15 スケッチ、花巻
随分と長い一日だったな、と。紬は机に向かいながらそんなことを考えていた。今は十五時ごろなので正確にはまだ半日ほどではあるが。
普段小説を書いている罫線のノートではなく真っ白のノートが目の前に広げられ、握った鉛筆がくるくると指先で回っている。
要から宿題をもらった後、紬は真緒の運転する車で人志とともに家まで送ってもらうこととなった。途中で人志の『間違い探しがしたくなった』との提案でファミリーレストランに寄り道し、遅めの昼食を取った。
ちなみにであるが間違い探しは人志が数秒ほどで解いてしまった。つまんね、とドリンクバーで遊ぼうとしたのを真緒が鉄拳制裁で止めている。一連の流れは全て人々の知覚の外の出来事だ。
「早速書いてんの?」
「あ、うん。結構数多いから」
雄利が不在で一人のはずの家で会話が成り立っている。それを不思議にも思わず、紬は真っ白なノートに鉛筆でいくつも線を引いていく。
それを興味深そうに見つめているのは、人志だ。
「お前絵も描けんだ?」
「スケッチは割と得意かな。小説の資料にしたりとかもするし……」
この辺とか、と指差された本棚には何冊かの薄いノートが並べられている。人志はその中から適当に一冊を選んで引き抜いた。これまた適当なページを開くと、そこには何種類かの花のスケッチが描かれている。どうやらこれは植物用のスケッチノートらしい。
「この花何?」
「どれ?」
不意に人志が投げた問いに、紬は描きかけの虫に集中していた意識をそちらへと飛ばした。これ、と人志が指さしたのは、藤の花弁を百合に置き換えたような花だ。
人志の手元を覗き込んだ紬はあぁ、と小さく声を上げた。
「それは想像で描いた奴だよ。もしかしたらそういう花もどこかにはあるかもしれないけど……」
「へぇ……」
興味をそそられたのか、生返事をしたきり人志はベッドに腰かけてスケッチノートをぱらぱらとめくり始める。その横顔がどこか幼く見えて、紬は一人笑みを零した。
軽やかに鉛筆が線を引く音が静かに漂う中、時折人志がこれはなんだ、どういうものだ、と質問をしてくる。
当たり前だが、紬が産み出したものの詳細は紬にしかわからない。現代の植物図鑑をほぼ丸暗記している優秀な人志でも決してわからないものなのだ。
「頭の中でこんないろいろ創れるもんなんだな……あ、これ俺が食ってたやつ?」
「……よくわかったね?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
もふ、とかじりついた渦巻きの生地は程よい弾力を顎に返してくる。表面はもちもちとしているが、中は蒸しパンらしくふわふわと柔らかい。間に挟まれた塩豚と濃い目の味噌がシンプルな生地によく合っていた。
これは歩きながら食べるのがお作法とのことだが、ヤナギは随分苦戦していた。
「ユウキ食べるの早くない?」
「そうか?」
片手から少しはみ出るくらいの大きさの蒸し饅頭はあっという間に腹に収まってしまった。ヤナギの方はまだ一口二口かじった後があるだけだ。
「まぁ、よこしてくるやつの気が変わらねぇうちに食うようにしてたからな」
包み紙をくしゃくしゃと丸めて手を拭く。道端にある専用のくずかごに狙いを定めていると、ふわりと鼻先に甘い湯気が立ち昇った。
「半分、食べる?」
別に腹が減っているわけでもなかったのだ。が、差し出されたそれがひどく甘美なものに見えて、思わず受け取っていた。
へにょりと笑う横顔を後目にかぶりつくと、甘酸っぱいライチのジャムとバターの塩気が舌に広がる。
「おいしい?」
「……甘ぇ」
何が楽しいのかくすくすと笑うヤナギの饅頭は、食べてもいないのに減っている。割ったときに指に付いたらしいジャムをちまちまと舐めているうちにもらった分は平らげてしまった。
ひどく、暖かい気分だった。
「お前は食うの遅いな」
「ゆっくり食べたほうがお腹いっぱいになった気しない?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
人志が指差していたのは、花巻だ。渦巻きの形をした蒸しパンのようなものである。生地自体の味はシンプルなので、間に挟むもので主食にもおやつにもなる。
「変な形だよな……どうやって作るんだ?」
「割と簡単だったよ。こう、くるくるっと巻いて真ん中をぎゅって押さえるとこういう形になるの」
身振り手振りで表現していると、人志がきょとんと瞳を丸めている。
「作ったことあんの?」
「そんな本格的なのじゃないけどね……う~ん」
ミケ、とAIを呼び出す。とことこと画面奥から歩いてきた白狐はお呼びですかとばかりにぶんぶん尻尾を振り、鳴き声を上げた。
「雄利おじさんにメッセージお願い『今日の晩御飯花巻にしてもいい?』って」
きゃう! と元気よく鳴いた口元に浮かび上がった封筒のアイコンを咥え、ミケは画面奥へと駆けていった。
ドライイーストあったかな、と立ち上がる紬を人志がじっと見つめていた。視線に気づいた紬がくすりと笑う。
「話してたら食べたくなってきちゃった」
キッチンを確かめに紬が階段を下りていくのを何となく浮いたまま追う人志。戸棚や冷蔵庫を確認している彼女の後ろでそわそわとしていると、画面から再び鳴き声が響いた。
「ミケ、メッセージ再生して」
『いいよ! 必要なものあったら買い出しお願いね』
楽しみにしているのだろう、再生される声は弾んでいた。ふふ、とこちらも小さく笑うと、メモ帳のアプリを立ち上げる。
「ドライイーストと……ごま油もちょっと足りないかな。具はどうしよう……人志君は何食べたい?」
急に話を振られて驚いたのか、人志はフレーメン反応を起こした猫のような顔をしていた。紬がこてん、と首を傾げる。
「甘いのとしょっぱいの、どっちがいい?」
「……小説に出てきた、豚のやつ」
「じゃあキャベツも買わないとね……つくねもいいな。こっちはタレにしようかな」
大枠献立が決まったのか、紬は足りない材料を買い物メモに入力していく。
「雄利おじさん甘いのも好きだからジャムも買わないとかな……」
「ライチのやつ?」
うーん、と紬が困ったように眉を寄せる。近くのスーパーにライチのジャムはないらしい。
「輸入用品店とかならありそうじゃね? イズモ、近くにあるか?」
諦めるつもりは特にないらしく、人志は手首の端末に呼びかける。ずるずると何かを引きずるような湿った音が画面奥から近づいてくる。
「……蛇?」
「そ、オレのガイドのイズモだ」
艶やかな黒い鱗を纏った蛇が、画面に地図を広げる。てしてしと尻尾で叩いた位置に赤いピンが立てられた。一仕事終えましたよ、とばかりにとぐろを巻くと、シュルシュルと舌を出し入れしている。
「割と近いし寄ってこうぜ」
「ふふ、うん」
楽しそうな人志に、紬からも小さく笑みがこぼれた。
つくねは蓮根入ってるやつが好き。




