5 夕暮れの街の記憶①
「いいか。凪沙。絶対にもうあの死神とはかかわり合うなよ」
夕斗は凪沙の家の前の道まで来ると、(もう遅かったので途中まで送ってくれたのだ)言い聞かせるようにしてそう言った。
「・・・何で?」
凪沙のその言葉に夕斗の表情がみるみる怒りへと染まっていく。
「何でってあいつは死・・・」
「ティバ泣いてた!!」
凪沙は夕斗の言葉をさえぎるようにして叫ぶ。こんなの自分らしくないと思っていても、自分の口から出てくる言葉は止められない。
「姿を消す一瞬、ティバ泣いてた。ティバは死神じゃない・・普通の女の子だよ」
「・・・・・」
それでも夕斗は怒りの表情を動かそうとしない。凪沙は思わず夕斗から視線をそらした。
「・・あいつはお前を裏切った・・そうだろ!?」
「分かってる」
凪沙は視線をそらしたまま、それだけ答えた。ティバのせいで危険な目にあったことは十分すぎるくらいに分かっている。
でもティバの涙を見たら、そんな事どうでもよくなってしまった。きっとティバは苦しんでいるのだ。誰にも言えない心の闇を抱えているに違いない。
「俺には分からない。あいつはただの死神だ」
「ティバは死神じゃない」
「--っ!!」
突然、夕斗は凪沙の襟元を掴んで乱暴に引き寄せる。
「お前は何も分かってない!!あいつは・・あの死神は俺の兄貴を殺したんだ!!!」
夕斗は叫ぶようにして言うと、凪沙を乱暴に突き放し、夜の闇の中へ走り去って行った。
最悪の気分で玄関の扉を開けると、すぐに母が駆け寄ってきた。
「凪沙、遅かったじゃない・・・・どうしたのっ?その汚れ!」
母は制服にこびりついた泥を見るなりそう声をあげる。
「何でもないから」
凪沙は流すようにそう言うと、母を素通りして自室への階段を上がる。
「夕ご飯、食べるの待ってたんだから早くしてよ~」
凪沙はその声を背中で受け止めると、自室のドアを開け、そのままベッドに倒れこむ。
(疲れた・・・)
凪沙は自室へ行くと、そのままベッドへ倒れ込んだ。そして白い天井をじっと見つめる。
・・・あんな取り乱した夕斗、初めて見た。いつも怒っているような気がするが、今回のはそれ以上だろう。
“死神は兄貴を殺した”夕斗が言っていたその言葉が頭にこびり付いて離れない。そしてそれは前に夕理が言っていた、“兄さんは死神に殺された”という言葉とかぶっているように感じて仕方がなかった。
それでも凪沙はティバが誰かを殺すなんてこと、信じられない。いや、信じたくない。
それは凪沙の祈りにも近かった。
「・・・-ひっく・・・-ひっく・・・」
「-・・・?」
凪沙はだれかの声でふと目を覚ました。
周りはほのかに明るい。といっても、時計を見ると約午前二時。凪沙はいつも小さな電球をつけて寝ているのだ。
(今、誰か泣いてた・・?)
この部屋にいるのは、今凪沙一人だけのはずだ。凪沙はゆっくりとベッドから体を起こす。
(いったい誰が・・・)
よく目を凝らして見ると、凪沙の勉強机の前に置いてある椅子に、誰かが腰かけていた。
「私・・・まだ死にたくない・・」
「僕もだ・・・」
どうやらそこにいるのは、一人だけではなさそうだ。それに凪沙はこの二つの声に聴き覚えがあった。
「・・・ア二タ?レイタ?」
「・・・凪沙にお願いがあるの」
女の子のア二タが呟くようにそう言った。そして凪沙のベッドに上がりこむと、凪沙の手を両手で握りしめる。その手はティバと同様、ひんやりと冷たかった。
「私たちを・・笛に眠っている魂達をルビデから守ってほしい・・。私たちの望みはただ安らかに眠ること・・」
「・・・・・」
凪沙はアニタの緑がかった瞳をじっと見つめる。その瞳からは今までと同様、何の感情も読み取ることはできなかったが、そこにはかすかに涙が浮かんでいる。
しかし凪沙はアニタの手を優しく振りほどいた。
「・・分からない・・」
アニタの表情がかすかに動いた。
「何で・・だ?・・何で僕たちを助けてくれないんだ?」
今度はアニタの後方に立っていたレイタがそう呟く。凪沙はレイタの言葉にドキリとしたが、はっきりとした口調で言った。
「私はティバの事が心配なの」
今度は二人の表情が大きく動くのが分かった。
・・・─悲しみへと。
「私は・・ティバが何を考えているか知りたいの。そしてどうすればティバを救えるのかも」
アニタとレイタは二人でお互いの顔を確認しあうと、ゆっくりと口を開いた。
「凪沙がそこまでティバの事が心配なら、私たちでティバについて知っている限りの事を教えてあげる・・・・」
アニタは悲しそうにそう呟いた。
ここはハーメルンの町。
木組みの家が並んだ石畳の通りを、一人の赤毛の少女がその髪を風になびかせながら走っている。そして彼女はある家の前まで来ると、その歩みを止めた。
「こんにんちはー。アニタ、レイタ、遊ぼうー!!」
彼女は元気にそう言いながら、玄関の扉を押し開ける。
「あら。ティバちゃん。いらっしゃい」
リビングで編み物をしていた、アニタとレイタの母が、赤毛の少女ーティバを笑顔で迎え入れた。
「あ。おばさん、こんにちは。これ、今朝市場で買った物なんですけど皆で食べてください!!」
ティバはそう言うと、りんごの入った紙袋を手渡した。
「いつもありがとね・・・アニタとレイタなら二階にいるわよ」
「はーい!」
ティバはそう言うと、元気に階段を駆け上がった。
「ティバ、また来たの?」
金髪と緑の目を持つ少女ーアニタは部屋に元気よく入ってきたティバを見て、ため息混じりにそう言った。
「別にいいでしょー?だって家に一人でいても暇なんだもん」
すると、ベッドに横になって本を読んでいたアニタとそっくりな男の子ーレイタが口を開いた。
「別にいいんじゃない。どうせ僕らも暇だったんだしさ」
「アニタとレイタも暇だったんだ!それなら良かった!」
ティバはそう言うと、アニタの腕を掴み、部屋の真ん中にある小さいテーブルの前に座らせた。その隣にティバも腰を下ろす。
「ね?アニタ。今度はどんな絵を描いたの?」
ティバは頬杖をつきながらアニタに問いかける。
「別に・・・いつもと同じよ」
アニタはそう答えながらティバにスケッチブックを手渡した。ティバはそれを嬉しそうに受け取ると、パラパラと一枚一枚めくる。
その微笑んでいる横顔はとても可愛らしい。アニタもそんなティバを見て、いつの間にか微笑んでいた。
「やっぱりアニタは絵上手だよねー!将来、絶対画家とかになれるって!!」
「そんな事ないわよ・・・」
アニタはそう言うと、顔を伏せる。確かに小さい頃は画家という職業に憧れて、それを目指したこともあった。しかし今では“それは無理”と決め付けてしまっている自分がここにいる。
ティバはそんなアニタを見ると、突然立ち上がった。
「そうだ!!ね?アニタ、レイタ、街に行こう!」
「え?」
「街には楽しい事がたくさんあるんだよ」
ティバはそう言うと、満面の笑みでアニタに手を差し伸べる。
「・・そうね」
アニタは少し躊躇いながらそう答えると、ティバの手を借り立ち上がった。室内で遊ぶことの多いアニタにとって、街に出かけることはほとんどなかったのだ。
「僕は行かないよ」
突然レイタが口を開いた。
「街へいくより、ここで本を読んでたほうが楽しそうだし」
するとティバは、レイタの元へ近づき、その腕を引っ張った。
「だーめ。レイタも行くの。だって二人で行くより、三人で行ったほうが楽しいに決まってるでしょ?」
そう言うと、ティバはレイタを無理やりベッドから起こし、アニタの隣まで彼を連れてくる。
「よしっ!!じゃあ、出発~!」
ティバはそう楽しそうに言うと、階段を駆け降りた。その後にしぶしぶレイタも続く。
アニタはやっぱりそんなティバを見ていつの間にか微笑んでしまう。そしてそんな自分に気づいて、時々自分自身に驚く。
アニタはティバの事が大好きなのだ。
♪~♪~♪
ティバは街へ向かう途中、歌を口ずさみ始めた。アニタはこの曲を知っている。ティバが家に遊びに来た時、よく歌っていた曲だ。
しかし、ア二タはこの曲の歌詞をすべて知っているわけではない。ティバの声が小さすぎて、聞きとりたくても聞き取れなかったのだ。
ただ分かることは、その曲はどことなく寂しい雰囲気をもっているということだけだ。
「ティバがいつも歌っているその曲はどんな曲なの?」
アニタが尋ねると、ティバは決まって
「私の一番のお気に入りの曲なの」
と笑顔で返すだけで、その曲のすべてをアニタに教えてくれることはなかった。
そして時はたち、夕方。
ティバとア二タとレイタは三人肩を並べ、ア二タとレイタの家への道を歩いていた。ティバとア二タは二人でお揃いのぬいぐるみを買った。そうやらレイタは(手に持っている紙袋の形からして)本を買ったらしい。
「どう?二人とも楽しかった?」
ティバは笑顔でアニタとレイタに問いかける。
「ええ。楽しかったわ」
アニタは微笑んでそう答えた。
「レイタは?」
「・・・まぁまぁかな」
レイタは表情を変えずに、そう呟いた。しかし、レイタの顔をいつも見ているアニタにとって、その顔は微笑んでいるように見えた。それに気づいてか気付かずか、ティバはレイタにも満面の笑みを返す。
そして三人の隣を何人かの青年が通り過ぎた。
「知ってるか?この街の噂」
「知ってる知ってる!夜になって街の明かりがすべて消えると、現れる“悪魔”の事だろ?」
「そうそれ。それにその悪魔は人間の魂が大好物らしいぜ」
「こわっ!!」
アニタは、聞こえてきた青年たちの言葉にドキリとした。ティバも恐怖の入り混じった表情でアニタを見つめている。
「アニタ・・そんな噂、聞いたことある?」
「いいえ・・・初めて聞いたわ・・」
すると、そんな二人の様子を見ていたレイタが口を開いた。
「この前読んだ本に書いてあったんだけど、魂を食らう種族のことを“ルビデ”と呼ぶらしいよ。けどそれは神話や伝説上の生き物で、実際には存在しないけどね」
その言葉を聞くと、二人の顔はみるみる穏やかになる。
「なんだぁーそれなら良かった。実際いたらどうしようかと思っちゃった!ねー?アニタ」
「・・ええ。そうね」
アニタはこの時、心から安心した。よく考えれば分かることだ。魂を食らう生き物、ましてや“ルビデ”なんて種族、この世に存在するはずがない。
・・・・少なくともその時はそう思っていた。
「じゃーまたね。アニタ、レイタ」
ティバは家の前まで来ると、二人に手を振りながら元気にそう言った。
「またね」
「またな」
その時、ティバの動きがピタリと止まる。
「何か聞こえる・・・この曲って・・」
ティバは呟くように言うと、突然走りだした。
「ティバ!?」
アニタはティバの突然の行動に戸惑いながらも、ティバの後に続き走り出す。
・・・・そうしないと、何となくだがティバに一生会えなくなってしまう、そう感じたからだ。
「私はその後も、ティバの後を追い続けたわ。でも私の足では、ティバに追いつくことができなかったの」
アニタは寂しげにそう言うと、凪沙の隣でうずくまるようにして座り込んだ。
「確かにあの時、あのメロディーが聞こえたんだよな」
レイタの声にアニタは顔を上げる。
「コーガンドが吹く音色が」
「・・・ええ」
「・・それで、その後どうなったの?」
凪沙は好奇心が抑えきれずに、二人にそう問いかけた。二人は再び顔を見合わせると、ア二タは再び静かに口を開く。
「・・その後、ティバは私たちの前から姿を消したの・・。そしてティバが失踪してから数日後、またあのメロディーが聞こえてきたわ」
夕日が二人の部屋をオレンジ色に染め上げた。
そして今日もアニタは部屋の窓から夜になりかけている町を見下ろしている。その町並みからはいくら探してもティバの姿はない。
(ティバはどこに行ったのかしら・・・)
数日前まで必ずといっていいほどに聞こえてきた、階段を駆け上がる足音は最近めっきり聞こえない。
そしてかるく溜息をつくと、窓を閉めるため、取っ手に手を伸ばした。
「ア二タ、何か聞こえないか?」
突然、ベッドに仰向けに寝転がっていたレイタが口を開いた。
「え・・」
そしてかすかに・・・・しかしはっきりと聞こえた。
「レイタ・・・」
「ア二タ。行くぞ!」
レイタはそう言うと、素早く起き上がり、階段を一目散に駆け降りた。その後にアニタも続く。
(もしかしたら・・この音色の先にティバがいるかもしれない・・)
アニタは胸に微かな希望を抱きながら、必死になって音色の音源を目指した。
しかし、そこに待っていたのはティバではなかった。代わりに飛び込んできたのは、信じられない光景だ。
アニタとレイタが、笛の音を追ってたどり着いた場所─森の中の洞窟の前には、数えきれないほど多くの子供たちが集まってきていた。そしてその顔には見覚えがある。ここにいるのは皆、ハーメルンの町の子供たちだったのだ。
(皆、もしかして笛の音を聞きつけてここまでやって来たの・・?)
「初めまして。皆さん」
聞き覚えのない男性の声に視線を走らせると、ちょうど洞窟の入り口付近に大きな帽子を被り、フードをはおった男が立っているのが見えた。
「こんにちは。私は“悪魔狩り”のコーガンドと申します」
その男─コーガンドは帽子を外し、軽く頭を下げながら丁寧にそう言う。
(悪魔狩り・・?)
「私は悪魔の中でも、人間の魂を食らう種族“ルビデ”を狩ることを生業としています」
その言葉に子供たちの中にざわめきが起こる。どうやらあの噂は町中に広まっていたらしい。
「ルビデなんて生き物、この世にいるわけねーだろ!!」
恐怖に耐えきれなくなったのか、子供の中の一人が恐怖が入り混じったような声を上げた。すると、コーガンドの顔にかすかな笑みが浮かぶ。
「それはあなた達が何も知らないだけです」
『─!!』
アニタは他の子供たちと同様、恐怖でいっぱいになった。
(あの噂は本当だったんだわ・・)
「そこで今日、あなた達をここへ呼んだのには大きな理由があります」
アニタはその言葉にさらにドキリとした。
(─・・・呼んだ?)
「ア二タ!」
突然名前を呼ばれ、振り返ると、少し離れた所でレイタが手まねきをしていた。
「はやくここから離れるぞっ」
レイタは小声でそう言うと、ア二タに背を向け、足早に歩き出す。
「─・・ええ」
アニタも迷わずレイタの後に続く。明らかに今の状況は普通ではない。アニタもそう感じたからだ。
「待ちなさい」
「!!」
その声にアニタの背筋が凍りつく。そして歩みを止め、恐る恐る後ろを振り返った。そして、子供たちの視線の先にあるコーガンドの視線とぶつかった。
「命が惜しければ、ここを立ち去らないことです」
コーガンドは妙に落ち着いた声でそう言った。
「・・・」
アニタとレイタは二人で視線を交わすと、おとなしくコーガンドの言葉に従った。いや・・・従わざるをえなかった。
コーガンドは二人から視線を外すと、目の前にいる子供たちをゆっくりと見渡す。
「さて、これから皆さんにはこの洞窟に入ってもらいます」
そして背後にあった洞窟を指差した。
「・・・・・?」
「今、皆さんの魂がルビデに狙われています・・ルビデは魂の中でも若く、生命力で溢れている子供の魂を狙いますからね。だから私は皆さんをここへかくまっておきたいのです」
コーガンドは流すように言うと、子供達を洞窟の中へ導き始めた。子供たちは戸惑いながらも、ぞろぞろとその中へ入っていく。
そして最後にアニタとレイタだけが外に取り残された。
「あんたの言葉に嘘はないよな?」
レイタは洞窟の前で歩みを止めると、疑いの入り混じった視線をコーガンドに向けながらそう言った。
「もちろんです。私を信じてこの中で待っていてください」
そう答えると、コーガンドは二人に向かって優しく微笑む。
レイタはその言葉を信じたらしく、他の子供たちと同様、洞窟の奥の方へと消えていった。アニタはレイタの後に続こうとして歩みを止める。アニタにはさっきから、どうしても気になっていることがあったのだ。
・・・・それはティバだ。ティバはここにも姿をみせていない。
「あのっ・・・。ティバ・・赤毛の髪に薄いグレーの瞳をもった女の子を知りませんか?」
アニタは意を決してコーガンドにそう尋ねた。コーガンドは少しだけ驚いたように目を見開くと、すぐに柔らかい声で言葉を返す。
「・・・彼女はまだここに姿をみせていませんか・・でも心配いりません。すぐにここへ姿を現しますよ」
そして、アニタの肩に手を乗せ、優しく洞窟の中へ導いた。
アニタは彼の手の大きさにドキリとしたが、不思議と怖い感じはしなかった。反対に彼からは自分たちを思ってくれているという優しい感情がひしひしと伝わってくる。
そして、きっと彼ならティバと私を再び会わせてくれる、何となくだがそう感じた。
「いいですか。朝日が上るまではここから決して出ないでください」
そう言い残すと、コーガンドは暗闇に染まった森の中へ姿を消した。
夜の闇の中、町の明かりとはほどはなれた暗い木の枝に、一人の少女が腰掛けている。そして彼女は、その漆黒の髪を微風になびかせながら何かの歌を口ずさむ。
しかしその歌声は、あまりにも弱々しく聞き取ることができない。
(凪沙は私の事嫌いになっちゃったよね・・・)
黒髪の少女─ティバはその口の動きを止めると、町の明かりを見つめながらそう思った。
・・・・こんな自分嫌われて当たり前だ。だって私は凪沙を裏切った。いや、裏切るために近づいた。
すべてはあの時悪魔と交わした約束のため。私はあの130人の枠からまんまと抜け出し、代わりにそこへ凪沙を押し込んだのだ。
(・・おなかすいた・・)
ティバは木の枝から身軽に飛び降りると、丘の上の道に沿って歩き出した。すると、目の前に人影が現れた。その人は、携帯電話で楽しそうにお喋りに没頭している。
ティバは何のためらいも無く、手に現れた鉛色の鎌でその人の全身を切り裂いた。話し声はピタリと止まり、その人はティバの足元に崩れ落ちる。
《死神》
そんな単語がティバの頭の中に木霊した。
あの笛使いは私をそう呼んだ。間違ってはいないと思う。人の命を奪ったのだから、そう言われるのは当たり前だ。でもそれは悪いことだとは思わない。
だって何かを得るためには、何かの犠牲が必要になってしまうと思う。その犠牲を恐れていたのでは、大切なものは何も手に入らない。
その時突然、腕を力強く引っ張られた。
「!!」
ティバはその力にされるがままに、丘の斜面の芝生の上に倒れこむ。すると、見慣れた金色の瞳と眼が合った。
「ティーバっ遊ぼうぜ!」
「シアン・・急に引っ張んないでよー」
ティバは楽しそうに自分の瞳を覗き込む青年ーシアンに向かって、困ったような笑みを浮かべる。
「だってさー。暇だったんだよー」
シアンはそう言うと、仰向けに寝転がった。ティバもシアンと同じようにして体を上に向ける。
「何でさ、ティバはさ、いつも悲しそうな顔してるんだ?」
シアンは、夜空を見上げながらティバにそう問いかけた。
「・・えー。私別に悲しい顔なんかしてないよー?」
ティバも夜空を見上げながらそれに答える。
シアンとは昔からの付き合いだ。昔といっても、出会ったのはティバが“死神”になってからだが。ティバは軽くため息をつくと、再び夜空を仰いだ。そこには、数え切れないほどの星たちが、小さな光を出して輝いている。この空は、あの時の空と同じだった。
そしてそれと同時によみがえる情景は、夕日色に染まった町並み。
・・・・─そしてあの人が吹く笛の音だ。
ティバはいつの間にか、このハーメルンの町を見渡せる高台に来ていた。もうすっかり辺りはオレンジ色に染まり始めており、夜が近いことを知らせている。そして少し離れた所にあるベンチに、人が座っているのが見えた。
どうやらこの音を奏でているのは、その人のようだ。すると彼はティバの存在に気づいてか、指の動きを止め、肩越しにティバを振り返った。
「こんにちは。あなたは・・この町の方ですか?」
彼ーコーガンドはそう言うと、ティバに向かって微笑む。
「あっ・・・はい」
ティバはコーガンドの笑顔にドキリとしたが、何とか彼の質問には答えることができた。
「あのっ。笛お上手ですね・・・何というか、私のお気に入りの曲に雰囲気がよく似ていて、ついついここまで来ちゃいました・・」
ティバがもごもごと口ごもるように言うと、コーガンドは再び微笑んだ。
「そうですか・・それなら、もっとよく聞かせてあげますよ?どうぞ隣に座ってください」
コーガンドはそう言うと、視線を再び前へ向けた。
「・・・」
ティバは内心でドキリとしながら、コーガンドの座っているベンチに近づき、隣に腰を下ろす。
「・・・私はコーガンドと申します。あなたのお名前は?」
「・・ティバです」
すると、コーガンドは再び微笑んだ。
「ティバさんですか・・あなたは私がこの町に来て最初の“出会い”ですね」
「-・・・」
「では聞いてください。ティバさん」
コーガンドはそう言うと、手に持っていた横笛で、再びメロディーを奏で始めた。ティバはその時、嬉しさでいっぱいになった。やっぱりそのメロディーは、自分のお気に入りの曲にそっくりだ。
そしてティバは、できるだけ小さな声で、彼のメロディーに合わせその歌を口ずさんだ。
「さて、ティバさん。日も落ちましたし・・お帰りになってはどうですか」
コーガンドは夜景に染まった町並みを見下ろしながらそう言った。
「・・・いやです」
ティバは内心で悪いと思いながらも、はっきりと言った。すると、コーガンドは困ったように微笑む。
「お母さんやお父さんが心配してますよ?」
ティバは予想できた言葉にたんたんと言葉を並べる。
「・・・・私に両親はいません。今は、親戚の家に家事の手伝いをする事を条件に置いてもらっているんです」
コーガンドの瞳がわずかに見開かれるのが分かった。それでもティバは気にせず言葉を続ける。
「それに・・あの人は私の帰りが遅いからといって心配するような人じゃありません」
「・・・・・」
きっと優しい彼なら自分が望んでいる言葉を返してくれるだろう、そう思った・・だが。
「だめです。今すぐ帰りなさい」
「─・・!」
「帰るべき場所があるなら、ちゃんとそこへ帰るべきだと思いますよ」
コーガンドはそう言うと、その場で立ち上がる。同時にティバ心に寂しさと不安が溢れだした。
「コーガンド様・・どこに行かれるんですか?」
ティバはコーガンドを見上げながら、弱弱しくそう呟く。
「仕事です・・もう暗いですから気をつけて帰ってくださいね」
「・・・」
コーガンドの姿がどんどん闇に溶けて見えなくなっていく。その時ティバは心に決めた。
(私は・・・帰らない!)
そして、コーガンドに気づかれないように、彼の後に続き歩き出した。
コーガンドは、しばらく歩くと歩みを止めた。ティバはコーガンドが止まるのと同時に、近くにあった街灯の後ろに身をひそめる。
(仕事って・・こんな真夜中にいったい何をするの・・・)
辺りはすっかり、完全な闇と静寂に包まれている。ティバはその暗闇と静けさに恐怖を覚えた。
「くすす。愚かな人間がやって来た」
突然、可愛らしい女の子の声が闇の中に木霊した。そしてティバは、驚きのあまり息を呑んだ。コーガンドのすぐ目の前に、金色に輝く二つの点が浮かんでいる。いや、よく見るとそれは金色の瞳だった。
すると、金色の瞳を持つ少女はコーガンドにニコッと笑いかけた。
「ねぇ。あなたの魂はどんな味がするのかなァ?」
「-・・・」
そして次の瞬間、コーガンドはベルトにかけてあったナイフを取り出し少女の首元に突きつけた。少女はそれに動じる様子もなく反対に楽しそうに言う。
「あなたなら知ってるよねェ?私たちルビデには物質を通した攻撃は効かないってこと・・」
「!!」
そしてそれとほぼ同時に、少女は空中にふわっと浮き上がった。コーガンドの周りにヒラヒラと黒い羽が舞い落ちる。金色の瞳を持つ少女には、闇に溶けこむような漆黒の翼が生えていたのだ。
「くすす」
少女は軽く笑い声を漏らすと、空中高く浮き上がり、周りにあった家の屋根の上に着地した。そして次の瞬間、ティバは恐怖のあまりその場で凍りついた。
空中高くにたくさんの金色に光る玉が浮いている。それはすべて、黒い翼を持つ者の瞳だったのだ。
「また俺達の前に姿を現すか。笛使い」
低い男性の声が暗闇に木霊した。
「・・私は何度でも現れますよ。あなた達ルビデがこの世から消えない限り」
コーガンドは驚くほど落ち着いた声でそう言った。
「あらー。あなたにできるのかしら?坊や」
すると、今度はコーガンドのすぐ隣に、彼より明らかに年上の女性が舞い降りてきた。すると彼女は、コーガンドの唇に自分の唇をそっと近づける。
「あなたの魂、とてもいい香りがするわ。でも、もう少し年上の方が好みかしら」
コーガンドは彼女の行動に何の動揺も見せず、ただその場で彼女の瞳を刺すように睨みつけている。
(コーガンド様っ・・・)
ティバは内心でかなり焦っていた。今はコーガンドにとっても、悪い状況なのだろうか。いや、よい状況のはずがない。それなのに、なぜ彼はあんなにも平然としていられるのだろう。
「おやー?可愛いお譲ちゃん発見ー」
「!!!」
背後から青年の声がしたかと思うと、肩に腕を回され、乱暴に引きよせられた。
「こんな所で何してるの?もしかして・・あの笛使いのお友達?」
「--っ・・」
ティバは予想外の展開に凍りついた。自分のすぐ耳元から聞こえてくる声に、震えることしかできない。
「んー。やっぱり子供の魂はとても美味しそうな香りがするね。さっさといただいちゃおうか」
その黒い翼を持った青年はそう言うと、ティバの肩に回していた腕をほどき、ティバの正面に座りこむ。すると、青年はティバの恐怖に引きつった表情を見て微笑んだ。
「何も怖がる必要なんてないと思うんだけどな。だって君たちは、生きるために動物を殺すだろ?それと同じ。俺達は生きるために人間を殺す」
青年は当り前のそうに言うと、ティバの肩に手を乗せた。ティバは反射的にその手を払いのけようとしたが、力強く掴まれているせいで、肩を動かすことさえできない。
「俺達は君らの体の一部に触れるだけで、そこから魂だけを取り出すことができるんだ。まぁ、もっと経験を積めば、触れなくてもいいらしいんだけど・・俺にはまだ無理だしね」
青年はそう楽しそうに言うと、乗せている手に力を込める。