13 円卓、発見
本部に戻った要は五人と別れ、更に地下深くの廊下を進んでいた。絶えず赤い光が交差する中をゆっくりと歩いていく。
時折その光線は要の身体を横切っていくが、特に何も起こらない。……ただし、それは彼が御部要その人であるからである。
要以外の誰かがこのレーザーに触れた瞬間、まずは廊下にあふれるほどの警報音が響き渡る。そうしてその侵入者はしかるべき処理を施されるのだ。
突き当たりの扉にたどり着いた要は傍らのタッチパネルに触れて指紋認証を解除する。次に左目をその画面に映し、網膜認証。
最後に指紋を登録された要の指でもってパスコードをいくつも入力してやっと扉が開くのだ。
そうして厳重に守られていた扉の中は真っ暗で、なんともがらんどうだった。しかし、入室した要の背後で扉が閉じた瞬間、部屋の中に薄明かりが灯る。
空っぽだったはずの部屋の中央には、円卓が出現していた。通常と異なり半円のそれには七つの椅子が添えられ、それぞれ人影が腰を下ろしている。
薄く透けた身体に、存在しない影。彼らはホログラムだった。
『報告を』
扉近くに立ったままの要から最も遠い位置。上座に位置するホログラムから声が再生される。
「バグは豊利紬に通常と異なる反応を見せました。加えてその場にデザイナーベビーを観測する非登録者の存在を確認しています」
『だがその者には逃げられたのだろう?』
淡々と述べていく要を別の声が遮る。が、要は眉一つ動かさず、声によどみ一つ作らない。
「マーキングをしたので追いませんでした。現在解析中なので今直ぐに結果をご報告することは出来ませんが。今のところ候補に挙がっているのは回帰同盟と人類解放の会ですね」
『両者ともにサイバースペースからの脱却を掲げる思想団体か……』
えぇ、と短く相槌を打った要に、彼を咎めようとしていた声は押し黙る。そちらにちらりと視線をよこし、これ以上の反論がないことを確認して報告を続ける。
「ご存じのことでしょうが、特に人類解放の会はここ最近サイバースペースで問題が起きている、との声明を何度も出しています……まぁ、ああいった輩は何でもこじつけて煽るのがお仕事でしょうが」
『あぁ、そう言えば興味深いのがあったね』
ホログラムがとん、と机を叩くような仕草を見せた。空中に映像が投影され、文字が流れ始める。
“我々は我々の脳を護らなければならない。都合の悪い事実を隠すため、政府は我々の脳に怪電波を流しているのだ!!”
少し前にネットに放流された戯言はそれなりに的を射ていた。バグによって昏倒した者が立て続けに出た時期のことだ。
『自作自演の可能性があると?』
「現段階では何とも言えません。ただ、先の非登録者の行き先によっては、可能性としてあり得るかと」
『ふむ。では彼か彼女かの帰る場所に期待しようか……豊利紬の件についてはどうかな?』
上座のホログラムの問いに、他の者たちが騒めく。彼女の目は、現在最も重視されている議題だ。
要は静かに深く息を吸って、吐く。
「素性については橘美姫が読み取れなかったため、記憶領域開示の手続きを取っています。接した私の所感では、いたって平凡な高校生と言ったところですね。ただ……」
要はもったいぶるように言葉を切り、視線を別のところへと逃がした。せっかちなホログラムの一つがいらいらと口を開く。
『あれは現場で役に立つのか? 目だけが特別ならば別の者に移植してはどうだ』
「しかし、彼女自身とバグの発生には関連がある可能性が高いのですよ」
何? と声を揺らしたホログラムに要は薄く笑った。まんまと質問を引き出した彼は紬の記憶喪失の件に触れる。
「彼女は九年前の夏に大量殺人事件の現場に居合わせ、その時期の記憶を第三者に改竄されています。バグの発生が観測されたのも九年前の夏から――彼女の目のことを考えるに、これらが偶然だとは思えません。私は彼女の記憶の空白にこそ、バグに繋がる手がかりがあると考えています」
しん、と円卓に沈黙が下りる。そんな中、要は少しだけ声の明度を上げた。
「加冶人志も豊利紬のことをそれなりに気に入っているようです。彼女関連なら多少の融通がきくでしょう」
『ほう?』
予想外の報告だったのか、上座の人物が声を上げる。ホログラムが身を乗り出すような仕草を見せた。他の者は大枠苦い表情を浮かべている。
彼は優秀で能力も高いが故に自由が過ぎるのだ。コントロールできない強者は権力者にとっては厄介極まりない。
「同年代の異性と接するのは彼女が初めてですし、身近な女性である祢岸真緒や橘美姫とは全く違うタイプですからね。自身がモデルとなった小説のことも気に入っているようです」
『なるほど。彼のいい情操教育になることを願うとしようか』
少しばかり楽しそうな声に、要も笑みを漏らしそうになる。が、唇を結んで静かに下される沙汰を待った。
『……では当初の予定通り彼女にはバグの観測を頼もうか』
断定の形を取った提案に、反論は出ない。ホログラムはぐるりと周囲を見回すような仕草を見せ、大きく頷いた。
『今回の会議はこれにて終了としましょう。御部要は今後ともバグ及び豊利紬の周辺の調査を進めるように』
「承知致しました」
胸に手を当て、静かに腰を折る。下げた頭の先で、ホログラムは空気の抜けるような音とともに消えていった。
要が顔を上げると、上座のホログラムだけが変わらずそこで輪郭を揺らしている。
『お疲れ様、要。これからも頑張ってね』
微笑む口元が先ほどよりも柔らかい口調で労いをかける。かと思えば返事も待たずに他のホログラムと同じように掻き消えた。
はぁい、とこちらものんびりとした返事が虚空に落ちた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「あぁ……っ、あぁ! やっと、やっと見つけた……っ!」
轟いた歓喜に驚いた鳥たちが羽音を鳴らして飛び去っていく。そんなことを気にも留めずにひどく楽しそうだった表情に不意に影が差す。
「あぁ、でも……約束忘れちゃったんだっけ」
白い指先が血色の薄い唇に当てられた。考えを巡らせるようにとんとんと叩かれた唇から悩ましい呻きが漏れる。
「どうしたら思い出してくれるんだろう……思い出してさえくれれば、きっと守ってくれるのに」
ピンと立てられた小指が緩く曲げられる。幼子がする指切りげんまんの片割れを揺らす。
「あの子はとっても良い子だったものね」
優しい子。愛しい無知な幼子――うつくしい、僕の世界そのもの。歌うように紡がれる言葉には愛が溢れていた。
「顔を見れば思い出してくれるかな? 彼女は僕の特別だもの……やっぱり迎えを増やそうか」
ジジ、とノイズが鼓膜を引っ掻く。真っ暗な部屋の中。何もなかったはずの闇が、形を与えられたようにうねる。
「飛べるのを増やそうかな。邪魔も増えちゃったもんね……もっと強いのもいるかな」
虚のような真っ黒な目が細く尖った。脳裏に過ぎるのは、バグに止めを刺した黒髪の青年だ、飛び道具を使う男と炎を操る男もいたが、彼女に一番近かったのはあの青年だ。
「……むかつくなぁ」
温度を上げた息を吐いて、肺腑を煮えたぎらせる熱を逃がす。これが、嫉妬と言うものなのだろう。まったく、あの子は色んなことを己に教えてくれる。
――あの子だけが、己の世界に色をくれる。
はぁ、と今度は恍惚と湿度を帯びた息が漏れた。
「あぁ、いや……アイツも僕と同じなのかな? あの子のことだもんね、アイツにも世界を創ってやったのかな」
暗闇の中、ぼんやりと白く浮かび上がったのは、一冊の薄汚れたノートだ。幼く拙い文字が踊る表紙を愛おしげに指先で撫で、彼は微笑む。
「そろそろ新しい世界が見たいなぁ」
会いたいよ、紬。
願いを命令と受け取ったプログラムが、産声を上げる。
子供に子供の世話を任せるのはいくない。




