20 レトロ、強襲
改札を出た二人はそのまま紬が言っていたパン屋へと向かった。古い外観の店が立ち並ぶ並木道はそれなりに賑わっている。パン屋も街並みに馴染むクラシックな赤いレンガ屋根だ。大きなショーウインドーから焼き立てのパンが覗いている。
いい匂い、と呟いた紬はそのまま人志と入店した。
「この辺ってこういう店多いのか?」
「そうだよ。古い街並みをそのままにして観光スポットみたいにしてるんだ」
お店の中は今風のとこも多いけどね、と。紬の言う通り、店内に店員は一人だけでレジは無人だ。何人か並んでいる客が次々決済をすませて二人の横をすり抜けていった。
トングで威嚇しつつ仕留めたパンをトレイに並べて列に並ぶ。それぞれ会計を済ませると、まだ暖かい袋を抱えて店を出た。近くの公園のベンチに並んで腰かけて陽気の中、昼食にする。
「源さんの本屋さんはね、旧式のレジが置いてあるんだよ。こないだ触らせてもらったけど、面白かったな」
「コインのやつ? うわ、カスタードうまっ」
尋ねながらかぶりついたクリームパンがいたくお気に召したらしい。人志はもぐもぐとないはずの頬袋を膨らませていた。
初めて会ってから数日と経っていないはずなのに随分と幼くなったなぁ、と。紬はにこにことその様子を眺めていた。ちなみにではあるが、人志の方が一つ年上である。
「そそ、コインと紙のやつ。引き出しのとこがこういう鍵で開くんだよ」
「鍵!」
ほとんどのものが電子かつオートロックになっているこのご時世では金属製の鍵もそれなりに珍しいものだ。紬が拾った枝で地面に絵を描いて見せると大仰に驚いていた。
「そこの店主の趣味なのか?」
「うん。お会計は普通に電子決済だから、ただの飾りなんだってさ」
へぇ、と相槌を打った人志はパンの包み紙をくしゃくしゃと丸める。公園を巡回していたごみ集めのロボットが背負うカゴに狙いを定めて投げ入れた。ナイッシュ、と紬が小さく拍手をする。
続いて食べ終えた紬も近寄ってきたロボットにごみを渡して公園を出た。そこからしばらく歩けば、今日の一番の目的地に到着である。
店先に平積みされた本の山。迷路のように立ち並ぶ本棚。店の奥ではロッキングチェアに腰かけた初老の男が手のひらほどの文庫本をまくっていた。
店内にはぽつりぽつりと人影があるだけで、閑散としている。他の店のように音楽が流れているでもなく、客同士がおしゃべりしていることもなく、ただただ静かだった。
少し立て付けの悪い引き戸をくぐって静寂に足を踏み入れた人志は思わず通りの方を振り返った。なんだか空間の匂いすら違う気がしたのだ。
戸口で立ち止まったのを不思議そうに見上げる紬に聞きたいことが幾つかあったのだが、この空間で声を出すのはなんとなくためらわれる。結局口をつぐんだまま、本棚を見回した。
「あ」
並ぶ背表紙の中に見覚えのある題名を見つけ、思わず手に取った。暇つぶしにと少し前に電子書籍で購入したそれはなかなかに面白かった記憶がある。
記憶をたどりながらぱらぱらとめくっていると、途中で紐が挟んであるのに気づいた。ごみかと思ってつまみ上げれば、背表紙に繋がっている。
「それ、栞用の紐だから千切っちゃ駄目だよ」
気になって引っ張っているのに気づいたのだろう。紬が声を潜めてその紐の用途を教えてくれた。背表紙の高さより少しだけ長い紐は本を閉じても下からはみ出している。これを引っ張れば読んでいたページが開けるのだそうだ。一冊につき一か所だけのようだが。
面白いギミックだと感心していると、紬はくすくすと笑った。向こう側の本棚を指差してあっち行ってるね、と人志を置いていこうとする。
が、人志は読んでいた本を閉じると元の場所に戻し、紬の後を追った。護衛の役目を放棄する気はないらしい。紬としては人志にも気に入りの本を探して欲しかったのだが。狭い店内で迷うことも見失うこともないだろうに。
そんなことを思いながらも人志を引き連れて本棚の間を縫って歩く。この間買ったライトノベルの続巻を探して視線を巡らせた。食べると能力が強化されるスイーツを作れるパティシエの冒険譚だ。この本はもちろん電子書籍でも読めるのだが、昔に出版された紙の本だと擦るとスイーツの匂いがする遊び紙が差し込まれているのである。ちなみに一巻の遊び紙はチョコレートの匂いだった。
「あ、あった」
うさ耳の生えたかわいいコック帽を被った女の子の背表紙を見つけ、手を伸ばす。瞬間、同じように伸びてきた手が紬の手に重なった。
「わ、すいません」
紬が思わず手を引っ込めて謝ると、手の持ち主はぶんぶんと首を振っていた。その拍子に被っていたフードが脱げてショートの黒髪が露わになる。紬や人志よりは少し幼く見える女の子だ。
紬は先ほどの小説を指差して尋ねる。
「えっと、あれ買うつもりでした?」
「あ……」
何かを言いかけた彼女はショートパンツの裾を握り締めて深くうつむいた。肩が震えているのに気づき、紬はそっと顔を覗き込んだ。途端にぎょっと目を見開く。
――彼女は、泣いていたのだ。
菫色の瞳からぽろぽろと涙を零して、声も出さずに泣いていた。あんまりにも心当たりがなく、紬はおろおろと視線を彷徨わせる。
しゃくりあげながら座り込んでしまった少女に合わせるように紬もその場にしゃがむ。その肩がとんとんと叩かれた。
「気分でも悪ぃのか?」
「あ、ううん。えっと……」
説明も出来ずに口ごもる。何が起きたのかと首を傾げる人志が不意に瞳を尖らせた。
「おい!」
「え何……うわッ!」
焦ったように叫んだ人志の声を背中で聞いていた。伸ばされていた手が、紬の襟首をかすめる。目の前の少女に手を引かれ、彼女に向かってつんのめった。
その背後で、バサバサと何かが散らばる音にガンッ! と鈍い音が重なった。
紬と同じくらいの体格に彼女の体重は支えきれなかったらしく、少女ともども床に倒れた。背後で舞う砂ぼこりに二人してむせ込む。
「何……? あ、ごめんなさい。大丈夫でした、か――」
謝りながら身体を起こし、振り返った先で言葉が途切れた。四つん這いになった足の爪先、数センチの距離に本棚が倒れていたのだ。その本棚の向こうで人志が腕で口を覆って目を細めているのが見える。
……彼女が引っ張ってくれていなければ、下敷きになっていただろう。ぞっとする間もなく、人志が動く。
「紬! そこ動くなよ!」
言いながら人志は手首の端末の電源ボタンを五回連続で押し込む。一瞬画面にハザードが点灯し、緊急連絡先である要と通話が繋がった。
『何事!?』
「誰かわかんねぇけど、攻撃してきた! 多分人類解放か回帰同盟!」
人志が睨み据える先、店の入り口にはフルフェイスのヘルメットをかぶった人影が数名立ち並んでいる。手に手に長物や銃器を持っている様子は穏やかではない。
全員適当に気絶させるかと人志はポケットに手を突っ込んだ。が、それよりも早く、耳元を鋭い風が通りすぎる。
人志はその軌道を思わず目で追った。発砲したのであろう男は煙を上げる銃身で人志を指している。
「動くんじゃない化け物が!」
そう怒鳴られ、人志は視線だけ紬に向ける。未だ立ち上がれず四つん這いに近い恰好で固まっている彼女は、動いていなければ本棚の影になって奴らの視界に入ってもいないはずだ――そもそも彼女は、化け物とは呼ばれない。
端末の向こうでは、要も沈黙している。
「へーぇ?」
見えている。知っている。彼らは人志の存在を、恐れている。唇の端を吊り上げた人志は幽鬼の気持ちはこんなものだったのか、とそんなことを考えていた。
なんてことはない、臆病な人間にそう呼ばれたところで心は動かなかった。
同じ本を探していて手と手が触れ合うって現実にあるんですかね?
私は目当ての本の前に人がいたらいなくなるまで待つかな。




