チャプター3-7
豆電球が照らす薄暗い自室。
「はぁ、何してんだろ」
スマホで時刻を見ると、とっくに零時を過ぎていた。今すぐにでも眠らないと、明日の学校はあくびを奏でながら無気力に過ごす事になってしまう。だから、今すぐ意識を失くしたいところだが、先程の件のせいで寝付けない。
今日、夜中に台風が来る事は知っていた。だから、傘を持って、そこまで雨風が強くならないうちに帰るつもりだった。しかし、予定は未定で、あれやこれやしているうちに帰るのが遅くなってしまった。
さらに、それでも大丈夫だろうと高を括っていたのがいけなかったのか。帰る時、予想以上の暴風と大雨に襲われた結果、傘は壊れ、ずぶ濡れで帰宅する羽目に。
そして、玄関で都ちゃんと顔を合わせてしまった。
『あ、あの……おかえり、なさい』
『……うん……ただいま……』
『タオル要りますよね。 取ってきます』
目すら合わせようとしない僕に対して、いつも通り接しようとしてくれる都ちゃん。喉の奥に魚の骨が刺さったみたいにばつが悪かった。
タオルを受け取ると、都ちゃんは心配そうにこちらを見つめてきた。そんな彼女に、お決まりと変わらない礼だけ言って浴室へ向かってしまった。それを今になって後悔している。
本当は、僕だって……。けど、展望台での事を思い出すと……。
──コン、コン、コン。
突然、ドアを叩く音が鳴り響く。
母さんはこの時間に起きていないどころか、まずノックなんかしない。すると、ドアを叩いているのは一人しかいない。
「都ちゃん」
「…………」
薄暗いオレンジ色の光を放つ豆電球がドアの先にいた都ちゃんを照らす。ドアを開けてからしばらく経っても、彼女は無言のまま俯いている。それは頭の中で言葉を探しているように見えて、僕は何も言わずに待った。
「あ、あの……」
ようやく言葉が見つかったのか。都ちゃんが口を開くと同時に窓から光が入り、
「ひゃっ!!」
時間差で雷の音が鳴り響いた。すると、都ちゃんは悲鳴をあげ、急いで耳をふさぎ、その場にうずくまった。
それを見て大体の事情は察した。
「…………」
「…………」
静寂の中、都ちゃんと背中合わせでベッドに入っている。僕らは今ギクシャクしているにも関わらず。
「はぁ……」
あの後、雷に怯える都ちゃんを母さんの部屋まで連れて行こうとしたら、シャツの裾を掴まれ、無言の抵抗。それで落ち着くまで僕の部屋に居てもらう事にした。ここまでは、まだいい。問題はその後だ。
流石に、ずっと立たせている訳にもいかないので落ち着くまでベッドで過ごしもらう事にした。本来なら都ちゃんだけがベッドに入り、僕は床で寝そべるつもりだった。しかし、僕が床に寝そべると都ちゃんも同じように床に寝そべってきた。しかも、無言で。
だから、やむを得なく。やむを得く、一緒に入る事になった。
──ガッシャーンッ!!
「っ!」
けたたましく雷が鳴る度に、小さな体がピクッと震えるのが背中越しに伝わる。そして、微かに聞こえる鼻をすするような音。もしかすると、雷が怖くて泣いているのかもしれない。
「お兄さん……起きていますか?」
都ちゃんのややくぐもった声に、
「……っ」
歯痒さを感じ、拳を握ってしまう。
「起きているよ」
そのせいか、自然と返事をしていた。
「わたし、雷……苦手なんです。 小さい頃から大きな音を聞くと怖いものをイメージしちゃって……」
大きな音から怖いものをイメージ。もしかすると怒鳴り声が苦手なのも、それが原因なのか。
「それで、雷の鳴る夜は……怖くて、お手洗いに行けなくて……おもらし、してました。 結構な歳まで……」
どうして、今そんな事をカミングアウトしたのか全く分からなかった。
「わたしの秘密です」
だが、その一言で分かった。
「……都ちゃん……今は、大丈夫?」
「ゔ……だ、大丈夫ですっ」
「そっか。 なら、一安心だ」
「うぅ、わたしが、言いたかったのは……そうじゃなくて……」
何やらボソボソとぼやく都ちゃん。きっと、口を尖らせているんだろう。
大丈夫、ちゃんと分かってる。ちょっと意地悪をしただけだ……僕もちゃんと言うから。
「朝はパン派なんだけど、都ちゃんに合わせてご飯にしてた」
「え、あの?」
「それが僕の秘密」
「あっ……ずるい、です……」
都ちゃんが軽く布団を引っ張っる。きっと、顔を覆うように被ったのだろう。恥ずかしくて。
「どうする? 続ける?」
「……続けます」
「じゃあ、次は僕から。 実は、暗いのが苦手なんだ。 暗いと色が分からなくるでしょ? それが怖いんだ。 だから、寝る時は豆電球をつけて──」
これは交換条件。自分の秘密を話せば、僕の秘密を話してくれるかの。あの時、僕は秘密を知られたくなくてお茶を濁したのに、まさかそれを今の関係解消に使ってくるとは思わなかったな。しかも、一方的に。
……僕が忘れていたり、乗ってくれなかったら、どうするつもりだったんだろ。
いや、信じてくれたのかな。こんな僕を。
それから何回か他愛ない秘密を暴露しあい、気付けば互いに体を起こして向かいあっていた。
「わたし……お兄さんに、あの日のこと……」
「待って、謝らないといけないのは僕の方だよ」
「そんなことないです……わたしが、悪い子だから……」
都ちゃんの声のトーンが下がる。
そして、教会で懺悔するかのように胸の内を吐露した。ポロポロと、ポロポロと。
「こっちに残る時も……あの時みたいにお母さんに迷惑をかけたんです。 海外に行くのは嫌だって。 わたし、分かってたのに……それがお母さんを困らせるって。 でも、日本を出るのが……怖くて、つい言っちゃったんです……嫌って……。 ただ、大切な思い出を……何もかも、失くしちゃうってイメージしただけだったのに……ちゃんとした理由なんてないのに……それで周りが見えなくなって……。 また、同じことをして……本当は抑えなきゃ、いけないのに……だから、だから……」
僕は、ずっと都ちゃんの事を勘違いしていた。彼女は礼儀正しくて、純粋で素直な良い子だと。
確かに、それについて間違いはない。だが、それは飴細工のように繊細で、いつ倒れてもおかしくないジェンガのようなアンバランスさの上で成り立っている危ういものだった。純粋で優し過ぎる彼女は誰かの迷惑にならないように配慮する。極端な話になるが、他者が傷つくなら自分が我慢して抱える。そうするのが正しいと考えてしまう良い子なんだ。
それを間違いとは否定出来ないし、しない。彼女は彼女の正しさを貫いているだけなのだから。
「ごめん、なさい。 本当に、ごめんなさい……」
"今の彼女"に伝えれる言葉は、"今の僕"の中にはない。
「ううん、謝らないで。 やっぱり、悪いの僕だよ」
「違います! 悪いのはっ!」
「聞いて。 あれはね、君に頼ってほしくて、拗ねただけなんだ──」
あの時、僕や母さんに心配をかけた事は都ちゃんが無事だった時点でどうでも良かった。叱る必要はあるかもしれないけど、怒るような事じゃない。寧ろ、あのストラップをそこまで大切にしてくれていたのを嬉しいとさえ思った。
だから……。
だからこそ、頼ってほしかった。
僕は頼ってくれるのが当たり前だと。失くして、すぐは無理だっとしても、あの場で言ってくれると思っていた。例え、どんなに困難な状況でも『一緒に探してください』と。
けど、言ってくれなかった。それどころか、突き放されたと思ってしまった。
それで拗ねてあんな冷たい態度を取った。大義名分の元に。
言うまでもなく、後から罪悪感で胸がいっぱいになり、都ちゃんに合わせる顔がなくて避けた。そのせいで、余計に傷つけているのを知りながらも避け続けた。自分から向かい合おうともしなかった。それがヘタレならまだいいのに、ただの卑怯者だったからで……。
「都ちゃんは何も悪くないよ」
「……どうして、わたしに頼ってほしかったんですか?」
それはいつもなら絶対に言えない秘密。だが、今は違う。彼女のおかげで素直に言える。
「僕にとって大切な──"本当の妹"のような存在だからだよ」
どうしてそこまでの気持ちを抱くのかは僕にも分からない。でも、心の底からそう思っているのは間違いない。例え、分からなくても。
それを聞いた都ちゃんは、ただじっと僕を見つめていた。いつもの真っ直ぐな瞳で。
「…………。 わたし、思い出を大切にしたいんです」
「思い出を?」
「はい。 楽しいことも、悲しいことも、全部。 全部がわたしを彩ってくれる。 なので、お兄さんが記念日にしようと言ってストラップをくれた時、すごく嬉しかったです。 忘れていても、また作ればいい。 だから、これを大切にしようって。 これさえあれば……大丈夫って」
都ちゃんは祈るように胸の前で両手を重ね合わせ強く握る。その仕草で、いかに思い出を、あのストラップを大事にしていたのかが伝わってきた。
「でも、失くしちゃって。 お兄さんとの繋がりが失くなった気がして……また、忘れちゃうんじゃないかって、不安になって……」
都ちゃんの潤んだ瞳から少しずつ涙が溢れる。ポタポタと、ポタポタと。
「本当は怖いんです。 思い出を失くすのも……忘れ、られる、のも……」
目頭がじんわりと熱くなる。良い意味と悪い意味が混じり合って。
やっぱり、悪いのは僕だ。忘れてしまった僕が、都ちゃんを悲しませて……泣かせていた。降りしきる雨のように心の中で、ずっと──
「……くっ……」
今さら悔いてもどうにもならないのは分かっている。
──でも、今からだって。
溢れる涙を拭ってあげ、都ちゃんの両手を握る。
「四月一五日は僕達の記念日、特別な日だよ。 これからずっと」
「……お兄、さん……」
「約束する。 これだけは絶対に忘れない」
「……ふ、あ、ぁぁ、ふあっ、あぅ……うぇっ、ぐ……」
複雑な──まさに喜怒哀楽全てが入り混じったような表情で泣きじゃくる都ちゃん。そんな彼女をそっと抱き寄せる。
「う、ぁ……ごめんね、都ちゃん……本当に、ごめんね……」
溢れる涙とむせび泣く声。それらは溶け合い、どちらのものか僕には分からなかった。
お互いに平常を取り戻した頃、
「お手洗いまで、一緒に行ってもらっていいですか?」
「うん、いいよ。 その代わり暗いところでは手を握っててよ」
「えへっ、任せてください」
外の喧騒は消え、穏やかな夜になっていた。
♪
-都の日記-
4月30日 まだ朝ですけど、今日は特別です。昨日の夜、お兄さんの部屋へ行って一緒に寝て……と。その辺りの詳しいお話はまた帰ってからで。
お兄さんの胸。すごく安心しました……えへっ。
仲直り。出来て良かったです。
これで、良かった……よね。
──7:38 04/30の日記は【消去されました】




