2
教室に取り付けられたスピーカーからは授業開始を告げるチャイムが流れる。そのチャイムが鳴り終わるのを聞き終えてから久遠は空音に話しかける。
「……えっと、真崎さんだっけ……」
「はあ……ええ、そうよ。上倉君」
「これからどうする?」
久遠は明らかに不機嫌そうにため息を吐いた空音に訊ねる。確かにこれは俺に荷が重そうだ……、と考えながら。空音は手に持っていた教科書やノートを置きに自分の席に戻っていく。
「そりゃ……来栖川先生の有難い言いつけを守るためにも、あなたに学園を案内するわよ」
「どうも」
そう言って空音は机に手荷物を置いて教室から出て行ったので、久遠も慌てて後を追いかけて廊下に出る。
「鞄くらい置いてきなさいよ。邪魔でしょ」
それを見ていた空音は久遠が持つ鞄を指差して指摘する。
「いや、俺の席知らないし……」
指摘された久遠は困ったように言う。空音は指先を鞄から自分の席の後ろに佇む机へと変える。
「あそこがあなたの席でしょ。昨日までは無かったから」
久遠は教室に戻って鞄を机の上に置いてくる。
「教えてくれてありがとな」
「別に。あれだけ収拾がつかなくなってたんだもの。来栖川先生が忘れるのも仕方ないしね」
「いや、原因はお前が「お前って言われるのは嫌いなの。やめてくれる」……真崎さんの質問が原因じゃ……どうしてあんな質問を?」
久遠が通ってきた方向とは逆に歩き始めた空音に、久遠は先ほどの質問の真意を訊ねる。空音は前を向いたまま答える。
「人間、第一印象ってのは大事よ。でも、私たち能力者ってのは、そのことが知られただけで周りの態度が変わる。なら初めに能力者って知っといてもらった方が人間関係なんかは構築しやすいと思わない? そう私は思うけど、あなたの考えが違ったら謝るわ」
空音はそこで足を止めて振り返り、久遠と向き合う。
「いや、確かにな……どうせ能力運用部に入らなきゃいけなかったんだ。それなら最初にバレてた方が傷は浅いかもな。でも、どうして俺が能力者だと?」
久遠は納得したように頷きながらも、新たな疑問が湧き上がった。
「先週の金曜日に来栖川先生が能運部に新しい部員が増えるって言ってたから……学園の能力者は既に全員が所属しているしね」
「ああ、そういうことね。と言うことは真崎さんも能力者でいいんだよな?」
「ええ、ついでに百瀬さんも能力者よ」
「やっぱり……それにしては随分とみんなから慕われているんだな」
久遠は先ほどの百瀬とクラスメイトたちのやり取りを思い出す。能力者は普通の人間には忌避される。そして、それは能力者の人格形成にも大きな影響を与える。大体は人間不信に陥ったり捻くれた性格になったりする。空音は身を翻して再び歩き始めながら言葉を紡ぐ。
「それは百瀬さんの容姿と人柄や人徳のお蔭じゃないかしら。確かに彼女の能力は使い勝手がいいから」
「確かに人柄や容姿は愛されてそうだな。でも、使い勝手のいい能力と百瀬さんの人気にはどんな関係が?」
百瀬の言動や容姿を思い浮かべた久遠は気になったことについて訊ねる。
「私や百瀬さんが所属する能運部っていうのは、能力者が持つ能力を一般生徒のより良い学生生活の為に運用する部なの。そこで、彼女は一般生徒から大きな支持を得ているわけ」
私はあの能力がもたらすモノは厭われと紙一重だと思うけど、と空音は久遠には聞こえないぐらいの小声で皮肉そうに付け加えた。
「なるほど。能力者を孤立させないために、か……百瀬さんは一体どんな能力者なんだ?」
「自分で訊ねなさいよ、そういうことは」
空音はそう言い放ち、すたすたと歩いていく。確かに百瀬の言うように取っ掛かり難い部分はあるが、それなりに面倒見は良さそうだし、訊ねたことにはちゃんと答えてもくれる。そう感じた久遠は空音への評価を改めた。
「そういえば、どこに向かっているんだ?」
「どこにしようかしらね……とりあえず無駄な視線に晒されるのは嫌だから一般教室の前の廊下を歩かないようにしているけど」
久遠が辺りを見回すと確かに一般教室は無く、横の教室のプレートには資料室と書かれている。
「それには俺も賛成だ。もう授業が始まってるしな」
「そうね……あなたはお弁当派? 学食派? それとも購買派かしら?」
「ん、ああ……前は学食が無かったから基本はコンビニで買い弁だったけど、食堂や購買があるなら教えてくれると有難い」
「わかったわ。食堂と購買は一階にあるからそこへ行きましょう。あまり時間も無いから他に知っておきたい場所をリストアップしといて」
「わかった」
二人は階段を下って一階を目指していった。
その頃、生物室では……
「先生ー、どうして授業を欠席させてまで空音ちゃんに上倉くんを案内させたんですか?」
出席を取り終えた来栖川に百瀬が質問をする。他の生徒も疑問に思っていたようで、来栖川に二十八対の視線が集まる。
「ああン、そりゃ能力者同士の方が気兼ねなく……「初対面の上倉くんと空音ちゃんが?」……まあ、何とかなるだろ。どうせ上倉も能運部所属だ。早いか遅いかの違いだろ」
百瀬の疑問に適当に答える来栖川に生徒は苦笑する。先ほどはざわめいたが、二年A組の生徒たちは学園では能力者に理解のある方だ。それは、百瀬の人気もあるが、空音の能力や他の能力運用部の部員に助けられた生徒も少なからずいるからだ。
「でも、それなら同じ能運部に所属の私でも……「確か百瀬の一年の時の評定平均は……」それだけはやめてー」
いやー、と叫ぶ百瀬を見て、生物室は笑いが起こった。
「ほら、雑談はこれぐらいにして今期の授業の説明をするぞ」
「それって教室でも良かったんじゃ……?」
「いちいち口を挟むな、百瀬。お前の単位をアヒルから煙突にするぞ」
「ふえ! 二年になってから始まった生物で既にアヒルさん扱い! しかも、それがあの噂の煙突に! 先生、それはいくらなんでも職権乱用です!」
「あ、いくらバカ桃でも煙突は無かったんだ……」
その言葉に百瀬の隣に座っていた関川がボソッと呟く。
「あー、ひどっ! みゆみゆまでそんなことを!」
「だ、誰がみゆみゆだ! このバカ桃!」
二人はきゃーきゃー、と騒ぎ立てる。それを見ていた来栖川の蟀谷に青筋が浮かび始めた。
「あ、二人とも、先生が……」
同じ机に座っていた一人の女子が黒板の前に立つ来栖川を指差す。二人がギギギッと顔を来栖川に向けるとそこには普段は絶対に見せないだろう満面の笑みを浮かべていた担任の顔。だが、目は笑っていない。
「そ、それじゃ、ちゃっちゃと授業に入りましょうよ。先生!」
「そ、そうですよ。私たちも来年は受験生だし、今からしっかり勉強しておかなきゃ……」
「そうだな、関川の言う通りだ。そんな勉強熱心な二人には放課後、特別に課題をやるからちゃんと顔出せよ」
「「そ、そんな~」」
二人の叫びが生物室に木霊した