27 過去、歪
この世で唯一、純恋の姿を映す藍色がゆっくりと瞬きする。その様子を純恋は食い入るように見つめていた。
紬は少しだけ目を細めながら口を開く。
「その……純恋ちゃんは今、普通の人には見えない状態なんだよね?」
こくりと黒い頭が一度だけ振られる。膝の上で握られた拳は白く関節が浮かび上がっていた。
「マイクロチップの異常とかなら、私にはどうにも出来ないから……CS対策課の人とかに、」
「ヤダ!!」
感情が破裂したかのような大声だった。びくりと震わせた肩を掴まれ、紬は目を瞬かせる。
「あの人たちはボクのこと探してくれなかった!! ボクのこと役に立たないからって捨てたんだよ!!」
「っ、捨てた……って?」
容赦なく指が食い込んでくる痛みに狼狽しながらも問いを絞り出す。あ、と小さく声を零した純恋が慌てて手を離した。ごめんなさい、と蚊が鳴くように囁かれ、紬は肩を摩りながらも首を横に振った。
「大丈夫だよ。でも、捨てられたってどういうこと?」
なるべく優しい声を出す紬に純恋が再び顔を伏せる。
「ボクは……出来損ない、だったから」
ぽつりと落ちた己を卑下する言葉に、彼女の過去が続く。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
相波純恋は両親の顔を知らない。身体能力に秀でた男と、人よりも優れた五感を持つ女の遺伝子の掛け合わせによって試験管の中に産まれ、培養槽の中で育った故に。
胎児の段階でマイクロチップを埋め込まれ、その影響によって本来人が持ちえない能力を持って生まれた――デザイナーベビーである。
――未来予知。それが、彼女の発現した能力だった。
齢十二歳の時に目覚めたその能力はやや不安定だった。見たいときに見たいものが見られる訳ではなく、情報が途切れ途切れになることも多かった。
彼女と近い年頃の二人のデザイナーベビーはいずれも強力な能力を持っていた。そのため事あるごとに比較され、否定された。
「バグに対抗出来るタイプの能力じゃないんだから、せめて情報収集くらいには役立ってくれよ。宮杜のお姫様なんかあんなに小さいのに役に立ってるんだぞ?」
彼女のバディはあまり良い大人ではなかった。彼はAIによって選ばれた人間ではない。特別を欲し、非正規の方法にてその座を手にした男だった。そしてそれが可能なだけの権力に似合った傲慢な男であった。
純恋は不安定とは言え能力を持ったデザイナ―ベビーであり、秘匿存在だ。見せびらかすことこそ出来ないものの、アクセサリーとして彼の自尊心を満たすのに一役買っていた。
満たされた自尊心が、おかしな方向へと歪むのにはさほどの時間はかからなかった。
「どうして俺がお前なんかの面倒をみなきゃならないんだろうな? こんなに弱いんだから、市井に放流した所で問題ないだろうに……お前みたいな役立たずにだって金がかかっているんだぞ?」
己が純恋のバディになることを望んだという事実を忘れ、彼は彼女の頭を押さえつけ始めた。彼女より優位に立つために能力を伸ばすことを許さず、鍛錬を強要した。
「使えない能力を磨いたって時間の無駄だ。ならせめてバグに対抗出来る身体能力を身に付けろ……まぁ、それだってあの加冶には遠く及ばんだろうが」
純恋は滅多に能力を使わなくなった。同じデザイナーベビーである美姫や人志を避けるようになった。来る日も来る日も鍛錬に明け暮れ、身体能力を鍛えた。元より遺伝子的に優秀な彼女はめきめきと己の力を伸ばしていく。
「身体を鍛えたところで女である以上、この辺りが頭打ちだろうな。はぁ……なんとも半端な子供だ」
報われない努力。身近にある優秀な子供たち。男の溜息は呪いのように彼女にコンプレックスを抱かせる。
二桁を超えたばかりの少女にとってはバディが世界の全てなのだ。デザイナーベビーは任務に出られるようになるまでは警視庁の地下にて育てられる。外の情報は専属の教育者によってのみ与えられ、バディや同年代のデザイナーベビーとの交流によって情緒を育むのだ。
故に本来ならば、AIによって選ばれた相性の良い人間が選任されるはずだった。その時点からして、歪んでいたのだ。
この頃には彼女の異変に気付いた要が男に苦言を呈するようになっていた。しかし、要は男と違いAIによって選ばれた存在だ。それも発火能力の立見司狼と重力操作の加冶人志のバディに選出される程の優秀な男である。
純恋にとっての美姫と人志のように、要の存在は男のコンプレックスそのものだった。彼が男と同世代だったことも一因だったのだろう。加えて彼よりも若い真緒と竜弥がそれぞれ人志と美姫のバディになったことも彼の自尊心をひどく傷つけた。
「お前のせいだ! お前が弱いせいで、俺はこんなところで燻る羽目になったんだ! この役立たず!!」
態度を改めなかった男は、やがて要によって純恋のバディから外すことを宣告された。当然そうなれば、マイクロチップによってデザイナーベビーやバグの存在は彼の脳内から消去されてしまう。特別なアクセサリーを外されることを恐れた男は何とか手柄を立てようと考えを巡らせた。
――そんな折、純恋は能力でバグの発生を予知した。予知ではその日から三日後のとある路地裏にて、人志と真緒が要の監督の元バグを消去していた。
そんなビジョンを伝えられた男は、渡りに船とばかりにその手柄を自分のものにしようと目論む。彼女の視たものを誰にも知らせず、見回りと称してその路地裏へと向かった。もちろん純恋を連れて、バグへ対抗するための武器も携えて。
これが純恋の初めての任務となる。
彼は弱く、意気地のない男だった。実力はそれなり。しかし実践経験には乏しく、一歩を踏み込む度胸が足りない。
運悪く宙を舞うタイプだったバグに翻弄され、純恋が囮となって攻撃を譲っても腰が引けているのか決定打を与えられない。
「クソッ! クソクソクソッ!! 何やってるんだ、さっさと攻撃しろ!!」
最初の指示を翻し、男は喚く。純恋は文句ひとつ言わずにその類まれな身体能力を生かしてバグに肉薄し、警棒を振りかぶった。
青い視界の中で、黒い霧が震えるように蠢く。違和感を抱いたその瞬間には、ぶわりと膨れ上がった黒が彼女を覆いつくした。
本当の意味での悪い大人。




