第一部 一章 「厚化粧ラッピング」
彼女のそばに駆け寄った。
回想終了。ぱちぱちぱち。憶えていますか今は昼。
おかしいな、追憶の中の少女と目の前の少女は同じはずなのに。
化粧の力、おそるべし。
「そんなに変かなぁ……」
「うん変だ。」
「うわっ、気遣ってくれないんだ!?」
「素直って言いなさい」
「バーカ!」
にぃぃ、と白い歯を剥き出して顔にくしゃっとシワを寄せて。いつもなら可愛らしい怒った顔も、その厚化粧ではただのホラーです。控えてください。
徐々に覚醒していく意識。窓から差し込む日の光。先の空は見事な青空だった。雲が一つもない。冬でもああいう海の色みたいな青空を見ていると直感的に「ああ今日は暑いな」と感じてしまうのは俺だけだろうか。
人に尋ねるまでもない、自分だけの疑問。
別にそう感じるのが俺だけでも、共感を得られてもどちらでもいいのだけれど、なんとなく初に聞いてみようという気になった。
「なぁ初、今日いい天気だな」
「そうですな! こういい天気だとお出かけしたくなりますな! あ。お出かけといったらわたし駅前の古着屋さん行きたい!」
会話の入り方間違えたわ。
確実に金を浪費される未来しか見えなかった。
ふと視線を移す。枕元のデジタル時計が表示するのは、左から一と一と四と七。
おいおい、まだ春休みだぞ。起きるのには早すぎる。これがあと二、三時間遅かったら本格的に起床するが、まだ十一時じゃないか。起きる必要はない。
あ、休みの日は朝ごはんはいりませんどうも俺です。
現在時刻を知り、どこかに行ったと思った眠気がまたやってきて瞼を重くする。
「ってかまだ早いじゃないか。お兄ちゃんは寝ます」
「めっ! 起きなさい!」
腕をいっぱいに伸ばして。背を向けて横になる俺をぐわんぐわんと揺する初。
結構力を入れているようなので初自身も大きく揺れているのだが、その大きな二つの山は微動だにせず悠然としている。まさしく偽物のそれだ。俺の妹の乳がこんなに大きいはずがない、っと。まぁ人は嘘ついちゃう生き物だからね! しょうがないね!
それにしてもこのぐわんぐわん、ちょっとアトラクションみたいで楽しい。
最初からそうやって起こしてくれればいいのに。
「誰かさんが大声で名前叫ぶから起きる気をなくしました」
「さっきのこと? 最初はちゃんと『お兄ちゃん』って呼んだよ? でもお兄ちゃん、結局『レンマ』って呼ばないと起きないじゃん」
「お兄様の名前を粗末に叫ぶんじゃありません」
申し遅れました。わたくし、美藤錬真と申します。年は15この春、いや明日から高校に進学します。以後も引き続きお見知り置きを。
「じゃあ一回目で起きてよ」
「何年俺の妹やってんだ。もう諦メロン。じゃ、おやすみなさい。むにゃむにゃ」
「うわぁ、リアルでむにゃむにゃって言ってる人はじめて見たよ。てかどんだけ眠いの!?」
「夢の中にお前が出てきた気がしてな。その続きを見たいんだよ」
「かぁぁっ。もーーちょっとやめてよぉ」
「リアルでかぁぁっていう人はじめて見たわ」
なんてくだらなく、意味もない、非生産的な会話をしているとすっかり目も覚めてしまって。特に昨日早く寝たわけではないのだけれど、たまには早起きもいいか。
三文分の徳を信じて初に問う。
「ってかなんでそんなに俺を起こしたがるの? 何かあるの? 今日」
そう投げかけると妹は、ぱちくりと人工技術で大きくなった黒い双眸を瞬かせ、口をあんぐりだらしなく開ける。
なんですかその顔。
まさかまだ歯磨き前だから口臭キツかった??? うそ? お兄ちゃんショック。妹に嫌われるとかありえない。はぁ、まぢ無理。死にたい。リスカしよう。ちょっと電車と相撲してくるわ。
ご愛読ありがとうございました。美藤錬真先生の来世に期待してください。
「え……まさか忘れてるの、お兄ちゃん」
ムム。どうやらその反応が返ってくるということは、口臭は問題じゃなかったか。セーフ。危うくはやまっちゃうとこだったよ。……って、え? 今日なんかあったっけ。
「忘れてるって、何を? 命の大切さなら忘れかけたけど」
「意味わかんないし……」
「ほら、さっきも言ったでしょ? お兄ちゃんはニワトリちゃんだから! 三歩進むと忘れちゃうフレンズだから!」
「なら今すぐ動物園に飼育されなさい! 今日はみんなでデートでしょ!」
むっすりほっぺを膨らませ、それに封をするように口の前で人差し指をピンと立て顔を近づけてくる。
美藤家からのけものにしないで! って、へ。でーと? みんなで?
そうこうしていると一階の玄関がピンポーンと鳴り「レンマー野球しようぜ!」と呼ばれている気がした。
「あ、もうみんな来ちゃったじゃん! お兄ちゃん、私トイレ行ってくるから出といてね」
そう言い残し妹は六畳の部屋を後にする。自室にて今日初めて一人になる俺。いつ元に戻したのだろう、本棚には先ほどまで妹に遊ばれていた人形が置かれていた。本当は覚えている。彼は俺がまだ小学生の時に放送していたアニメ、「ナンバー戦争」の主人公だ。
鋼をまとうヒーローに変身して悪と戦う姿を当時の俺は食いつくようにテレビで見ていた。母にねだって買ってもらったあの人形と一緒に幼い俺は家の中を駆け巡った。
一階と二階を結ぶ階段は断崖絶壁の崖として、家族で囲む食卓は風が吹き抜ける草原として、自分の部屋を作戦本部、両親の部屋を悪の組織の拠点として、頭の中で妄想を捗らせ夢中になって遊んでいた。
初の持っていたリカちゃんとも決闘させたが途中から初が俺本体を殴ってきたため中止に。
淀みなく溢れてくる昔の記憶。
追憶に浸っていると周りが静かになっていき、止まってしまった時の中で自分一人だけが動いているようだった。
とうに眠気は覚めているのにあくびをするふりをして、かゆくもない頭をかく。
そんな様子を彼は仮面越しにずーっと見つめている気がして、どうしようか。
ベッドの温もりに甘えていたい気持ちをピンポンと二回目のチャイムが打ち消して、俺は自室を背に一階の玄関へと向かった。