16 友達、ジャム
イズモが見つけた輸入用品店はいつも紬が通っているスーパーより少し遠い。先にそちらに寄ることにした二人はのんびりと歩いていた。人志もしっかりと地に足を付けて歩いている。
「あ! 紬ちゃーん!」
不意に元気いっぱい名を呼ばれ、紬は振り返る。少し離れた場所でぶんぶんと手を振っていたのは指定ジャージ姿の女子高生だ。部活帰りなのか、大きな鞄を下げている。
「誰?」
「中学からの友達の瑠璃ちゃんだよ」
ふーん、と興味なさそうにしている人志とは対称的に、女子高生――秋野瑠璃は嬉しそうに駆けてくる。
「部活帰り? お疲れ様」
「うん、もうすっごい疲れた~!」
走ってきた勢いのままに紬に抱き着いてくる瑠璃。わ、わ、とたたらを踏む紬に、人志は思わず背中に手を回して支えた。いつものことなのか、紬は胸に顔を埋めている瑠璃の頭を撫でている。
「大会前だもんね、調子どう?」
「頑張ってるぅ~……」
お疲れなのか、甘えるようにぐりぐりと額を押し付けてくる瑠璃に紬はくすくすと笑う。ふと感じた視線に顔を上げると、人志が何とも言えない表情で二人を見つめていた。
こてん、と首を傾げていると、満足したのか瑠璃が顔を上げる。
「紬ちゃんは買い物?」
「うん、晩御飯の買い出しだよ。花巻食べたくなっちゃって」
持っていたエコバッグを掲げて見せるとおぉ、と瑠璃が声を上げた。
「あの蒸しパンみたいなやつ?」
おいしいやつだ、と続ける瑠璃に紬が頷く。人志は静かに目を見開いていた。
「食わせたことあんの?」
「ん? うん、作ってみたって話したら食べてみたいって言うから」
おやつに持ってったんだよ、と紬が言うと、ふーん、と少し不機嫌そうな声が返る。そんな会話の存在すら知らない瑠璃はぱっと紬から離れると、顔の前で両手を合わせた。
「余ったらまた持ってきて! ジュースおごるから!」
お願い、と上目遣いを向けられ、人志は少し顔をしかめて見せる。紬はふふ、と小さく笑っていいよ、と少し低い位置にある頭を撫でていた。
わーい! と大げさなほどに幼い仕草で喜んだ瑠璃と別れ、当初の目的地であった輸入用品店へと向かう。家を出発した時とは打って変わって無言の人志に紬が何となく気まずさを感じ始めた頃。行儀悪くポケットに手を突っ込んで歩いていた人志が不意にふわりと浮かび上がった。
「あ、ちょっと!」
思わず声を上げて手を伸ばす。が、逆にその腕を取られ、紬の足も地面から離れた。下から顔を見上げるも、むすっと引き結ばれた口元しか見えない。
「どうしたの?」
「…………こっちのが早いだろ」
ふいっと顔を背けてしまった人志に、紬も口を閉じて地面を見下ろした。二階建ての屋根の上ほどの高さでも地面に比べれば風は強い。取られた腕と反対の手で髪を押さえていると、ふと人志の青く染められた髪が彼の口元に付いているのに気付いた。
紬はなんとなく手を伸ばして口に入りかけていた髪を払う。途端にぎょっとした表情が向けられ、紬の方も驚いてしまった。
「え、なん、何……?」
「え、ぁ、髪、食べちゃいそうだったから……?」
似たように口ごもった二人の視線が泳ぐ。先ほどとは毛色の違う気まずい沈黙とともに空を漂った。
しばらくは両者とも無言だったが、ナビをしていたイズモが軽快な電子音で空気を割る。
『目的地近いぞ、もう見えてる』
あっち、と尻尾で指す先には画像でも表示されている店が開かれている。人志は近くの歩道に降りると、イズモに短く礼を言って端末をスリープにした。
「イズモ君結構しっかりおしゃべり出来るんだね」
「あー……なんかいつの間にかしゃべるようになってたんだよな」
たまにうるさい、と人志は顔をしかめる。
ガイドは動物の姿を持つものが多く、その影響か最初から言葉を発するものは少ない。長年使っていくうちに持ち主の言葉を覚えてゆっくりと成長していくのだ。
話しかける頻度にもよるが、ガイドを支給された子供が成人するころには、おおよそよどみなくしゃべるようになる。紬のミケはまだ鳴き声を上げることの方が多く、話したとしてもかなり拙いのだ。
「私も結構話しかけてる方だと思うんだけどな……コツみたいなのってあるの?」
「あー……? あんの?」
スリープしたばかりの端末を立ち上げ、イズモに尋ねる人志。眠っていたらしい黒蛇はしぱしぱと瞬きをしてとぐろを解いた。シュルシュルと舌を出し入れしながら、鎌首をもたげる。
『人志はニンゲンよりオレと話してることのが多かったぞ』
あー、と人志はどこか納得したような声を上げる。存在を秘匿された彼とお話出来る人間は少ない。なんとも単純な話だった。
「……そう、なんだ」
ごめんね、というのもなんだか違う気がした。
言葉を迷った紬はそれだけひねり出したが、当の本人は特に気にした様子もない。画面の中でぴろぴろと尻尾を振るイズモを指先で撫で、再び端末をスリープにする。
「ライチのジャムあるかな? 最悪ライチ買ってジャムにしちゃおう」
「ジャムってそんな簡単に出来んの?」
「割と簡単だよー。ちょっと時間はかかるけど」
そんな会話をしつつ、所せましと並べられた陳列棚の間を歩いていく。流石に店内で浮くつもりはないらしく、人志は大人しく紬の後ろについてきていた。
「あ、あった」
そんな言葉とともに紬は棚の少し上の方へと手を伸ばす。人志が覗き込んだ手元には、青いリボンのかけられた瓶が握られていた。
とろりとした茶色っぽい中身に人志が目を瞬く。
「え、なんか色おかしくね?」
「あぁ、うん。ライチって果肉は白いもんね」
紬の方はそう言いつつもさほど驚いてはいないようで、そのままレジへと向かっている。砂糖と一緒に煮るとこういう色になるのだそうだ。
「前は通販で買ったけど、味は結構そのままだったかな」
無人レジに備え付けられたカゴに瓶を入れると、モニターに金額が表示される。紬が決済端末に触れるより先に、ちゃりん、と。今となってはほとんど見ないコインの落ちる音が鳴った。
驚いてそちらを見れば、人志が決済端末に自分の手首の端末を当てている。
「……それ、雄利おじさんに出しても大丈夫なのかな?」
「あー……どういう処理になるんだろうな?」
カゴから取り出した瓶を片手でお手玉しながら人志も首を傾げる。う~ん、と考え込む紬を彼は黙ってみていた。
「別に同じの買うのもなんかもったいないし……いつものスーパーでいつものジャム買おうか」
「そ」
不自然に長い間宙を舞っていた瓶はぱしん、と音を立てて人志の手のひらに収まる。茶色い果肉の詰まった瓶を眺める口角は、ゆるりと上がっていた。
紬のお友達は甘え上手なワンコ系が多い。




