エピローグ(side.都)
それは遠い昔。わたしの家へある男の子がやって来ることになりました。
その男の子は、お母さんの親友の息子で歳はわたしよりも五つ上。どうやら親子二人でこちらに旅行に来るらしく、しばらくの間わたしの家に泊まるそうでした。
──不安だった。
わたしは、幼い頃から内気で誰とも仲良くなれず、自分の小さな世界で窒息しそうだった。そんなわたしが自分よりも歳上の男の子と話せる訳がない。そもそも恥ずかしくて会うのすら気が進みませんでした。
だからといって会わない訳にもいかず、無情にもその日がやって来ました。わたしはせめてもの抵抗とお母さんの後ろにずっと隠れていました。
『こんにちは。 オレは』
『ひうっ、やぁっ!』
『え……っ』
あまりの緊張に男の子が差し伸べてくれた手を弾いてしまい、出会いは最悪の形で終わってしまいました。
正直、もうこんなわたしには愛想を尽かして話しかけてこないと思っていました。しかし、男の子はそれからもわたしに話しかけてくれました。
『ねぇ、これ知ってる? おすしマンって言うんだけど』
『ん、ん、うぅ……っ!』
『あ! あぁ……』
なのに、わたしは友好関係を築こうとする男の子から逃げてしまいました。何度も、何度も。
そんな自分が嫌になって公園で落ち込んでいると瞳を輝かせた男の子がやってきました。
『すごい、すごい、すごい! キラキラしてきれいだよ!』
『ひうっ』
正直、とても怖かったです。
けど、
『ちょっとまっててね!』
茜色の世界で一生懸命に絵を軽く男の子。その横顔はとても眩しくて、
『……キラ、キラしてる……』
初めて、目を奪われました。
しばらくして日が沈み、男の子はニコニコした顔で『戻ろう』と手を差し伸べてくれました。
わたしは無意識のまま、その手を取り、胸が暖かいものでいっぱいになりました。初めて会った日が嘘のように。
その日、男の子はわたしに『絵』という小さな光をくれました。それはまるで内気なわたしを──世界を描き変えていくような優しい光で、怖い外の世界へ踏み出す勇気をくれました。
"どう? 外にはこんなにも綺麗で素敵なものがたくさんあって、楽しいんだよ!"
実際には、男の子はそんな事は言っていません。だけど、男の子の絵には、そういうメッセージが込められているとイメージ出来て、初めて"楽しい"を知りました。本当の意味で。
それから男の子と仲良くなるどころか、ベッタリくっついて離れなくなっていました。そうやって二人で過ごした時間は短いものでしたが、とても楽しくて、ずっと続いてほしいと思っていました。
けど、どんなに希っても、
『泣かないで、都ちゃん』
『えっぐ……だって、かえっ……ぢゃ、うがら……』
旅行でこの町に来ている以上、お別れは避けられません。
その日、わたしは大泣きをしました。本当に悲しくて、胸が痛くて、どうにかなってしまいそうでした。
だから、わたしは別れたくない一心で、
『ひっぐ……ほん、とうの…おにい……ちゃんだったら、よかったのに……』
男の子を困らせる事を口走ってしまいました。すると、男の子は名案を閃いたと言わんばかりの笑顔で絵を描いてくれました。
──わたしと男の子が笑顔で手を繋いでいる絵を。
『昔、中国って国ではね。 やくそくをして兄妹になれたんだよ!』
『やくそくで? きょう、だいに?』
『そうそう! だから、都ちゃんはオレの妹になれるよ!』
それを聞いた途端、雪解けのあとに花が咲くように胸がぽかぽかしました。言うまでもなく、すぐに『いもうとにして!』と返事をしました。
『でも、やくそくをする場所がだいじなんだって』
『え、と……?』
『今すぐにはできないってことだよ』
『……でき、ないの……』
心嬉しいのも束の間で、一気に急降下。まさに天国から地獄でした。
けど、
『だから、今は兄妹になるやくそくのやくそくをしよ!』
『やくそくの……やくそく?』
『そ! やくそくのやくそく!』
『……え? ……え?』
男の子は約束という希望をくれました。
状況の飲み込めずあたふたしているわたしに向かってニッコリ笑いながら、
『オレのすんでる町にお気に入りの場所があってね。 すっごくいいところなんだ!』
『……そこ、ならできる?』
『うん、できる! 都ちゃんがオレの町にきたらやくそくをはたすよ! だから、それまでは』
『……うん、がまんする。 いいこになる』
固く結んだ小指。
それがわたしの大切な思い出。今となっては、約束──誓いを交わして兄妹になるのは創作上のお話で、現実ではなれないのは知っています。
けれど──
朝早くから出かける用意を済ませ、逸る気持ちを抑えるようにリビングでニュースと睨めっこをする。
「んー、んー……あ……んー、んー」
時計を見ては唸り、時計を見ては唸るのを繰り返す。何度も、何度も。
「ふふ、そろそろいいんじゃないかしら」
「ふあっ、はいっ!」
紗枝さんからのGoサインをもらうと、すぐに二階へと駆け上がっていく。勿論、向かったのはお兄さんの部屋。
──コン、コン、コン。
まずは、ノックをして起きているか確認。物音一つしない。
次に、お兄さんを起こさないようにゆっくりとドアを開け、部屋の中へ。忍び足でベッドに向かい──そして、耳元で囁く。
「起きてください」
「……ん、ぁぁ……」
「もう朝ですよ」
「……あと……ちょっと、だけ……」
簡単には起きてくれないお兄さん。その様子を見ていると、つい悪戯心が湧いてくる。
「起きて、お兄ちゃん」
「かはぁっ!?」
「おはようございます、お兄さん」
「お、おはよう……都ちゃん」
思惑通り起きてくれたお兄さんに、ニッコリと笑顔を向ける。あの時みたいに。
「えーと……早いね」
「はいっ! 今日、楽しみでしたからっ!!」
「な、なるほど」
今日はお兄さんと二人で初めてお出かけをする日。そう、あれから初めて。
「その服、可愛いね」
その言葉にドキッとする。
「えへへ、紗枝さんに選んでもらったんです。 お兄さんに、喜んでもらえるって……」
「そうなんだ。 よく似合ってるよ」
「ふあっ! あっ……ありがとう、ござい……ましゅ……」
顔が熱い。
きっと、今だらしないくらい緩んだ顔をしてて……ちょっと、恥ずかしいです……。
「じゃあ、支度するからリビングで待ってて」
「はい!」
部屋を出ようとドアノブに手をかけた時、ピタっと足を止める。何故なら、大事な事を聞き忘れていたから。
スキップを踏むように踵を返して、お兄さんの元へ戻る。
「ん、どうしたの?」
「あのお兄さん! 少しお聞きしたいことがあるんですがいいですか?」
「……何かな?」
「今、"キラキラ"していますか?」
少し間を置くお兄さん。そして、ゆっくりと口角を上げ、優しい顔で、言葉を紡ぐ。
"うん、キラキラしてる"
──お兄さんは、わたしの大好きなお兄さんです。
わたしは貴方の妹になれて嬉しいです。昔も、今も。
fin.




