01 神さま、物語
節くれだった指にぺらり、とノートがめくられる。真っ白だっただろうページには、手書きの文字で丁寧に丁寧に物語が綴られていた。
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――いっそ神さまに生まれたかった。
瞬いて見上げてくる赤い瞳に真っ白な髪が被さっている。人と違う色をしたその子は、肌の色も斑だった。青、紫、黄色。元の色をした肌の方がきっと少ない。
何もかもがつまらなくて、組んだ足をぷらぷらと揺らす。
「だってオレ人間扱いしてもらえないしー。ならいっそ最初から別の何かに生まれればよかった」
小さく息を詰める音がした。薄青の浴衣に覆い隠されたこの身体にも、言葉の証明がいくつもいくつも存在しているのだ。
宙ぶらりんの足元を吹き抜けた風だって、あの子と揃いの青い痣を見せつけてくる。
「そしたらきっと、こんなのだって痛くねーのに」
もっと化け物然として生まれてこれば良かった。人に混じれないくらいに違う形に生まれてこれば良かった。
ぽつりぽつりと星明りだけが頼りの闇の中で、あの子はすっくと立ちあがった。高い屋根の上、二人きりの世界を風が揺らす。
「ねぇ、じゃあ」
一緒に神さまになってしまおうか。
そういって、オレの返事も待たずに宙ぶらりんに一歩踏み出した。慌てて手を伸ばす。何とか手首を捕まえると、反対の手がオレの手を強く強く握ってくれた。
ふわりと風が身体を包む。きっと呆れた顔をしていただろうに、あの子は満面の笑みで抱き着いてくる。
「ね、二人で神さまになる方法を探しに行こうよ」
雲の一つみたいに空に浮かんで、歩くように足をかく。あっち、と指をさすのでそちらへと風を流していく。
ふわふわ。身体を脱ぎ捨てたみたいに自由に泳ぐ。だんだんと楽しくなってきて、二人空の上、大声で笑いあった。
「世界中見て回ろうよ。神さまになるのはその後にしよう?」
あの子がそう言ったから、オレはもう少し人間でいることを決めたのだ。
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こうして重力を操る能力を持つ少年と真っ白な親友が世界を旅する物語が始まった。ページをめくる手が止まり、長い溜息が鉛筆汚れの目立つ白を微かに揺らす。
「こーれは……」
静かに文字を追っていた男が声を上げた。フワフワと癖の強い金髪をくしゃくしゃと掻き、エメラルドグリーンの目を細めている。彼が身にまとっているスーツは上等品だったが、如何せん男のくたびれた風貌に引っ張られてどこかよれよれに見えた。
「アンタ認識阻害忘れてったんじゃないだろうな?」
同じくノートを覗き込んでいた女が対面のソファに座る青年へと視線を投げた。切れ長の黒い目は探るように尖っている。高い位置で結われた長い茶髪が、動きに合わせてしゃらりと涼やかに揺れた。
するりと組み変えられたヒールブーツの爪先でも差された青年は、ソファに体重を預けてそっくり返っていた身体を前のめりにした。短い黒髪が揺れ、青いインナーカラーが見え隠れする。吊り上げられたグレーアイで視線のつばぜり合いでもするかのように睨み返した。
「自分じゃロック外せねーのにどうやって忘れるってんだよ。オレが視える奴がいるならそっちの落ち度なんじゃぁないのぉ?」
小馬鹿にした口調に女のこめかみにぴきりと血管が浮かび上がる。口を開きかけたのを隣の男がどうどうと制し、青年の方をうかがった。
「ノートの持ち主は見てないのか?」
「見てないね。学校の屋上んとこにぽつーんと置いてあったの拾っただけ」
男は小さく唸って机の端を指先でとんとん、と叩いた。ポン、と軽快な音がしたかと思えば、彼らの目の前に薄青く発光する半透明のモニターがいくつも浮かび上がる。モニターの中には衛星映像が映し出されていた。
「時間と学校名」
「午後二時半頃、南条高校」
単語を認識したモニターが映像を拡大しながら巻き戻していく。やがてピタリと止まった映像は、画面外上空から青年が校舎の屋上に降り立つ瞬間を切り取っていた。
モニターの中で再び時間の流れに沿って動き始めた青年は、先の証言通りに屋上の隅に落ちていたノートを拾い、ぱらぱらとめくっている。そうして一瞬動きを止めるときょろきょろと辺りを見回していた。
映像の青年は考え込むように顎に手を当てると、ノートを小脇に抱えた。そのままフェンスまで歩いていき、とん、と床を蹴る。
舞うように浮かび上がった身体が、フェンスの向こう側へと音もなく降り立つ――まるで彼だけが無重力の空間にいるかのようだった。
彼はそのまま屋上から何の逡巡もなく飛び降りた。悲鳴の一つも上がらない中、青年は生徒が走り回っているグラウンドの端に着地すると何事もなかったかのように歩き出す。
「認識阻害の方に問題はなさそうだね……」
「そうだねぇ……偶然、にしてはちょっと似すぎてるよねぇ」
男は再びノートをぱらぱらとめくる。物語の主人公は黒髪に灰の目をした少年だ。重力を操作する能力を持ち、自由自在に空を飛ぶ。目の前にいる青年をもう少し幼くして性格を整えたような少年だった。彼をモデルにしたと言われれば何の疑いもなく納得できるだろう。
――しかしそれは、あまりにもあり得ないことなのだ。
「念のため一週間前まで遡って映像検索するか……んー、いや現場行った方が早いかぁ?」
「まぁ、なくしたんなら探してるだろうね」
だよねぇ、と男が頷く。
「しっかし、このご時世で紙に手書きとは……随分古風な子だね」
「字も綺麗だしねぇ……珍しいもんだ」
よし、と切り替えるように膝を叩いた男は再び机を指先でつついてモニターをさらに複数展開した。件の屋上がいくつかの角度から移されている映像が一斉に流れ始める。
「僕は映像の方調べるから、真緒と人志は現場見に行ってくれ。なんかわかったら連絡する」
名前を呼ばれた二人がお互いにしかめっ面になった。が、指示に逆らうつもりはないらしく、揃って立ち上がる。
「お散歩じゃなくて任務だから、人志はなるべく一人で行動しないこと。真緒は定期連絡忘れないようにね」
「へーへー」
「了解」
短い応えに苦笑しつつ彼らを見送り、男は改めてモニター群に向き直る。この学校の屋上は開放されているらしく、それなりの生徒が出入りしていた。
その中からノートの持ち主を――物語の作者を、探さなければならない。
「ただの偶然ならいいんだけどねぇ……」
男はそう呟くが、物語はそんな風には出来ていないのだ。
一ヶ月ぶりにこんにちは。
夏真っ盛りですが、新連載始めました。
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