? 別の奴に向かわせなよ、空いてるの他にいるだろ!」
『僕らが一番近いし、先方が人志のことご指名なんだよ。今もう向かってるから、そのまま待ってて』
何やらもめているらしい二人を後目に再び浮き上がった人志は紬の傍に寄った。ぴゃっ、と飛びあがりそうになったのを両頬を捕まえて押さえこむ。
「いつから見えてた?」
「え、っと……中学生なって直ぐぐらいのときに初めて見て……それから何回か」
曰く、『無重力』でビルからビルに飛び移っているところを見られていたらしい。何度か目撃しているうちに人志のことをアクティブな幽霊だと思ったのだそうだ。
そんな告白を聞いて微妙な顔になった人志は、実態があることを示すかのように両手で挟んだままの頬をムニムニといじりだした。額を突き合せそうなほどに近づいてじっと目を覗き込む。うろうろと左右に揺れる瞳を追いかけるように灰の瞳が動く。
「……やっぱ目がおかしいんかね」
「おかしい、ん、ですか?」
じわじわと暖かく赤くなっていく頬に気づいていないのだろう。人志はまじまじと藍の瞳を見つめている。瞬きを止めようとしているのか、親指が下瞼のふちにかかる。
「近い近い近い、何やってんだ馬鹿」
通話が終わったらしい真緒がべりっと人志を引きはがしてその辺に放った。腰に手を当てて紬の前に立ちはだかり、浮いたまま胡坐をかく人志を見下ろす。
「聞いてただろうが、バグが発生した。今、要がこっちに向かってるからお前も準備しときな――あと、」
真緒はくるりと振り返って紬と向き直る。まだほんのり顔が熱かった紬はぱたぱたと両手で顔を扇いでいたが、さっと居住まいを正した。
「さっきも言ったけど、君のことこのままほっとくわけにはいかないんだ。一緒に来てくれるかな?」
「まぁ、いろいろ調べ終わって解決したら全部忘れてバイバイだから。あんま気にしなくていいんじゃない?」
「え」
ばちんとまた叩かれた頭が勢いよく前に傾ぐ。本当のことだろ! と喚く人志にため息を吐いて、真緒は紬の手を取った。
「君のチップに重大な異常が起きている可能性を考慮し、CS対策課権限でもって君を保護します」
ぐい、と引き寄せられ、紬はたたらを踏む。エスコートするように腰に回された腕は同じ女性と思えないほど力強かった。
お名前判明&微妙にタイトル回収。