102 一般的、ティースタンド
「御姫様の能力と、彼女の精神状態は密接な関係があります」
そうだね、と静かに相槌が打たれる。データ上でもそれは明白な事実だ。要は浮かんでいた画面の一つを引き寄せてその一部を指先でくるくるとなぞり、赤線で囲った。
「だからこそ、現在の安定した状態の彼女に仕事を任せたいと言う意見が大きくなってきている」
別の画面が竜弥の手元へと飛ばされてくる。美姫に確認してもらいたいと言われている事件のリストの一部だ。これまで通り、殺人を含む凶悪事件が多い。
「……御姫様の、精神が再び不安定になる可能性を考えています」
「彼女への接し方を変える予定があるってことかな?」
要が片眉を上げる。彼はやっぱりキツイです、と職務を放棄するようなタイプではないはずであるが。要は質問を投げかけながら、彼の表情を注意深く探っていた。
「いいえ。しかし、彼女の見る映像が鮮明になってきていると言うのが、この場合問題になるかと」
「……? あぁ」
一瞬疑問符を浮かべた要だったが、直ぐに竜弥の言わんとすることを理解したらしい。
「はっきりと見えるようになった記憶によって、彼女の精神が再び危うくなる可能性があると?」
「そうです」
なるほど、と要が一つ呟いた。思い至らなかったというような表情に、竜弥は内心首をひねった。
「うん、そうだね……そういうことなら、少し調整は出来ると思うよ」
「えっ……!」
あまりにもあっさりと許可が下りたことに目を見開く。ただ、と言葉が続くのに思わず背筋を伸ばした。
「その辺りのことは君の仕事になるけど、大丈夫そうかな?」
「あっ、はい! 大丈夫です!」
勢い込んだ返答に元気だね、と平坦な声が返る。モニターを弄っていた指先がつい、と竜弥を指した。ぽこん、と電子音がしたので、要に断って端末を取り出す。画面の中にトカゲが走ってきて、画面外からなにやらリストのようなものを引っ張り込んできた。
「現在要請されている事件のリストとその概要を送ったから早速確認しておいてくれるかな。後、これは上に掛け合ってからになるけど、関連資料の閲覧権限も渡せると思うから」
軽くリストに目を通すと、竜弥は端末をしまった。しっかりせねばと要に向き直る。彼はどこか柔らかな表情で竜弥を見ていた。
「さっきも言ったけど、あの子たちに関してのことは全部手探りだからね。これからも気づいたことや気になることがあれば報告してくれるかな」
「了解です」
空中に散らばっていたモニターが要の手元へと収束していく。どうやら面談はこれで終了らしい。足を組みなおした要が、少しばかり申し訳なさそうに眉を下げた。
「正直な話、君たちみたいな一般的な感覚ってのは結構ありがたいんだよ。タカもそうだけど、僕の生育環境ってデザイナーベビーとそんなに大きくは変わらなくてね」
「は、え、そうなんですか?」
そうなんだよー、と軽く応じながら、タブレットを小脇に立ち上がる。この上司がとんでもないレベルのエリートであることは知っていたが、育ての時点から己とは大きく違ったのだろうか。
少しばかり呆けていると、隣を通り過ぎざまにぽんぽんと肩を叩かれた。背後で扉の開く音がし、慌てて後を追う。
「やっぱり普通の感覚って大事なんだなぁ」
難しいね、と笑う要に何と言えばいいかわからず、竜弥は曖昧に笑った。正直なところ今思い返してみても、かける言葉は見つかっていない。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
時は戻って現在。竜弥は証拠品のリストを幾つか目の前に浮かべて唸り声をあげていた。その隣には当然要もおり、同じリストを見上げている。
「どれもこれも渦中にあったものだものねぇ」
そう呟く要の手元にはところどころ赤黒く変色した烏帽子の写真が浮かんでいる。彼らは言葉を語らないが、要が垣間見た凄惨な現場の一部始終を目撃しているはずだった。
そして、美姫だけがその言葉を聞くことが出来る。
「当然そうじゃないと意味がないってのは、わかってるんですが……」
「美姫への負担を考えると、どうしてもねぇ」
宙に浮かぶ画面を無意味にスワイプして画像を切り替えていく。どれもこれも破壊と死の痕がこびりついていた。
「せめて例のノートがあればよかったんでしょうがね……」
幼い紬とナリとの約束のノート。紬は無くしたと言っていたが、要が見た記憶の中では彼女がナリに渡してしまっていた。
そしてそれは、彼らの交流が両親に発覚した切っ掛けだったはず。
「……そう言えば、彼に最初に気づいたのは豊利凪だったっけか」
被害者のリストから彼女の名を見つけ出してタップする。途端に顔写真とともに関連資料が眼前に広がっていった。
「あの暗転から事件までの情報が欲しいな……美姫は読み取る情報の時間指定はできたよね?」
あー、と竜弥が微妙な反応を見せる。違ったっけ? と記憶を手繰っていると、彼は首を横に振る。
「調子のいい時は、ですね。今のところ、百発百中とは行きません」
「……そこは、僕らにかかってるってことでいい?」
要の声にはどこか有無を言わせない響きがまとわりついていた。
ケアが必要になるのが事前だけか事後もかは今のところわからないが、どちらにせよ彼らのお仕事ではある。竜弥はしばらく唇を噛んで押し黙っていたが、やがてこくりと頷いた。
「申請は僕がやるよ。その方が早いからね……あぁいや、準備期間は多い方がいいかな?」
「……そうですね、出来れば」
「ん。じゃあ、お願いするね。多分……一週間ぐらいになるかな」
了解です、と少々暗い声が応えを返した。浮かんでいた画面が要の端末の元へと収束していく。
「その前後は美姫に仕事入れないように調整しとくよ。今は急ぎのはなかったはずだしね」
「……ありがとうございます」
となれば早々に準備を始めなければならない。立ち上がった要に続いて歩きながらマダラを呼び出す。
「久々にお茶会の準備だ。必要なもののリストアップ頼む」
『りょーかい。そろそろティースタンド買うか?』
画面の中のトカゲがアフタヌーンティーでよく使われるような三段プレートの写真を差し出してきた。あー……と竜弥が悩むように唸る。
「……そうだな。今回は奮発するか」
マダラの差し出す写真をタップすると何種類かのティースタンドの写真が展開される。ワイヤーで皿を支えているタイプと、皿の中心を支柱で接続するタイプの二種があるらしい。なんとなく前者の方がそれらしさがある、ような気がする。
「ネコ足とかハートモチーフのやつあるか?」
『あるぜ。後、不思議の国のアリスモチーフのやつもある』
くるんとかわいらしくカーブした四つ足に、細かな装飾がされた淡いブルーのお皿。金色のワイヤーはてっぺんのところでハートの意匠が施され、真っ白な細いリボンが絡みついている。ところどころに赤と白が斑のバラを咲かせていた。三段式の上に少しばかり大きめだ。三~四人分くらいの容量はありそうである。
「あぁ、いいね。美姫が好きそう」
いつの間にか要が隣に並んで画面をのぞき込んでいた。少しばかり彼女には大人っぽすぎる気もするが、特別なお茶会にはむしろちょうどいいだろう。
「ちゃーんと経費精算してね」
「あー……はい」
竜弥が決まり悪そうに頭を掻いた。一番最初に彼女の朝食を飾り付けたときには自腹を切っていたのだが、後々そう言うのはちゃんとするようにと年下の先輩であるところの真緒に叱られたのだ。デザイナーベビーに関するものは経費に含まれる範囲が曖昧というのもあり、精算していいのかわからなかったのである。正直なところ、何が経費になるのかはまだまだ明確ではない。
「今回のティーフードはどうすっかな……」
「セイボリー、スコーン、ペイストリーだっけ?」
挙げられた三つの要素にこくりと頷く。
因みにセイボリーはサンドイッチなどの塩気のある食べ物、ペイストリーはケーキなどの甘いお菓子である。ティースタンドの場合は下から順番にセイボリー、スコーン、ペイストリーと盛り付けられ、食べる時もその順に頂いていくのだ。竜弥も初めて調べたときはスコーンしかわからなかったが、今はそらんじることすらできるようになった。
「まぁ、その辺は女性陣と相談しますかね」
「紬ちゃん、こういうの詳しかったりしないかな?」
彼女の創作用の知識は広く、ところどころ深い。今書いている小説こそ和風のファンタジーだが、彼女の書いていたスケッチはなかなかに多種多様だった。
竜弥がぱちぱちと目を瞬く。
「あぁ! そうか、紬ちゃんも招待しないとでしたね」
「ふふ、そうだよ」
フリールームの扉の前で立ち止まった要がタッチパネルに手を置く。シュン、と空気の抜けるような音がして扉が開き、光と賑わう空気が漏れ出てくる。
「なんてったって、お姫様のお茶会だものね」
逆光に照らされた端正な顔は竜弥とは違ってそんな台詞も似合っている。竜弥は扉をくぐりながら重たい溜息を吐いた。
アフタヌーンティーについてはめちゃくちゃ調べながら書いてます。
一回行ってみたいけど、ボッチには敷居がエベレスト。
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