23 複雑、仏間
真緒と竜弥の端末に送られてきたのは位置情報だ。ここからそう遠くないビルを示している。
『多分そこに紬ちゃんがいる。僕も直ぐに向かうから、突入はせずに待機ね』
「了解……これもアンタの権限?」
ふふ、と返事の代わりに曖昧な笑いが端末から聞こえてくる。今、彼はどんな表情をしているのだろうか。真緒は片眉を上げて詮の無いことを考えていた。
真緒と竜弥は要や鷹彦とは違い、元々は捜査一課の所属だった。AIによってデザイナーベビーのバディに選出されたことでCS対策課及び鑑識課へと移動になったのだ。その際にマイクロチップに必要情報を解禁され、随分と混乱したのをよく覚えている。
要は真緒と同じく人志のバディではあるが、同時に彼らの上司でもあるのだ。CS対策課は基本的に要の采配によって動く。彼らが上と呼ぶ顔が見えないタイプの上司との接触を許されているのも要だけだ。
『ちょっと今回事情がややこしくてね。僕が行かなきゃだから、先走らないように……特に人志』
名指しで釘を刺され、人志は舌を打った。そうこうしている内に警察車両が何台か集まって来る。床に転がるテロリストを回収に来たらしい。真緒と竜弥が敬礼しつつ、数名の警官相手に引継ぎをしている。今回は二人が現場にいるので彼らが制圧したことになるのだろう。
「あ。オイ、美姫」
「なぁに?」
警官を相手にする竜弥の腕の中で手持無沙汰に足を揺らしていた美姫が人志を見下ろす。ひら、と突き出された手のひらに首を傾げていると、本、と短く目的を告げられた。
「あぁ、コレ? 面白いわよね、甘い匂いがするわ」
ふんふん、ともう一度遊び紙の匂いを嗅いで、美姫は少し名残惜しそうに人志に本を手渡した。人志はそのまま滅茶苦茶になった店内に戻って一つだけ生き残っていたレジにバーコードを読み込ませ、端末で決済する。
「何やってんの?」
話を終えた真緒が近づいてくるが、人志は素知らぬ顔で会計を済ませた本をベルトバッグにしまい込んだ。真緒は不思議そうにしていたが、それ以上言及はせずに乗ってきた車へと向かう。
美姫を助手席に乗せた竜弥が運転席に座り、端末をセットした。画面に斑模様のトカゲが浮かび上がる。
「マダラ、ポイントまでナビ頼む」
『了解!』
「ふふ、頑張って頂戴ね」
『おうよ!』
美姫からも声をかけられたトカゲは嬉しそうに尻尾を振った。全員がシートベルトをしたのを確認して、竜弥は車を走らせる。
「なぁ……」
窓の外を見ていた視線が声の方へと向けられる。高い位置で結われている髪がさらりと頬に零れた。灰色の視線は反対側の窓の外を眺めていた。
「こんなに腹立つのって変か?」
猫のような吊り目がゆっくりと見開かれる。真緒は返事を考えるふりをして、黙ったまま人志を観察していた。窓ガラスに反射した表情は少しぐちゃぐちゃとしている。
「……私もアンタが勝手にいなくなったらそれはもう腹立つけど?」
「あー……」
「あー。じゃないんだよ、改めな」
軽く蹴りを見舞ってやっても反応が悪い。ほんのりと気まずい空気が漂い始め、真緒は大きく溜息を吐いた。
「要は心配なんだろ、紬ちゃんのこと」
「……だってアイツ弱ぇし」
言葉が何となく言い訳染みてしまったと本人も気づいたのか、語尾が小さく消えた。真緒は手を伸ばすとしょぼくれた頭をぐしぐしと乱暴に撫でた。わざとらしく慈愛に満ちた声を出す。
「人志君のハジメテのお友達だものね。心配よね~」
わっしゃわっしゃと髪をかき回され、人志がむすりと唇を引き結んだ。仕上げのようにぽんぽんと二度叩き、真緒は表情を引き締める。
「ま、あの子は人気者みたいだからね。特に厄介な奴にはよくモテる」
そう言う真緒の視線の先に人志がいたのに気付いたのは竜弥だけだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
何だか背中が温かいな、と。紬はぽやぽやと霞のかかる頭でそんなことを考えていた。もぞりと身じろぎすると、腹回りに圧迫感が発生する。
思わずぱちりと開いた視界はまだぼんやりとしていた。何度か瞬きをするが、そもそも暗い。目が慣れるまでじっとしていると、背中で何かが動いた。
「……純恋ちゃん?」
うん、と幼い返事が聞こえる。振り返ろうとすると、腹に回っていた手に力がこもった。痛くはないが、身動きは取れない。
「ここ、どこ……?」
「……ボクの部屋」
部屋、と繰り返した紬は首が動く範囲でぐるっと辺りを見渡す。
純恋のような年頃の女の子の部屋にしては酷く殺風景だった。畳の敷かれた床に紬と純恋がくっついて横たわっている布団。小さな箪笥と仏壇が一つ。床の間には一輪挿しが飾られているが、それだけだ。部屋の四隅では行灯を模したライトがぼんやりとした光を広げている。
不意にぎしぎしと床板が軋む音が近づいてくる。ぎゅ、と紬を抱き込む腕にことさらに力が入る。
音は目の前の障子戸の前で止まり、衣擦れとともに障子に投影されるシルエットが床に平伏する。何事か呟いているようだが、よく聞こえない。かと思えば滑るように戸が開き、赤塗りの膳を掲げた巫女服の女性が部屋の中へと入ってきた。
「……何、誰?」
女性は問いが聞こえなかったかのように反応を見せず、真っ直ぐに仏壇へと向かった。膳を供えると、再び平伏して何事か呟いている。戸を隔てていないからか、今度のは聞き取れた。
「先読みの神さま、本日の供え物です。どうぞ、末永く我々にご加護をお授け下さい」
女性は流れるように立ち上がると部屋を出た。障子戸の前に正座して一礼し、戸を閉める。途端に背中の体温がもぞもぞと動き始めた。紬も合わせて起き上がる。
布団の上でじっとしていると、純恋は仏前に捧げられた膳を当然のようにずるずるとこちらに引っ張ってきた。少し冷めた白米と味噌汁に魚の煮つけが載っている。
「紬はもうお昼食べた?」
「あ……うん」
そ、と少し残念そうに呟いた純恋は静かに手を合わせた。そうしてもくもくと膳を食べ始める。
訳が分からず――いや、少しだけ想像がついている部分はあるのだが――紬は純恋が食事を取っているのをぼーっと眺めていた。
「純恋ちゃんは……その、」
黙っているのも耐え難く、紬は口を開く。ごくん、と魚を呑み込んだ純恋はこてりと首を傾げた。
「……どうして、そうなったの?」
ゆっくりと目を見開いた純恋は音を立てずに箸を置いた。じっと見つめてくる藍の瞳には、純恋だけが映っている。
――その瞳にだけ、純恋が映っている。
おじさんはエジソンではないけど偉い人。




