3
二人は数百人が一度に食事を取れそうな食堂へとやってきた。
「ここが食堂で券売機はあれ。他にも購買や自販機があそこにあるわ」
空音が順に指差す先には四台の券売機と購買、数台の自動販売機が並んでいた。久遠はひとまず券売機へと足を運ぶ。
「上倉君?」
「学食の値段を確認しようと思って。多くはない生活費でやりくりしないといけない身なんでね。……お手頃な値段だな。」
「それは学食だもの。それから味とボリュームにも定評あるわよ」
券売機の前でメニューを品定めしている久遠の隣に空音もやってきた。
「そりゃ嬉しい知らせだ」
そう言って財布を出して券売機にお金を投入する久遠に空音は訝しげな視線を送る。
「食堂はまだ営業してないわよ?」
「いや、食堂はよく混むって聞いたから先にって思ってね」
「ああ、なるほど。初心者のくせに高等技術を使うのね」
苦笑しながら答える久遠を面白そうに見やる空音。最初に感じた不機嫌そうなオーラは、もうどこにも感じられない。
「初日から食いっ逸れるのはごめんだからな。真崎さんのオススメって何かある?」
「そうね……月曜日の日替わり定食はいつもより少しだけ豪華ね」
「んじゃ、それで」
久遠は日替わり定食のスイッチを押して食券とお釣りを取り出す。
「はい」
「ん、これは?」
久遠は取り出した食券を空音に差し出す。それを不思議そうに眺める空音。
「学園を案内してもらっているお礼、かな」
「ああ、そういうこと。でも、今日は珍しく早めに目が覚めたからお弁当なの。気持ちだけ受け取っておくわ」
そう言って空音は今まで表情に乏しかった顔に微笑を浮かべた。久遠はその微笑に一瞬、見蕩れる。
「なんだ、少しとっつき難いって思ってたけど、真崎さんも笑えるのな」
にかっと笑ってそう指摘する久遠に、空音は少し顔を赤らめて反論する。
「そ、そりゃ私だって人間よ。笑ったりもするわ」
「それもそうだ」
「そう言う上倉君。あなただってホームルームの時は随分と無表情だったわよ」
簡単に納得する久遠に今度は空音が指摘し返した。久遠は苦笑いしながら答える。
「初めての環境で緊張してたんだよ」
「どーだか……」
空音はため息を吐く。久遠はそれを尻目に自動販売機へと歩いてく。
「真崎さんは珈琲派? 紅茶派? それともお茶派? 意外に炭酸派だったりする?」
「強いて言うなら珈琲派ね。紅茶も好きだけど……何かしら、食券の代わりに飲み物でも奢ってくれるの?」
面白そうな顔をして、空音は自動販売機の前に立つ久遠の横に並ぶ。
「ただ聞いただけ。ちなみに俺も珈琲派。気が合うね」
「あ、あなたね~」
「ははっ、冗談。どれでも好きなの選んでよ」
久遠は自動販売機に五百円玉を入れて空音に正面を譲る。
「全く……」
空音は自動販売機の前に立ち、少しの間考え込むと、釣り銭のレバーを押す。
「へ?」
「私、ここのメーカーの缶コーヒーは好きじゃないの」
そう言って空音は五百円玉を取り出すと、隣の自動販売機にその五百円玉を投入し、虹色に輝いてパイプを咥えるオッサンが描かれた缶コーヒーを選ぶ。
「さいですか」
「上倉君は買わないの?」
取り出し口から缶を取り出した空音は、振り向き様に訊ねてきたので久遠は悩みながら手を伸ばす。
「そうだな……んじゃ俺はこれにするか」
久遠は最上段にあった無糖の缶コーヒーのボタンを押す。
「ちょっと……ち、近いわよ」
「あ、悪い」
空音が避ける前に手を伸ばしたので二人の距離は大分近かった。空音は若干頬を染めながら文句を言った。微妙な雰囲気が流れる空間に割って入る声が食堂に響いた。
「お前ら! 授業はどうした?」
二人が食堂の入り口に目をやると、そこには年配の教師がこちらを睨み付けながら歩いてくるのが見えた。
「……面倒くさいのに見つかったわね」
空音はボソッと小さな声で呟く。
「お前は二年A組の真崎だったな。そっちのお前は見かけん顔だな。何年何組だ?」
教師は二人を見定めるように眺める。空音は教師と目を合わせないようにして黙り込んでいる。久遠は黙り込んでいても仕方ないと思い、教師の質問に答えることにする。
「本日付けで二年A組に転入してきた上倉久遠です。あの、あなたは?」
「俺は数学教師の葛城だ。生徒指導もしているがな。……そうか、お前が新たにこの学園にやってきた能力者ってのは」
葛城は久遠たちのことを明らかに蔑みの目で見る。その目を見た久遠の表情は一気に冷めていく。どうやらこの葛城という教師は能力者に対して強い偏見を持っているようだ。
「転入初日から授業をサボるとは、これだから能力者は……どんな思考回路をしているんだ?」
葛城は嫌味たらしくグチグチと言葉を羅列し始めた。それに対して今まで黙っていた空音が口を開く。
「お言葉ですが、私たちは担任で一時間目の生物担当の来栖川先生から許可を貰って、上倉君に学園を案内していただけです。別に授業をサボっていたわけじゃありません」
屹然とした空音の物言いに一瞬怯んだ葛城だが、すぐさま反撃してくる。
「なら、どうして自販機の前であんなに密着してたんだ? それに手に持ってるものは何だ? 来栖川先生は他の生徒が授業をしている間に仲良くお茶でもしていろ、とでも言ったのか?」
「そ、それは……」
葛城の指摘に空音は言葉に詰まる。密着していたのは誤解だが、それを証明することは出来ないし、手に持っている缶コーヒーについては確かに葛城が言っていることの方が正しい。空音が何か良い言い訳を、と考えていると今度は久遠が口を開く。
「密着していたのは真崎さんが退く前に自販機のボタンを押したからで他意はありません。それと缶コーヒーを授業中に買っていたのは、スミマセンでした。真崎さんが来栖川先生の指示とはいえ、貴重な勉学の時間を俺の為に割いてくれたのでそのお礼に、と俺が買ったものです。真崎さんには何の責任もありません。俺の配慮が足りませんでした。転入初日から葛城先生のお手を煩わせてすみませんでした!」
久遠が理路整然と事情を話した後に深々と頭を下げると、葛城も戸惑っているようだ。
「だ、だがな……」
それでも言葉を紡ごうとする葛城に空音が再び口を開く。
「私も反省してますので今回は……これ以上突っかかってくるならアホ部長と百瀬さんをけしかけますよ。」
最後に空音がボソッと呟いた言葉に葛城の顔が青くなる。
「お、お前は……きょ、教師を脅そうというのか?」
「私、お前って言われるのは嫌いなんですよね……それに、葛城先生だって私の能力を知らないわけじゃありませんよね?」
「チッ……今回はこれ以上言わんが、次は無いと思え、化け物共」
葛城はそう言い捨てて食堂を後にしていった。二人はその後ろ姿をただ眺める。
「神薙は能力者に理解あるって聞いてたんだが、ああいった教師もいるんだな……」
「そうね……いけ好かない先生だけど、ああいった先生も必要なんじゃない? 最後の言葉はムカつくけど。……何が化け物共よ! ……でも、私たちは学生なんだから、いつかはこの神薙を卒業するわ。そして、大学に進学するなり社会に出るなりすれば、葛城のような手合いは沢山いるわ。そんな時に困らないようするためには丁度いい予行練習よ」
まあ、犬に噛まれたと思いましょう、と言い放つ空音に苦笑する久遠。空音は振り向いて自動販売機に近寄ると取り出し口から缶コーヒーを取り出した。
「はい、上倉君の缶コーヒー」
「あ、ありがと」
久遠は空音が差し出す缶コーヒーを受け取る
「はあ、それにしても転入初日から葛城に目を付けられるとは、上倉君もツイてないわね。どうせ能力者ってだけで目を付けられるから、早いか遅いかの違いだけど」
空音は自分の缶コーヒーのプルタブを開けて一気飲みをした。
「ご、豪快だな……」
「ふう、本当に一度ぐらいはあの二人をけしかけようかしら?」
『部長はどうだか知らにゃいけど、桃ちゃんとしては先生と問題を起こす気にはにゃらにゃいかにゃー』
独り言のように呟く空音の上―――自動販売機の上から声が聞こえてきた。
「へ?」
「百瀬……さん?」
二人が自動販売機の上に視線を向けると、そこには顔を掻いている黒猫がいた。
『はーい。みんにゃの桃ちゃんでーす。それにしても、ちょこーっと心配して二人の様子を見に来てみれば……いやー随分と仲良しさんににゃってるね! 桃ちゃんびっくりだにゃ』
「百瀬さん、あなた……いつから尾行してたの?」
答えようによっては……と続く空音から何か黒いオーラが出ている。空音としては、いつもの自分と違ったことは重々承知している。それをネタに百瀬が今まで以上に懐いてくるのを遠慮したいところなのだが……
そんな空音の心情はいざ知らず、黒いオーラを発する目の前の少女から久遠は一歩後ずさり、黒猫は暢気に欠伸をしている。
『んー、二人が廊下に出た頃からだにゃ』
「ほぼ全部!」
『にゃー、空音ちゃんの珍しい姿が見れて楽しかったにゃー』
「っ! 三味線にしてやる!」
ケラケラと笑う世にも珍しい黒猫に本気で飛びかかろうとする空音を、後ろから羽交い絞めにする久遠。それを見てさらに笑う黒猫に、空音がさらに暴れた。
「ちょ、落ち着け! あれ、本当に百瀬なのか?」
『違うにゃ、この仔とちょこっとばかり精神を共有してるだけだにゃ。だから、この仔を三味線にするのはちょっと勘弁にゃ』
「……それが百瀬の能力なのか?」
困ったそうな顔をする黒猫に久遠は訊ねる。
『そうにゃ。これが桃ちゃんの能力……動物縁にゃ』
「動物縁……動物と精神を共有させる感じの能力か……?」
『まあ、大体それで間違いにゃい……にゃ! 先生? 今ちょっと取り込み中にゃのに~、ふにゃ!』
「百瀬?」
突然取り乱したかと思うと、黒猫はひょいっと自動販売機から飛び降りて食堂から出て行った。
「……えっと?」
「ちょ、もういいから離して!」
久遠は空音の羽交い絞めを慌てて解く。
「あ、悪い」
「百瀬さんとのリンクが解けたんでしょ。大方、来栖川先生に授業中能力を使ってるところがバレたんでしょ。……いい気味だわ」
最後にボソッと呟いた空音の声が聞こえた久遠は、少し戸惑った後に思い切って訊ねる。
「もしかして、百瀬のことが嫌いなのか……?」
「嫌い……どうかしら、苦手なのは確かね。能力者でありながら明るい性格にあの人気……どうあっても私と真逆な百瀬さんが羨ましいのかもね。そして、それは―――」
―――妬みと紙一重……
空音が区切った言葉の先に、そう続く気がした久遠は少し考えて口を開く。
「でも……羨ましいって思うのはさ、自分もそうなりたいと思うことだろ? まずは仲良くしてみたら? 向こうは大分、真崎さんに歩み寄ろうとしてるみたいだしな」
明るめに話す久遠の言葉を聞いた空音は俯くと、かろうじて聞き取ることが出来るぐらいの声で喋り始める。
「そうかもね……でも、彼女の近くは暖かくて眩しすぎるの。私は嘘を吐いて逃げた人間だから……」
「え?」
久遠が空音に言葉の意味を訊ねようとすると、授業終了を告げるチャイムが食堂に鳴り響いた。その音が止むと空音は顔を上げて歩き始める。一瞬見えたその顔は、今までのような表情に乏しい顔だった。
「チャイムも鳴ったし教室に戻りましょう。運の悪いことに次の時間は葛城先生の数学なの。だから、もし遅れようものなら……また嫌味を言われるわ」
「あ、ああ」
突然の変化、いや……最初の頃に戻った空音に戸惑う久遠。空音はそんな久遠の戸惑いなど気にもせず、近くにあったゴミ箱に空き缶を捨てる。
「もし、まだ見たい場所があったなら昼休みか放課後にでも案内してあげるわ」
そして、空音はすたすたと食堂の出口へと歩いていく。久遠もただその後ろを付いていくしかなかった。