17 調理、食卓
いつものスーパーでつつがなく買い出しを終え、帰ってきた紬は早速調理を始めようとしていた。キッチンの定位置にかけてある二枚のエプロンの赤い方を身に着け、てきぱきと粉を計り材料を準備している。
人志はというとダイニングの椅子に腰かけ、そんな彼女の様子をじっと眺めていた。
粉類にぬるま湯で溶いたドライイーストを加えて混ぜる。滑らかになったところでごま油を加えてひとまとめになるまでこねる。
生地がまとまったらごま油を薄く塗ったボウルの中で三十分ほど発酵させるのだ。
紬はその間にと中に挟む具の調理をしていく。塩豚は冷凍していたものがあるので、必要なのは味噌だれとつくねだ。
カシャカシャとボウルと泡だて器が擦れる音。ぱちぱちと油が弾けるフライパン。小気味いい音を立てて細く刻まれていくキャベツ。
人志は頬杖をついて見守っていたが、近くで見たくなったのかおもむろに席を立った。調理の音に混じって鼻歌も聞こえてくる。ひょっこりとキッチンを覗き込むと、ガラスのボウルの中で膨らんでいる生地が見えた。
「おぉ……こんななるんだな」
「ふふ、面白いよね」
キャベツをザルにあけて手を洗っていた紬が時計を確認して生地をつつく。十分に発酵していたので生地のガス抜きをして折りたたむようにこねる。そうして再びボウルの中で休ませるのだ。
そうこうしているうちに焼きあがったつくねがフライパンから引き上げられる。まだ熱いままのフライパンに砂糖と醤油・みりんが注がれ、じゅうじゅうと派手な音を立てた。甘く、少し焦げた醤油の匂いが立ち上る。皿に上げていたつくねを戻し、たれを絡めるようにフライパンをゆする。
くう、と。フライパンが上げる音に紛れるように小さい音が聞こえた。咄嗟に音の方向を見れば、平然としている人志がいる。しかし、よくよく見ると少し耳が赤い。
紬はこっそり笑うとつくねを再び皿に引き上げ、その内の一つを小皿に移して幾つかに割った。
「はい。味見してくれる?」
「ん」
腹の音は無かったことにするらしい。人志は差し出されたそれを素直につまんだ。はふはふと湯気を逃がしながら咀嚼する。しょりしょりとした歯ごたえに人志は首を捻った。
「何? 軟骨?」
「ううん、レンコン。食感楽しいよね」
自分も一つつまみながら紬がそう答える。へぇ、と呟いた人志はもう一つ口に放り込んだ。甘じょっぱいたれをまとったつくねはふんわりと柔らかく、紬が言ったレンコンだけがしっかりと歯ごたえがある。
人志がもくもくと残りを平らげているうちに、紬は休ませていた生地を麺棒で広げていた。薄くなった生地にごま油を塗ってくるくると巻いていく。端をくっつけたら幾つかに切って真ん中を菜箸でぎゅっと押さえた。
既視感のある見た目になったそれをクッキングシートに並べ、霧吹きで水をかけてレンジへと入れる。
レンジについている窓を覗くと、むくむくと生地が膨らんでいくのが見えた。あっという間にぷくりと膨らんだ生地がより見覚えのある形になったところで、玄関から物音が聞こえてくる。
ぴく、と人志の指先が動いた。レンジから目を離してリビングの入口を鋭く睨む。
「ただいま~……わ、いい匂い」
視線の先で人志の警戒など何一つ知らない雄利が顔を覗かせた。漂う醤油の匂いに空腹を刺激されたのか、脇腹をさすっている。
「雄利おじさん、おかえりなさい」
「ただいまー。もう出来る? お皿とか出しとくねー」
人志の隣をすり抜け、棚から持ち出される食器は当然のように二人分だけだ。大皿に盛られた塩豚やつくね、キャベツがダイニングのテーブルへと並べられていく。
紬はメインとなる花巻を盛りつけた皿と一緒にもう一人分の食器をテーブルへと運んだ。隣からさんきゅ、と小さい声が聞こえてくるのにこくりと頷く。
「やー、花巻久々だね。でも何で急に?」
「スケッチ見返してたら食べたくなっちゃって」
あぁ、と小さな声が上がる。紬には割とよくあることらしい。雄利が納得した所でいただきます、と二人の声が重なった。
人志も二人に続いていただきますと口にして花巻に手を伸ばす。もふ、と小説にもあったように柔らかい食感。表面にはもちっとした弾力がある。ほのかに甘い生地に濃い目の味噌だれと塩豚がよく合っていた。
「上手く出来たと思うけどどうかな?」
「ん、」
「おいしいよー。塩豚も良いけどつくねもふわふわでいいね」
人志が口の中のものを飲み込んでいるうちに、マイクロチップによって問いかけの相手が改変されたらしい。にこにこと笑う雄利に、人志ははくりと口を閉じた。
が、正しい世界を認識している紬はそわそわと人志の方を窺っている。
「……うまい、よ」
ワンテンポ遅れた返事に紬もぱっと笑みを浮かべる。笑顔の二人はよく似ていた。顔の造形はそうでもないが、表情や仕草が同じなのだ。
血の繋がりはさほど近くないと聞いていたが、一緒に住んでいればこんなものなのだろうか。二人の会話はよく弾んでいる。
明るい食卓に眩しさを感じながら、人志はデザートに差し掛かろうとライチのジャムを開けた。対面では雄利が今日の仕事の話をしながら花巻にマーガリンとブルーベリーのジャムを塗っている。
「それがほんとに意味不明のバグでね。人手増やしてもらって定時にはなんとか間に合ったんだよ……まぁ、そもそも今日は僕休日出勤だったんだけど」
「これアレか? 昨日の奴」
「あー、うん。なんか会計システム? に影響出てたらしくて」
知覚の外の会話を耳にすることすらなく、微妙な表情でジャムを塗った花巻を口に運んだ雄利の眉間がほころぶ。紬が甘いものが好きだと言っていたが、本当らしい。成人男性にしては幼い表情でもくもくと食べていた。
「んー、やっぱり甘いのも合うね。食パンとはまた違う感じ」
「ね、最初からジャム仕込んでもいいかも……人志君、マーガリンいる?」
「いる」
小説だとバターだったっけ、とそんなことを思いながら差し出されたマーガリンとジャムを塗り、かぶりついた。
思ったより甘ったるくはなく、ライチ独特のさわやかな甘さが舌に広がる。マーガリンの塩気とほのかに甘い生地がよく合っていた。
「おいしい?」
「……甘い」
あぁ、あの台詞は照れ隠しだったのだろうか。人志はユウキと同じような返事をしてしまったことに気づいた。
胸の中に広がる暖かい何かを掴みたくて、残りの花巻をゆっくりと味わう。
思えば、目の前で材料が料理へと変貌していくのを観察したのは初めてのことだった。人志が食べるものの為にキッチンをちょろちょろと動き回る姿を見るのも。
じんわりと染み込んでくる暖かさはどこか気恥ずかしいが、悪い気分ではなかった。
ジャムはベリー系が好き。




