4
教室に戻ると、何故かクラスメイトに受け入れられていた久遠は、各教科の間にある休み時間の度に机の周りを包囲された。主に百瀬が率先していたが……
昼休みには男子数人に食堂へと連行されたり、事前に買っていた食券について問い詰められたりと、ごく普通の転入初日を過ごした。
あっと言う間に放課後になった久遠は、帰宅したり部活に行ったりするクラスメイトを見送る。教室の中には現在三つの人影。
「あなたも随分と人気者のようで……」
「転入生だからだろ。動物園のパンダはきっとこんな気分だ」
前の席で横向きに座りながら廊下側の窓を眺める空音の言葉に、久遠は机に突っ伏しながら皮肉で返す。
そこに、ピンクのリボンで結んだ髪を尻尾のように揺らしながら、もう一つの影が近づいてきた。久遠も机から起き上がり、空音と同様に横向きに座る。
「何て言うか……改めまして、百瀬桃花だよ。趣味は情報収集。空音ちゃんと同じで能力運用部に所属してて、新聞部にも所属してるよ。能力は動物縁! よろしくね♪」
満面の笑顔で自己紹介をする百瀬は手を差し出してきた。久遠も一瞬躊躇したが、すぐにその手を握った。
「俺も改めて、上倉久遠。二人と同じで能力運用部に入る予定だ。よろしくな、百瀬」
「んもー、同じ能運部の仲間なんだし……百瀬って名字じゃなくて名前で呼んでよ~、なんなら桃ちゃんでもいいよ! 久遠くん」
やたらニコニコして久遠を圧倒させる百瀬。そんなやり取りを冷めた目で見つめる空音。久遠は目を瞑って嘆息をする。
「わかったよ……これからよろしくな、桃花」
「よろしくね♪ それじゃあ、これから部室に行こうよ。他の部員と顔合わせしようよ!」
「わ、ちょっ!?」
繋いでいた手をいきなり引っ張られた久遠は慌てる。それに構うことなく百瀬はその小さな体のどこにあるのかわからない力でグイグイと教室の扉まで引っ張る。
「あ、鞄忘れてた」
ふと思い出したのか、百瀬はパッと手を放して自分の席に戻っていく。解放された久遠も自分の席へと鞄を取りに戻る。
「真崎さんは行かないの、部室?」
久遠は鞄を手に取りながら不機嫌そう空音に訊ねる。
「行くわよ。……それから私も同じ能運部の仲間なんだから、さん付けはいらないわ。久遠君」
空音はそう言うと鞄を手に取って教室の出口へさっさと歩いていく。その後ろ姿に久遠は一瞬考え込んで声をかける。
「一緒に行かないのか? 空音」
「ええ、図書館に本を返してから行くわ」
空音は久遠の言葉に振り返って答える。その時の表情は穏やかな微笑みだった。空音の理由を聞いた久遠は慌てて追いかけた。
「あ、図書館? なら、本を返しに行くついでに俺も連れてってくれないか?」
「え?」
久遠の言葉が意外だったのか首を傾げる空音。
「俺の趣味、読書。質問タイムの時に言った」
「そういえば……」
「それにさっき、見たい場所があったなら昼休みか放課後にでも案内してくれるって言ってたよな」
「……そうね、じゃあ図書館に行きましょうか」
自分の言動を思い出した空音は納得して頷いて教室の扉に手をかける。
「あ、桃花はどうする? 一緒に図書館行くか?」
そこで、久遠は思い出したかのように振り返って百瀬に声をかける。久遠の後ろでは今まで穏やかな微笑みを浮かべていた空音の表情が少しだが曇る。
「……桃ちゃんは本読むのが苦手だから遠慮するよ。先に部室行って待ってるね♪」
それを見た百瀬は苦笑しながら答える。空音は久遠の腕を強引に取る。
「行きましょう、久遠君」
「あ、ああ……また後でな」
「ばいば~い」
再び引っ張られる久遠を面白い物でも見るかのような表情で見送る百瀬。もう教室には百瀬しかいない。
「いくら動物縁があって動物と仲良しでも、空気読まないおバカさんは馬に蹴られるんだよ? 久遠くん」
誰に言うでもなく百瀬は呟く。
「それにしても……あの空音ちゃんがね~、随分と久遠くんのことを気にしてるみたいだね。うちの学園の能力者は良くも悪くもみんな濃いからな~、これは……来栖川先生の作戦勝ち? いやいや、ただの偶然だよね。」
腕を組みながら頷いていたかと思うといきなり首を横に振り始める百瀬。もし、誰かが教室を除けば変人扱いされることだろう。だが、そのレッテルもあの百瀬桃花ということで納得されるだろうが……
「久遠くんも初めは随分と無愛想だったけど……今日一日ふたを開けてみれば大分クラスに馴染めたみたいだし、それも空音ちゃんとのやり取りが大きいよね~。ハッ! やっぱりこれは先生の目論見通り? う~ん」
最後の自分の考えに目を瞑って首を傾げる百瀬。何度も唸ってようやく目を開ける。
「部長たちはどう思いました? 久遠くんのこと」
そして、誰もいないはずの教室に向かって問いかける。すると何も無い空間から二人の男子がスーッと現れた。背の高い方の男子は金髪にピアスをいくつか付けて派手な装いだ。もう一人の男子は真新しい制服を着ていて、額には何故かアイマスクがあり、下手くそな字でゴメンナサイと書いてある。
「……お似合いなんじゃね? で、どうしてオレらがいるってわかったんだ、百瀬」
「気付いたのは黒猫と動物縁してた時ですよ。猫なんかは音に敏感ですしね。それにしても……部長、ホントに一日中久遠くんのことを張ってたんですか?」
「……あ! お前、鎌掛けたなっ!?」
金髪の男―――能力運用部の部長が大げさに叫ぶ。
「そりゃ……黒猫と動物縁している時ならまだしも、素で清澄くんの遮断包陣を把握なんか出来ませんって」
ケラケラと笑う百瀬を見て、部長が考え込む。ちなみにこの三人は中等部からのエスカレーター式である。中等部でも能力運用部に所属していたので付き合いは長い。
「やっぱり、清澄の視覚だけじゃなくて聴覚も遮断しておくべきだったか……」
ブツブツと独り言のように喋る部長の言葉を聞いた清澄の顔が血の気を失って青くなっていく。
「そ、そんな無茶ですよ! ただでさえ半日も視覚を遮断された状態で連れ回されて、精神疲労が半端ないのに、聴覚まで封じられたら……ゆ、誘拐されてる人質と変わらないじゃないですか!」
「じょ、冗談だ。だから落ち着け、な」
普段見せない後輩の剣幕に狼狽える部長。
「うぅ……」
「あ~、清澄くん泣かせたー、優月先輩に言っちゃおうかな~?」
「な、泣いてません!」
「ゆ、優月に言うのだけは勘弁してくれ!」
二人が叫ぶのを聞いて、百瀬はニヤリと笑う。それなりに長い付き合いから二人は、その顔が何かを企んでいる時の顔だと知っている。
「でも二人とも……今日一日中久遠くんや空音ちゃんに張り付いてたよね。それから、部長は清澄くんを丸々一日サボらせた上に遮断包陣を使わせたよね。そのことを久遠くんや空音ちゃん、優月先輩に黙ってて欲しかったら……」
「「欲しかったら?」」
ゴクリと息を飲む二人。
「購買でお菓子とジュースを買ってきて! モチ部員分。部長千円分の清澄くん五百円分ね♪」
「へ、何? パーティーでもすんの?」
「イエス! 久遠くんの歓迎パーティーでーす!」
部長の疑問に何故か諸手を上げて万歳をする百瀬。清澄はその姿を見て微笑む。
「桃ちゃん先輩も好きですね、そういうの」
「まーねー、で、これが桃ちゃんの分」
お財布から硬貨を一枚取り出してピンッと弾く百瀬。硬貨は綺麗な弧を描いて部長の手に吸い込まれた。
「五百円玉? お前も金出してくれるのか、百瀬?」
「いえーす。桃ちゃんも空音ちゃん怒らせてるんで……」
ナハハ、と笑う百瀬に苦笑する部長。
「確かにな……それじゃ清澄、行こうぜ」
「あ、はい」
教室を出て行こうとする二人に百瀬は後ろから声をかける。
「あ、ちなみにこれは私が主催になります」
「へ、オレらの手柄は無し?」
「だって、久遠くんや空音ちゃんからしたら二人の犯罪行為を知らないわけだし、二人の名前出したら逆に怪しまれますよ?」
「た、確かに……」
特に空音は部長の性格や清澄の遮断包陣を知っているので尚更である。
「ということで、よろしく~」
「はいはい……」
楽しそうに手をひらひらと振る百瀬に、適当な返事を返して歩き始める部長。
「あ、部長」
「あン? まだ何かあるのか?」
教室を出ようとしたところで百瀬に呼び止められた部長が振り返る。そこにはいつになく真剣な表情をした百瀬がいた。
「私も面白いことは大好きな人間だから強く言えませんけど、流石に授業サボるのは拙いですって。ただでさえ私たちは危ういんだから……」
「……葛城か?」
食堂での久遠たちと葛城のやり取りを思い出した部長の言葉に百瀬は首を振る。
「それもそうですけど、生徒会にも気を付けた方がいいですよ。神楽先輩はもういないんですから……」
「……そうだな。それに今の生徒会長は……ハァ、どこで狂ったのか。いや、最初からか……」
百瀬の言葉に部長は声を落とす。今はもういない一人の女性を思い出す。いつも笑顔で真っ直ぐな女性だったな、と……そして、自分と同じクラスの生徒会長を思い浮かべた部長は溜息を吐く。
「……だから、少し自重して下さいよ」
「あいよ」
部長はそれだけ言い残して教室を後にする。清澄も百瀬に一礼してその後に付いていった。百瀬も鞄を手に取り、廊下に出る。
そして、沈んだ空気を振り払うように仲間の集まる部室へと向かった。