13
その週は通り魔事件以外、特に大きな事件も問題も起きず、平和に過ごせた久遠は神薙学園に転入して初めての休日を遅い目覚めで迎えた。
「……十時過ぎか。いい加減そろそろ起きるか」
ベッドから起き上がった久遠は頭を掻きながら一階のリビングへと向かった。リビングへのドアを開けるとコーヒー片手に新聞を読む夏葵がいた。
「おそよう、久遠」
「あれ、ば……夏葵さん。研究は?」
「まずはおはようだろ? 久遠」
「いや、おそようって……」
「久遠」
「……おはよう、夏葵さん」
「おう、久遠もコーヒーを飲むかい?」
「濃いめで……」
久遠はそう言い残して洗面所へと消えていった。顔を洗いに行っただろう久遠の後ろ姿を溜息混じりの苦笑を漏らした。
「しかし、家に家族がいるってのはいいもんだね……」
そう言ってコーヒーを啜る夏葵の顔は穏やかなものだった。しばらくすると、いくらか目をパッチリさせた久遠がリビングに入ってきた。
「飯はどうする?」
「なんか軽く食べる……」
「はいよ。パンとサラダで良い?」
「うん……」
親子のような姉と弟のような、はたまた新婚のような……だが、それのどれとも少し違う雰囲気の中で遅い朝食を取る。新聞を読んでいた夏葵がふと視線を久遠に移す。
「そうだ、今日ってなんか予定ある?」
「うんや、特には……」
「ならアンタの生活雑貨を揃えに駅前まで行かない? 急だったから必要最低限しか揃えてないし、それに食材や日用品も買わないといけないしね」
新聞に折り込まれていたチラシを眺めながら話す夏葵。久遠は最後の一口を咀嚼してコーヒーで飲み込んだ。
「……わかった。もう出かけるなら着替えてくるけど?」
「今洗濯機回してるからそれが終わったら出ようか」
「了解。……ご馳走様、とりあえず着替えてくるよ」
「お粗末様。朝食も軽めだったし昼は駅前で食べようか?」
「おっけー」
久遠はそう言って食器をシンクに運んでリビングを出ていった。それと同時に洗濯機の脱水終了のアラームが鳴ったので夏葵も席を立った。
天気は快晴。洗濯物を干し終えた夏葵も出かけるために支度をし、二人は一緒に駅前へと向かった。駅前は休日らしく家族連れやカップル、学生グループなどで溢れかえっていた。
二人は複数の店を見て回り必要な物を買い揃えていく。時間はあっという間に過ぎて時刻は午後一時過ぎ。遅めの昼食を取るために二人は喫茶店『フラワーガーデン』に入った。
「いらっしゃいませ、二名様ですか?」
「はい」
「こちらの席へどうぞ」
店員に案内にされて二人は窓際の四名掛けテーブルに座る。
「ご注文が決まりましたらこちらのボタンでお知らせください。ごゆっくりどうぞ」
そう言ってお辞儀し、営業スマイルを見せた店員はその場を後にする。久遠がテーブルに置いていかれたメニューを開こうとすると、隣から視線を感じた。
「?」
「あ、やっぱり久遠くんだ」
「お、ホントだ」
「優月先輩に春日先輩……」
久遠が隣のテーブルに視線を移すと私服姿の優月と目が合った。優月の正面にはこれまた私服姿の春日がいた。
「こんにちは。久遠くん」
「……こんにちは」
「ん? どちら様だ、久遠」
優月と久遠のやり取りを見ていた夏葵が久遠に訊ねる。その時、夏葵が久遠の名前を呼び捨てで呼んだ瞬間、春日の目が変わったのを優月は見逃さなかった
「こちらの二人は能運部の先輩の春日先輩と優月先輩。で、この人は俺の「彼女か?」……」
「ちょ! こーた!」
僅か一週間とはいえ、この春日という人間は面白いことが大好きな人種というのが久遠にはわかった。鷹匠の言っていた年中お祭り騒ぎ金髪馬鹿頭というのは案外、的を射たものだったな、と思う久遠だった。
春日と優月が何やら言い合っているが、夏葵は咳払いをして二人の注目を集める。
「従姉だよ。名前は上倉夏葵、久遠の保護者だ」
「上倉……」
「……夏葵」
夏葵の名前を聞いた二人はその言葉を咀嚼するように呟く。夏葵はそんな二人の様子を見て穏やかに微笑む。
「十年振りぐらいか……二人とも息災で何よりだよ」
「あ、やっぱり上倉博士だったんですか……お久しぶりです」
昔のことを思い出したのか、優月は嬉しそうな表情を浮かべた。それを見た久遠は夏葵に訊ねる。
「夏葵さん、知り合いだったの?」
「ん、まあ昔馴染みというか……言い方は悪いが元研究対象だったんだよ。こいつらは第一世代だからな」
夏葵の言葉に二人の表情が一瞬沈んだ。
「ってことは……」
「十三年前に起きた最初に起きた黒昼の日の被害者だよ、この二人は」
十三年前のある日、突如世界は闇に覆われた。その日からこの世界に物理法則や人智を超えた能力を持つ者が世界に現れるようになった。
最初の黒昼の日を含めて計三回、世界は闇に覆われた。それから黒昼の日の後に発現した能力者をそれぞれ第一世代、第二世代、第三世代と分類している。
「……」
「あの日を境に重度の心的外傷後ストレス障害になった奴は能力に目覚めるようになった。そして、能力に目覚めた者は普通の人間に差別される。人間は自分たちと違うモノに畏怖して排他的になる……」
能力者になるものは全て心的外傷後ストレス障害による後天性で、生まれつきの能力者は今のところ確認されていない。突然の事故や虐待などによって心の傷を負い、その所為で能力に目覚めて普通の人間からは差別される。そして、心のバランスを崩していく。
「……いるんだよね。心が弱いからそんな訳のわからない能力に目覚めるんだって、能力者に目覚める確率なんて心的外傷後ストレス障害をなった内のほんの僅かだろって……そりゃ確かに正論でもあるわな。でも、その正論に押しつぶされる側の存在がいることも想像してみろ。それに、お前らはあの絶望感を味わったことがあるのかって思うよ」
春日は忌々しそうに吐き捨てるとお冷を一気に呷った。春日の話を聞いて優月は悲しそうな顔をし、久遠は黙り込んでいる。
「……」
「どうした、上倉? そんな強張った顔して……」
「いや、ちょっと……自分のした過ちをこう突きつけられて、その被害者がこう目の前にいるとくるものがあるな、と……」
何気なく久遠のことを見ていた春日は不意に訊ねる。それに対して久遠の声は段々と小さくなっていった。
「? あんだって?」
「こーた。……だめだよ」
もう一度訊き直そうとする春日に優月が首を振る。窓際で明るいこの場所では、常人よりも遥かに良い聴力になる優月には久遠の言葉が聞こえた。意味はわからなかったが、あまり踏み込んでいいことでもなさそうと判断して春日を戒める
「……さて、とりあえず注文しようか。優月たちはもう昼は済ませたのか?」
「あ、はい」
微妙な空気を振り払うように夏葵が話題を変え、優月もそれに乗っかることにした。久遠は人知れず溜息を吐いた。
「そっか、ならこっち来てデザートでも頼まないか? 昼食分も含めてお姉さんが奢ってやるよ」
「いいんスか?」
「ああ、その代わりにこれからも久遠をよろしく頼むよ」
夏葵は保護者らしい提案をして微笑んだ。
「それはお安い御用ですけど……こいつの食べる量ハンパないですよ」
「え?」
春日に手渡された伝票を見た夏葵が固まる。固まった夏葵の手から久遠は伝票を抜き取り金額の部分を見る。
「一万越え……二人で、ですか?」
「おう」
唖然とした久遠の問いかけに春日がどこか達観した様子で答える。それに対して優月は剥れた様子で注釈を入れる。
「わたしの能力ってカロリーをたくさん消費するんだから仕方ないの」
「常時発動してるんですか?」
「そうしないと日中は外も歩けないしね」
「メラニン不足を赫炳姫で補っている、だったな」
復活した夏葵が優月の体質と能力について説明する。
「メラニン色素がないと紫外線を吸収できないので、太陽光線による細胞へのダメージを防ぐことができない。そのため、アルビノは皮膚がんになりやすかったりするのだが、優月の能力である赫炳姫の恩恵とも言うべきか、光を自身の糧にすることで日常生活に支障を来さないようにしている。だよな?」
「流石、上倉博士ですね」
「まあな……ほら、二人ともこっち座りな……金のことは気にするな」
夏葵の言葉に二人は荷物と伝票を持って久遠たちのテーブルへと移動する。
「いい加減あたしらも注文しようか。二人も好きなもの注文しな」
「ういっス」
「はい。それじゃあ……クイーンラブベリーチョコパフェとキングスターズメロンクリームパフェで」
「うわ……ロイヤルパフェかよ……」
「何ですか? そのロイヤルパフェって?」
「このフラワーガーデンの名物でもある四つのパフェのことをロイヤルパフェって言うんだよ……あとプリンスとプリンセスがある」
「ああ、キングにクイーン、プリンス、プリンセスでロイヤルってことですか」
「驚くべきはその質と量、……そして、値段だ」
春日の言葉に久遠は軽食のページからスイーツのページへとメニューを捲る。そこにはでかでかとロイヤルパフェの四つが載っていた。それぞれの紹介文には女子が好きそうな謳い文句があるが、カロリーの部分を見たら引くのではないだろうか。
そして、値段がおかしい。四つ合わせて一万近くとはどういうことなのだろうかと真剣に考え込む久遠だった。
「……」
「でもでも、美味しいんだよ! 久遠くんも後で食べてみるといいよ」
斜め向かいに座る優月は考え込む久遠の姿をどう捉えたのか、体をテーブルに乗り上げてキラキラした目を向けてきた。
「いや、遠慮しておきます……俺、甘いのは得意じゃないんで」
「そっか……ざんねん。あ、上倉博士はどうですか?」
残念そうな顔を見せるのも一瞬、優月は次のターゲットを隣に座る夏葵へと変更する。
「いや、あたしも甘いのは苦手なんだ……」
「そうですか……ざんねん」
結局、二人にロイヤルパフェの素晴らしさを伝道することは叶わなかった。
「そうだ、あたしのことは夏葵さんとでも呼んでくれ。博士なんて呼ばれたら休日気分も台無しだ」
「……わかりました。夏葵さん」
苦笑いしながらそう言う夏葵の言葉に少し複雑そうな表情を一瞬だけ見せた二人を久遠は見逃さなかった。
「……」
「久遠はもう注文は決まったか?」
「ん、ああ」
「そんじゃ店員を呼ぶか……」
ピンポーン、という音が店内に響き、すぐさま店員が四人のテーブルに駆け寄ってきた。